trop des choses à faire

14 - 15 mai 2019

 

大学の仕事が忙しい。

 

5月14日(火)総合基礎第1課題合評。

総合基礎

総合基礎

新入生の最初の課題なので、いろいろ手伝ってやらねねばならない。

土壁づくりの素材と技術の提供も、後始末がついてくる。

ほかの先生方はうまい言い方で評価するが、この日はぼくは言葉が出ず、「準備と後始末は制作と同じくらい重要。いい始末が次につながる」としか言えなかった。

 

・ ・ ・

5月15日(水)

文字の造形的可能性を探求する造形計画1Aは、総合的キュビスムを実際に「演奏」する「ギターのレッスン」。ギターのレッスン

 

総合的キュビスムは、その後の抽象芸術や概念芸術はじめ、20世紀芸術の起点となったが、それを実際に実習させるのは、世界の美大のなかでもまれだと思う。歴史・理論研究と制作実践が切れているからだ。

総合的キュビスム_ギターのレッスン

こういう実習には説明資料や材料やモチーフの調達はじめ、いろんな準備が必要だが、全部一人でしなければならない。

"Aria de Bach"のタイトル文字を入れた楽譜を急きょつくり、コラージュ用の木目のシール紙を調達する。

総合的キュビスム_ギターのレッスン

 

だが芸大でやるのはこれが最後になるような気がする。

 

昼の13時からは、デザイン科2回生向けのデザイン基礎のレクチャー。

デザインは理論としてでなく、実務としてやってきたので、どう話したらいいのか、準備が徹夜になったが、まとまらなかった。

グラフィックからプロダクト、空間デザインまで、ぼくは何でも抵抗なく手を出しすぎる。

美術をやっていくうえでの必要性や関心の広がりからそうなったのだが、そもそも自分は基本的にアートとデザインを区別して定義することに関心がない。見境なくアイデアが生まれ、見境なくつくりたい、というのが根本にある。

 

このままでは、まとまらないまま人生が終わりそうだ。

 

marriage des élèves

12 mai 2019, dimanche

 

茗荷菜月

 

教え子である茗荷恭平と前田菜月の結婚式に呼ばれ、乾杯の発声を頼まれる。

茗荷君はVD、前田さんは漆工専攻だが、13年ほど前に京芸に入学して以来、ずっと二人仲良くぼくの「造形計画」の授業をとっていた。

「乾杯」だけならいいが、何か挨拶した方がいいらしい。

だが、ぼくはまったく常識的な挨拶の仕方を知らない上に、前日まで総合基礎の研修旅行で、京都に戻ってからもヤンソルさんのカフェ2階の改装を手伝っていた。

当日朝、式場のある芦屋までの車中で挨拶文の草稿を書いた。

バタバタしているのは13年前と変わらない。

最初に指名されて手書きの原稿を読んだが、ぼくの拙い挨拶は、

3年かけて準備したという彼らの手作りの挙式に貢献できただろうか。

 

茗荷菜月

 

Le bâtiment d'il y a 2000 ans

10 mai 2019, vendredi

 

5月10日(金)〜11日(土)、総合基礎実技の研修旅行

・1日目:太陽の塔〜みんぱく〜弥生文化博物館〜信太山青少年センター泊

・2日目:舞洲工場〜付近で「狩猟採集」行動

 

「縄文的精神で歓待の場(器)をつくる」という課題とたまたまつながって、岡本太郎の縄文から弥生へ、70年万博から2025年万博へ、生命の木からゴミの海へ、という研修内容になった。

総合基礎の研修旅行につきあうのは20年ぶりだが、副委員長(来年は委員長)なのでしかたない。

予約の行き違いでいったん拒否された舞洲工場とも交渉して何とか見学できるように努力した。

 

この日、iPhoneのカメラが働かず、デジカメも故障して、写真記録がじゅうぶんできなかった。

単車からはじまって、最近、身辺の機器に故障が多い・・・

 

池上曽根遺跡

弥生文化博物館は下見で訪れたので、ぼくは先生や学生たちから一人離れ、近くの池上曽根遺跡へ。

弥生中期の大規模環濠集落の跡地だ。

高床式の巨大掘立建造物が復元されている。集落の中心にあった神殿兼集会所なのだろう。

復元された建物は床高4m、全高11m、東西17m、南北7m。

残った柱の伐採年代は紀元前52年という。

池上曽根遺跡

逆台形に左右に張り出した屋根のかたちが面白い。

大棟を支える東西の独立棟柱は高さ9m。大棟の先端には鳥の形が彫られている。破風板は土器などに見られる文様で装飾されている。弥生期の復元建築では全国最大級という。

根拠となった絵が刻まれた土器片の写真が資料館に掲示してあった。

池上曽根遺跡

土器の表面が縄文・弥生の記録ノートだ。

何にでもかたちを変え、線刻をとどめる土は、古代のコンピュータみたいなものだと思う。

逆に言うと、コンピュータメディアは粘土なのだ。つまり人類には記号やイメージを受け止める表面が必要ということだ。

 

