la terre viole la mer

14 decembre 2018, vendredi

 

12月14日(金)朝早くから、政府は米軍基地滑走路建設のため、名護市辺野古沿岸部への土砂投入を始めた。

反対する沖縄県民の声を無視して強行する安倍政権。日本中が右傾化するなか、国民の大きな反発は招くまいと読んだのだろう。

20代の頃は奄美独立闘争にも入り込みかけた身としては、沖縄は早くこんな日本の国から独立した方がいいと考える。

いや、独立云々は近代国家以後の考えなので、本当は「国家」なしの社会のあり方を構想提起した方がいいのだろうが、ぼくの仕事ではない。柄谷行人あたりに「Association」を論じておいてもらった方がいい。

辺野古埋立

辺野古埋立

警察は抗議に参加した車椅子の人も暴力的に排除した。マスクの仮面をつけて。(毎日新聞報道から:上・下とも)

辺野古埋立

辺野古埋立

しかし、青い海を土砂が埋めていくさまは本当に痛ましい。

土の使い方を完全に間違っている。大地を削って得た土は大地に返すべきで、すべての生きものの故郷である海を侵食すべきではない。

 

海は自分から生まれた大地が自分の顔を埋立てていくさまをどのように見ているか。

「さよなら人類」のうたを歌わねばならない。

 

le nettoyage du canal Takasegawa vol.15 et la démontage de la terrasse de Suujin

1-2 decembre 2018, samedi et dimanche

 

備忘録をまとめて。

毎月第1土曜日は、崇仁高瀬川保勝会の川掃除。

今回は翌日に崇仁テラスを解体することにして、12/1と12/2に作業日を集めた。

川掃除

12月1日、はじめて塩小路通より北側の高瀬川を掃除する。

崇仁の共同浴場を管理する「都総合管理株式会社」の人たちが手伝ってくれた。京都アートカウンシルの宗由美子さんも。

2019年1月26日(土)に開催予定の第2回「川デツナガル」シンポジウムの打ち合わせ。

いつものことながら、藤尾まさよさん以外、崇仁地域に住む人は川掃除にも話合いにも参加しない。

保勝会や自治会との関係がわからないので、あとで山内政夫さんに聞いてみる。

地域の人どうしの対立とか、いろいろややこしい歴史があるらしい。

他所者としては、そういう点がもっとも関わりたくない点だ。

保勝会倉庫

崇仁高瀬川保勝会

元崇仁小学校内の高瀬川沿いに並ぶ倉庫の一つが崇仁高瀬川保勝会で使えることになった。

これは今後の活動のヴァージョンアップにつながる。

 

2 decembre, dimanche

 

午前10時、前日に中村伸之さんが進めておいてくれた崇仁テラスの解体をすすめる。

崇仁テラス

崇仁発信実行委員会の藤尾まさよさんが忙しいなか今回も手伝いに来て下さった。

「自分でやってみないと気がすまない性質なの」といいながら。

藤尾さんは元崇仁小学校の卒業生で、人権意識の向上をめざして、地域発信マガジン『崇仁〜ひと・まち・れきし〜』の刊行など、精力的な活動を続ける。ここでもおっさんはだめで、めざめた女性ほどエネルギッシュ。

 

崇仁テラス

崇仁テラス

次の『崇仁テラス』設置は来春になる。

北側に3mほどずらせたから、大島桜が今年よりよく味わえるだろう。

だが春には西側の団地の建設もさらに進んでいるだろう。

 

KYOMO

2015年に《Tracing Suujin》の二つ目のパートを設置したKYOMO京町家普及センターが消えている。

天井の梁につけたままにしたアルミの《高瀬川》もいっしょに解体撤去されたと思われる。

 

場所とともに消える作品。持ち帰らなくてよかった。

 

Lettre d'Ismail

26 novembre 2018, lundi

 

大阪の"+1 art"での年末チャリティ企画展に今年も参加する。

今年のテーマは、『なくなりそうなことば』。

民博の吉岡乾氏の著書『なくなりそうな世界のことば』(イラストは西淑氏)に触発されての企画という。

ギャラリーオーナーでアーティストの野口ちとせさんが手づくりで小さな箱をつくり、それを作品の器として出品者に提供する。

 

自分は言語学者ではないが、先住民の文化や技術に関心があるので、どう取り組むか、考え込んでしまった。

少数民族の言語が消えるのには主に二つの理由があると思う。

一つはその民族そのものが絶えること、もうひとつは別の支配的な制度や教育によってその言語が強制的に駆逐されること。

これらはともに背景に猛烈な勢いで進むグローバリズムがある。

このグローバリズムは資本主義を基軸とする西洋近代の価値観に根ざしているが、これに対する激しい政治的反抗が、2001.9.11のテロに始まるイスラム原理主義の動きだろう。チャリティの宛先もマララ基金である。

