toit incertain encore_2

3 mai 2020, samedi

 

緊急事態宣言が5月末まで延長される。

新型コロナウイルス問題では、マスコミやSNS上だけでなく、いろんな識者がいろんな発言をしている。

最近はめっきり読むこともなくなった『現代思想』も「感染/パンデミック」の緊急特集を組んだ。

だが、これまで目にした中で一番ぼくが共感できたのは、web上で見つけた船橋真俊氏の『表土とウイルス』と題した論考。

とくに合点がいくのは「ウイルスの身になって」語る章と、地球上の生命進化と土壌と海水の組成を絡めて論じた章。

単なる科学者や思想家ではなく、生命の真実に近づこうとする科学者の姿勢と協生農法の実践が結びついた生き方に説得力がある。

船橋氏が言うように、「COVID-19は、人類が集団的に先送りしてきた課題を、たまたま顕在化してくれる立役者に過ぎない」。

ポストコロナ後の世界像がどう転換するかだが、そういう賢そうな議論を横目に、今ぼくがしていることは、川掃除の用具を保管する物置の孤独な移設作業だ。

ヨドの物置

10数年前のヨドの物置で、場所を移して組み建て直さないといけないので、注意深く分解を始めたが、屋根にとりかかったところでハタと困った。ネジとボルトがさびついてとれない。しかも留め方がまちがっている。

ヨドの物置

ヨドの物置

やむなくネジを金ノコで切断することにしたが、刃先をすきまに入れにくい。

ちょっと頭に来て、ふだん使わない例の筋肉ギアを入れて無理やり金属板をむしり取った。

ヨドの物置

 

またしても問題は「屋根」だ。人と自然のあいだに差し込まれるもの。

これからできるだけ毎日、《toit incertain ふたしかな屋根》シリーズをアップしていこう。

いつか撮影しようと思ってアトリエに置きっぱなしだから、制作場所が狭まり、もって制作活動も滞り、心身も滞る。

 

toit incertaintoit incertain

《toit incertain ふたしかな屋根》2013 前と斜め後ろから

 

"Stay Home/捨てホーム"のメッセージイメージになるかな。

 

toit incertain encore

30 avril 2020, jeudi

 

コロナ禍で総合基礎実技を遠隔授業でやらないといけなくなった。 

Google classroomの設定とか、まさかオンライン授業をするはめになるとは。。。

 

ぼくが考えるオンライン総基礎の要点は次の2つにつきる。

1)それぞれの人間の中にある創造活動の「原始」を掘り起こし、肯定することから始めること(→課題の母胎)

2)自分が生きている日常環境そのもの(自宅や下宿、アパート、マンションとその周辺)をアートスクール化すること(→多様な課題群)

 

第1課題「屋根を架ける・屋根で繋ぐ」は、建築家で環境デザイン専攻の坂東幸輔先生の発案。

ぼくも協力することになったが、「屋根」は2010年代の自分の作品のテーマでもあるので、あらためてわかりやすい伝え方を考えないといけない。

 

屋根

 

昔の授業での配布資料を見直してみたら、バシュラールとルロワ=グーランの言葉を引き出して、案外壺を押さえている。

「最小の空間をつくる」という造形計画2Aの課題に関するもの(2012年)だった。

 

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◎ガストン・バシュラール『空間の詩学』思潮社から

「ぼくはぼくの存在する空間だ」——ノエル・アルノー『素描のままで』*(p.179に引用)

「われわれが身をひそめ、からだをちぢめてたいと願う一切の奥まった片隅の空間は、想像力にとってはひとつの孤独であり、すなわち部屋の胚種、家の胚種である。」p.178

 

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◎アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』から

「とびぬけて人間的な事実といえば、それはおそらく道具を創造したことよりも、時間と空間を手なずけた、つまり、人間的な空間と時間を創造したことだろう。」

「(道具と言語活動の出現の)少し前に、最後の旧人において、図示的な表象体系の最初の痕跡が現れてくる。ムステリアン期の終期からシャテルペロニアン期まで、紀元前5万年から3万年までのあいだに、最初の住居や、線刻された最初の記号や、短い平行線の単なる並列などが同時に現れる。隠れ場をつくった時期がもっとずっと前にさかのぼるのはほとんど疑いを入れない。しかし、最初のきちんとした家が現れるのと、最初のリズムをもった絵が現れるのとは、不思議に一致している。」pp.304~305