真正面に巨大な井戸跡があり、直径2m・樹齢700年のクスノキを刳り貫いてつくっていたらしい。

本殿の東側に2本の掘立柱が南北線上に並んで立ち、冬至のときは南の柱の影が北の柱に届き、夏至のときは南の柱の影が井戸に指したという。

豊饒と繁栄を祈る祭祀の広場だったのだろう。

池上曽根遺跡

池上曽根遺跡

昨年9月の台風で、メインの建築は階段などが壊れ、中には入れない。

井戸を覆っていた覆い屋も倒壊したまま、ほったらかしだ。

 

一人でスケッチしていると、学芸員の人が資料館から出てきて、話しかけてきた。

池上曽根遺跡は、20年前に国指定の史跡になったときは話題を呼び、羽振りも良かったそうだが、やがて人々の関心も薄れ、和泉市と泉大津市の共同管理になってからは維持費も十分でなく、すぐに修復できないらしい。

この広場にも墓などの史跡が復元されていたが、いたずらされるので、撤去してしまったという。

そのため現在は中途半端にだだっ広い空間が残され、説明パネル類も砂に埋もれていた。

史跡公園そのものが遺跡化しているのだ。現代人のすさんだ行動のせいといえる。

 

だが、それ以上にこの遺跡で感じたのは、農耕と鉄器製造技術で栄えた弥生文化の反縄文性だ。

高殿の中心にした祭祀空間のまわりには鉄器製造の工房が広がり、一般の住居は集落の外縁に集中していたという。

サヌカイトの破片の捨て場も残されていた。

農耕と鉄器は、それまでの長閑な縄文文化との断絶をつくりだし、生産合理主義を軸にした階級社会を発展させていった。

その延長に今の文明がある。復元された高殿を見ていると、「こいつらめ」という反感がふつふつと湧いてくる。

 

池上曽根遺跡

池上曽根遺跡

がんばって復元したらしい2棟の建物がぽつんと建っている。

柱は残念ながらコンクリートで、これも人が荒らすため、中には入れないようになっている。

 

来春、みんぱくの「先住民の宝」展で、マレーシアの先住民オランアスリの森の集会所の復元制作を依頼されている。

そのため造作に目がいく。

 

・ ・ ・

11 mai 2019, samedi

 

翌日は舞洲工場。昼食はバーベキュー。

海岸沿いの花畑で休んでいると、ソルさんのカフェ2階の改装作業をしている連中から連絡が入り、電気配線を切断してしまったという。

そういえば丸鋸を貸していた。

絶縁テープを巻いておくようメールで指示。

18時過ぎにバスで芸大に戻ってから、単車で現場に向かう。

やれやれ。。。

 

la déconstruction de la terrasse de Suujin

6 mai 2019, lundi

 

連休最終日、崇仁テラスの撤去。

崇仁テラス

昨年まで熱心に参加してくれていた立命館大の藤原君が就活で来れなくなったので、応援してくれるのはいずれも年配の人たち。

菊浜高瀬川保勝会会長の上村先生、七条大橋をキレイする会の井上茂樹さん。車に乗ってるのは、足が悪くなっても地域の祭りを取り仕切る林さん。

崇仁テラス

崇仁テラス

お年寄りとはいえ、人手が多いとはかどる(ビスの頭をつぶさないでやってくれるともっとありがたいが)。

13時には撤収完了。

崇仁テラス

テラスを設置する辺りの高瀬川には水鳥のつがいが何組か棲んでいる。

優雅な水と鳥の動きに疲れが癒される。

 

崇仁テラス

手伝っていただいた井上茂樹さんが、七条大橋ライトアップのための照明機材の取り付け枠の保管場所がほしいというので、崇仁小学校体育館横の保勝会の作業所兼保管所につくることにした。

崇仁テラス

廃材を利用して即席でつくる。木枠は高さ10cm・幅85cm・長さ250cmとのこと。

なら棚板はいらないな、と。このスペースの収容力が大幅にアップした。

 

崇仁テラス

ほんとうにこの場所は助かる。

芸大移転後も高瀬川流域でものづくりに関わる人たちの共有スペースになればいいと思う。

 

le nettoyage du canal Takasegawa vol.19

4 mai 2019, samedi

 

連休中、崇仁高瀬川保勝会、恒例の月1回の川掃除。

今回はチラシはつくらなかった。

崇仁高瀬川保勝会

五月晴れ。

崇仁高瀬川保勝会

崇仁高瀬川保勝会

掃除後のミーティング。今年度の活動計画などについて。

崇仁高瀬川保勝会

大島桜のサクランボ。