Suujin et Zheng Bo

26 mai 2019, dimanche

 

ギャラリーアクアの藤田瑞穂さんから、招聘した中国人アーティストのジェン・ボー(鄭波)の崇仁でのワークショップに、地元に関わる人の参加が少ないと知らせを受け、気になっていたので、ワークショップの3日目に顔を出した。

案の定、地元に関わる人間は山内政夫さんと藤尾まさよさんだけで(間欠的参加)、あとは京芸関係者や移転に絡む建築・デザインに関わる若者ばかりだった。テラスづくりや川掃除でさえ地元住民は参加しないのだから、今後とも住民参加のまちづくりなど、絵に描いた餅にすぎないだろう。まちづくりは他所者がやるものだ。

 

ジェン・ボーのワークショップは、3日連続で、自己紹介を兼ねた参加者各人によるワークショップ→遠足→水平社宣言(1922)更新の試み、と続く。

いわゆるSocial Engaged Artの中国における旗手というジェン・ボーが、京芸移転先の崇仁地区に関心を持つのは当たり前だろう。

ちょうど彼が近年テーマとしている「雑草」が、ひとけの乏しくなった崇仁地区に目立つこともそれを促す。

 

崇仁

 

会場の崇仁小学校に着いたときは、もう彼の「平等」の考えについてのレクチャーが始まっていた。

ZhengBo_WS

このあと、「水平社宣言」を人間以外の生き物にも広げて、三つのチームで書き換える作業に移る。

 

ぼく自身もよくワークショップを頼まれてするので、人のワークショップに参加するのは、その進め方も含めて参考になる。

今回よかったのは、グループワークに入る前に、一人で作業する時間を与えたこと、そして10分間昼寝させたことだ。

特に昼寝は、頭脳を休め、心身をリフレッシュさせて、自他とのコミュニケーションを取りやすくする。

前日も遠足先の道端?で昼寝したと聞いた。Workに非Workを取り入れるので、N-Work-shopとでもいえるか。

昔松山でやった「眠りのレッスン」を思い出す。

参加者全員がクリエイティブになり、自分でも驚くほどの効果を上げた。

 

ZhengBo_WS

ぼくが入ったチームには、ジェン・ボー自身と、京大の伊勢武史准教授(森林生態学)も入っていて、意見の対立もなくすんなり進む。

ぼくが出したアイデアは、非生命も含めて地上の全存在が超新星爆発の残骸でできていて、すべての実在はつかの間の存在にすぎないこと、その認識がなければ真の万物平等の思想は成り立たないということだった。メモに記していたタイトルは「万物水平社宣言」。

「万物」と「水平」と「無常」はキーワードになった。だが日本の無常の考え方と老荘思想のちがいをジェン・ボーに説明するのがかったるい。宮澤賢治は法華経だし。

それに異質な文体と思考を一つの文章にまとめることはむずかしい。そもそも文章化にあまり興味がない。あとは発言を控えるようにした。

ZhengBo_WS

ぎくしゃくしながらなんとかでき上がった宣言案をもう一つのものにつなげて注釈もつける。

注釈部分はジェン・ボー自身が用意していたエコロジー思想を表す文章をそのまま筆写した。

筆で文字を書くという行為は中国人にはなじんでいるのだろう。筆書きの習慣の薄れた日本との違いだ。

 

自分のチームの文章中、「束の間の時間」という箇所に「間」が抜けて「束の時間」となっていたことに気付いたが、放っておいた。

展覧会場で印刷物になって配布された成果物にもやはり間が抜けて、マヌケなものになっていた。

ZhengBo_WS

 

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1 juin 2019, samedi

 

定例の川掃除のあと、ギャラリーアクアでのジェン・ボー展のオープニングに行く。

1階が崇仁の学習室のような構成で、彼が崇仁で集めた資料やワークショップの記録が並び、2階に映像作品《Pteridophilia 1》。

4Kの映像が中国ではもう普通になっているのだろうか。

1階の学習室には、ぼくがデザインした《川デツナガル》のフライヤーや「われら山水河原者の末裔なり」展の図録も並べられていた。

ZhengBo_WS

 

一番興味深いと思ったのは、2階の廊下に展示されていた『上海野生食用植物』(1961年発行)の模写(2016)と、『台湾野生食用植物図譜』(1945年発行)の模写(2016)だ。