「象形化が最初に現れる進化の最初の時点は、居住空間が外部の混沌から引き出されてくる点でもある。」

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「人間的な空間と時間を創造した」あるいは「家のなかと家を中心にして、制御できる空間と時間を創造すること」とはつまり、「屋根をつくる」ということだ。

ルロワ=グーランの指摘は、屋根(という構造物)の出現と芸術の出現が一致しているということなのだ。

屋根によってカオスからコスモスが引き出されるという点で一致しているのだろう。

ぼく自身あらためて "toit incertain"(ふたしかな屋根)に向き合った創作を再開・持続しなければならないと痛感する。

 

崇仁高瀬川

昨日(4/29)は休日だったので、ノコギリ担いで単車で崇仁小学校内の高瀬川に行き、資材置き場の「屋根」をつくるための柱材を無償でゲットした。

立入禁止の学校内を人知れず流れる高瀬川。

高瀬川の歴史の中でも画期的ではないか。循環型資源(水や木、草)の宝庫。もっか大のお気に入りの場所である。

崇仁小高瀬川

 

com-position aujourd'hui 200426

26 avril 2020, dimanche


本日のコン・ポジション。

 

composition aujourdhui

#長岡京市奥海印寺通り 西垣外 2020年4月26日撮影

 

このところ、毎日自転車に乗る。

柳谷観音には二回行き来した。帰りに興味深いコンポジションに出会った。

 

auto-école de l'art

25 avril 2020, samedi

 

4月23日に京芸も前期授業がすべて遠隔授業になることが発表された。→

慣れないgoogle classroomを使って、授業の設定をしないといけない。

しかも自分の授業だけだったらいいが、総合基礎実技という京芸美術学部のもっとも大事な導入実技授業も担当しているから、それもやらないといけない。

 

日常の事象と行動を再定義する"Reinventing daily life"というプロジェクト型授業にしようと思ったが、新入生には敷居が高いと言われ、とりあえず、自分自身を人に紹介する作品をつくることを課すことにした。

5月11日から授業開始になり、今は「プレ授業期間」で評価の対象ではなく成績はつかない。だが、創作をしたくて芸大に入った学生なら文句言わずに着手する課題と思ったが、評価の対象でないとやらない学生がいるという非常勤講師の声を聞いて、目が点になった。

本物の芸術家から直接創作姿勢を学んできた独学者のぼくは、芸術は学校で学ぶものでないという立場だ。美術は美大で、音楽は音大で学ぶものと考えている世の大勢とは生きる岸辺がちがう。

 

そもそもどうオンライン授業をするか、ではなく、学校とは何かを根本的に考え直すべきではないか。

 

新入生に配ったノートの挟み込みでレオナルド・ダ・ヴィンチのノートに触れたが、レオナルドも学校になど行っていない。もし学校になど行っていたら、彼はあのような仕事をしなかった。生来の思索癖(彼の思索は頭の中でなくノートの上で展開された)と並外れた好奇心、ヴェロッキオの工房で仕事しながら現場でじかに学んだことが、彼の仕事の土台になった。さらによかったのは、近代的なせせこましい「美術」の概念がまだ成立する以前だったことだ。彼の思考は脱ジャンルというより、科学的思考と創作的思考、芸術と技術、合理と非合理が未分化な地平を自在に行き来した。

 

自分で勝手に「先生」を仕立て、勝手に身の回りを「学校」にすること。独学をこう捉え直すと、身の回りの世界すべてを学校としたレオナルドの姿が見えてくる。

そもそもぼくが美術の世界に入ったのは、書物ではなく身の回りの世界をじかに「読む」のが美術と思ったからだ。

 

フランス語で auto-école は「自動車学校」を指す。だが、auto- は自動車 automobileの意味以前に、ギリシア語 autós「自らの」に由来する。つまり「自分学校」。学校に行けないなら、自分のまわりを学校にする、"auto-école"  にすればいいのだ。 

 

で、さっそくやってみる。レオナルドのノートからの応用展開。

 

レオナルドのアイデア

レオナルドのアイデアレオナルドのアイデア

まったく固定していないから、重みがかかっている方が構造は安定する。重力が接着剤でありビスである。

 

travail isolé encore

19 avril 2020, dimanche

 

social distance

social distance:人と距離をとる〜虚空庵にて