特に後者は日本語で書かれており、序文には次のようにあった。

「食糧戦に勝利出来れば此の戦争は我が方の勝利に帰することは明である。
此の重要な食糧戦の一助にと云う念願から台湾植物同好会が昭和十八年一月以来台湾の野生植物中食用に供せらうるものに付き、当会員協力のうえ、試験研究を続け、その数多きに達した。
…而して此の研究が完了したものの中より百種を選考して種類名を確め、且つ写生図を掲げ、これに解説を付し産地と分布を明にし、さらに食用法を加えて本書をなしたのである。」

 

ジェン・ボーは日本語が読めたのだろうか。

日本の植民地・台湾で食べられる植物が戦争に利用される。この一点の事実で、植物への視点は、単なるエコロジー賛美ではなく、不穏な歴史的政治的含意をまとうことになる。

 

échange de la connection de l'internet

30 mai 2019, jeudi

 

インターネットの接続が悪く、つながらないことが度重なる。

モデムもルータも機器が退色するほど古いし、WiFiには2003年製のAirMac Extreme(ダイヤル回線から光ケーブルに変わってまもない頃なので、名前がすごい)を使っている。セキュリティもWEPのままで、いつも危ないと警告が出ていた。

AirMac

 

J-COMの技術員に来てもらって診てもらうと、そもそも配線の段階から接続不良があるといって、外の電線をいじりだした。

インターネット接続

インターネット接続
見ていると、家から引き出された配線の接続部分のパーツを切断して付け替えていた。

工事的なことはなんでも好きだが、この手の高所作業だけはやりたくない。

 

インターネット接続

左が無償交換してもらったJ-COM提供のモデム。真ん中が新規購入した無線ルータ ELECOMのWRC-2533GST

無線規格もIEEE 802.11acだし、5GHzで最大1733Mbps、2.4GHzで800Mbpsの通信速度が出る。

当然セキュリティももっか最強レベルのWPA2パーソナルになった。

AirMac Extreme ベースステーション[M8930J/A]ともおさらばしようと思ったが、先日初期化して元気になった(このとき、OS10.6.8のMacBookでセキュリティレベルをコントロールできた!)ので、端末器として残しておいた。

時代を感じるデザインと名前が悪くないのだ。

 

Tibet est

25 mai 2019, samedi

 

服部志帆さん情報で、同じピグミーのバカ族の音文化を研究している音楽人類学者の矢野原佑史さんがトークに登壇する映画『チベット ケサル大王伝 〜最後の語り部たち』を十三のシアターセブンに観に行く。

「シアターセブン」は「第七劇場」と同じ建物の中の一階下にある。後者は名前は聞いたことがあるが来たことがなかった。

両方ともいいラインナップの映画が並んでいる。

『ケサル大王伝』も初耳だが、大谷寿一監督が東チベット(四川省・青海省)で撮った渾身のドキュメンタリーで、世界最長の英雄叙事詩を伴奏もなくひたすら早口で憑かれたように謡う語り部たちを追う。

語り部たちはみな男性で、多くは若い頃、夢のなかでお告げを受け、一週間、熱にうなされたあと、突然文書も見ないで語り出すという。多くの語りは、草原をバックに撮られ、彼らが遊牧の民であることを示す。

ケサル大王伝を語ること、聞くことは、民族的アイデンティティとコミュニティ意識の醸成につながっている。

 

だが、映画は伝統文化の賛美に終わるのではない。

浸透するグローバル経済とそれを支える高速道路建設と土地開発、中国政府の定住化政策と民族同化政策によって、語り部たちが生まれ育つ草原とその文化は、どんどん消滅している。若者たちは中国語を話し、もはや『大王伝』の語りの言葉を理解できない者が大半だ。ときおり挿入される建設現場の映像、大掛かりでありながら白けたケサルのフェスティバルが、チベット文化を取り巻く現代中国の現状を示唆する。

中国政府はそうやって伝統を背景の自然もろとも破壊しながら、博物館をつくり、観光客向けのお祭りをでっち上げる。中国で少数民族の文化が喧伝されるとき、それはその民族文化の隅々まで中国国家の管理下におかれ、生命を奪われたことを意味する。


グローバリズムは、西洋由来のミュセオロジーと文化遺産のイデオロギーで身を飾って、空疎な「多様性」を謳う。

2012年に内モンゴルを訪れたときと変わらない光景が、東チベットにも広がっているのだ。

 

内モンゴル

2012年9月、内モンゴルの高速道路は、地平線の彼方まで物資輸送のトラックで埋まり、ほとんど動いていなかった。

 

Minpaku : Le Musée national d'ethnologie

24 mai 2019, vendredi

 

前日の5月23日、はじめて五芸祭の開会式に出席した。

学校行事には極力関わらないでいたが、一回くらい参加しておくのもいいかなと思って。

挨拶する5人の学長たちのなかで女性は京芸の赤松玉女さんだけ。各大学の学生実行委員会の委員長も全員女子。

日本の美大の現状をかいまみれた。

 

24日は、14時からみんぱくで、次年度春の特別展「先住民の宝」への展示協力に関するミーティング。

先住民のオランアスリの森でのワークショップにわれわれを招待してくれたマレーシアのアーティスト、シュシ・シュライマンを、企画者の信田敏宏教授に会わせるためでもあった。彼女はもっかAIR尾道に滞在中で、小野環さんが連れてきてくれた。

FKSKのメンバー全員が信田先生と会うのもこれが初めて。

 

信田先生から頼まれた「先住民の宝」展の展示協力に関して、オランアスリの伝統的な建築技法を異なる素材でどう使うかを気に揉んでいたが、有形無形の「宝」を生み出す森の環境に関心があると言うと即理解下さり、展示はまかせたいと言われる。

展覧会としての統一性のことを心配すると、それも気にしなくていい、と。

これは俯瞰的な統一性など気にしない先住民的な精神で会場も構成したいということだろう。

水木しげるの漫画などといっしょに、展覧会場の内外にオランアスリのコーナーをつくることになる。

まだ現地を見てもいないのに、何か今までにない展覧会にしなければ、と責任を感じる。

9月に予定しているオランアスリの森での仕事によほど集中して取り組まねばなるまい。

 

あとで会場見学をかねて、コレクション展や企画展示棟などを案内いただく。

みんぱく

オランアスリのコーナーにある、森の精霊たちの木彫。木の種類がわからないが、南洋材らしい緻密な木肌だ。

水木しげるは彼らと森で出会ったのか。

 

企画展示棟だけでなく、その地下の大きな待合所兼仮資材置場も見せていただく。

ここは2009年の総合基礎で展示に使わせてもらった部屋だ。

あのときは上の会場で「千家十職」展、下が総合基礎の「具具ッ」展だった()。

空間のプロポーションが悪いし、大きすぎて使いづらいが、ほかのメンバーの反応が意外に肯定的で驚く。

 

屋外に壊れたトーテムポールがあるというので、見せていただく。

みんぱく

去年の「複数形の世界のはじまりに」展のまえに上野公園をフィールドワークしたが、あのときもトーテムポールの由来にみな興味津々だった。

何かが循環している。

 

それにしても、みんぱくの空間、とくに屋外は十分活用されているとはいいがたい。

新しい人の流れも生み出したいと夢想する。

 

deux rencontres

22 mai 2019, mercredi

 

13:30 

建築私塾を主宰する八木千恵さんと久しぶりに会って、いろいろお話する(イノダコーヒー三条本店)。

八木さんは、建築家と他ジャンルの人間の対話の場をオーガナイズする面白い活動をされていて、『漂流するアクアしんぶん』の編集も手伝ってもらっていた。

 

16:30

KUNST ARZTの前で久しぶりに柏原えつとむ先生とばったり遭遇する。

ちょっと話をしたいとお誘いを受けたので、もう閉館していた京都国立近代美術館南側の白川沿いの Au Temps Perdu でお茶を飲みながら、先日亡くなった関根伸夫さんのことなど話す。

柏原先生は多摩美時代、関根さんの一年先輩という。

 

ぼくと柏原先生の出会いは、自由工場時代にさかのぼる。

先生は当時勤めておられた京都精華大学の学生といっしょに、はるばる岡山の自由工場に来て作品展示をして下さった。

その後一度だけ京都精華大学でのレクチャーに呼ばれたこともある。

 

面白いことを言われていた。「ぼくは野心がない。好奇心しかない。好奇心だけでやってきた」と。

野心というのは、美術家として成り上がりたいというようなことだ。それは美術なり美術家なりのあり方への信奉を前提とする。

柏原先生は一貫してそうした信奉から距離をとり、自分の好奇心にあくまで軸足をおいて美術をやり通してこられた。

言うは易く行うは難しを貫いてこられた柏原先生の顔には、78歳になるというのに、みずみずしい少年の面影が残る。