そう思うと、作品の出発点を、2001年9月に小野和則さんと倉敷のサロン・ド・ヴァンホウでやった「光の記憶」展にまでさかのぼらずにはおれなくなった。

あのときは、展覧会準備中に、9.11の世界貿易センタービルへの自爆攻撃が起こり、急きょ展示内容を変更したのだ。

そのときの出品作のひとつに『イスマイルの手紙』というのがあった。

Letter of Ismail

自爆したテロリストの両親宛の手紙が和訳されて読めることがあり、その言葉を短いフレーズに分解して、スライドで障子に投影したのだ。作品はほかにドローイングや映像があったが、個人的には『イスマイルの手紙』に今後の可能性を感じていた。

 

典拠がどこかに行ってしまったが、幸い言葉は残っていたので、今回はそれを石膏片に載せることにした。

手紙の文章から切り離されて孤立させられた言葉を、石膏片を背景に見る/読むことは、手紙そのものを読むよりもさまざまな想像を誘う。

Letter of Ismail

Letter of Ismail

ランダムに箱につめる。

 

石膏が水を吸うので、水転写シートを使うのがむずかしかった。

締切時間から15分遅れで搬入。

河原木さんと、マララに対するタリバーンの幹部アドナン・ラシードの書簡(「近代教育は西洋グローバリズムを伝統社会に持ち込むだけだ」)の話をする。

本当にむずかしい問題だ。

だが、イスマイルの背中越しに、世界への違和感のまなざしが自分の中にあるのを否定することができない。

ぼく自身も土地なき難民の孫なのだ。洪水や荒涼とした原野のイメージがいつもからだのなかにある。

 

Letter of Ismail

 

nettoyage du canal Takasegawa vol.15

21 novembre 2018, mercredi

 

仕事の合間を縫って、12月1日の川掃除のチラシをデザイン、この日、芸大の研究室から無事出稿をはたす。

 

崇仁高瀬川保勝会191121

崇仁高瀬川保勝会191121

11月3日の「川デツナガル」を見ていない人にもわかるように、イベント内容をコンパクトな報告書ふうにまとめた。

 

崇仁高瀬川保勝会が地元の人との交流ができないため、せっかくフライヤーをつくってもどこまで配布してくれるのか。

(地元の人というのは、高齢化して地域のことに関わる気持ちも体力もない人たちのこと。)

外からいくら旗を振っても動かない。

逆に言うと、ぼくがつくるポスターやチラシ、そして《崇仁テラス》やワークショップが、かろうじて実体のない崇仁高瀬川保勝会の顔つきに実体らしきもの(=旗)を与えているだけなのだ。

文字通り、「カバー」としてのデザイン。

ポスターやチラシが外部の人にいい印象を与えているとすれば、それなりに役立ってはいるが、実体のないものに仮の実体を与えているだけとすれば、デザインの根本的意義から考え直さないといけない。

 

Sang ou rosée ? au pèlerinage Kumano Kodo

11 november 2018, dimanche

 

鈴木昭男さんが熊野古道なかへち美術館で「内在」という展覧会をしているというので、遠路、車を飛ばして中辺路を訪れた。

7月の東京都美術館や夏の徳島でのWS以来、今年は車での長距離移動が多い。

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館は、SANAAの最初の美術館建築らしい(1997年)。

展示室を白いアクリル板で覆って、さらに外側をガラスで覆っている。

内部の躯体の壁面を凹面とし、すきまを通路や受付・交流スペースとし、事務室や設備棟、WC棟を外にはみ出たヴォリュームとして扱っている。大胆な非建材の扱いや機能ごとの空間の自由な配置に特長がある。

 

鈴木さんの展覧会はとてもよかった。

最近、人の展覧会に感動することが少なくなったが、これはよかった。

鈴木昭男

《内在》は、90mm角の鋼管19本を同じ角度で等間隔配列したもので、各鋼管には幅5mm深さ50mmの切り込みがつけられている。

19というのは、熊野古道中辺路のはじまりの滝尻王子から熊野本宮までの19の王子に対応させ、切り込みは順に位置を変えて、中に響く音律を変えている。

鋼管の長さは展示室のの天井高3410mmと同じらしく、石は美術館の横を流れる日置川の河原から運んだものらしい。

場所との呼応や不定形の自然と規則的な人工との対話、非完結型の作品のあり方がまったく僕好み。

いやでき過ぎといえるか。

 

熊野古道は初めてだったので、少し歩いてみた。観光地とばかにしていたが、意外に面白かった。

何より面白かったのは地名だ。「近露」は「血か露か?」という問いから発しているという。チカツユ

有名とあとで知った牛馬童子像。明治期の石彫らしいが、面白い。

宝筐印塔

鎌倉期のものという宝筐印塔。傾きを小石で支えている。《支えるもの》のコレクションに加える。

中辺路近露

中辺路近露

《支えるもの》シリーズ。《ふたしかな屋根》シリーズでもある。

中辺路近露

中辺路近露

《途中放置》というカテゴリーもつくりたい。

意図からも構造からも切り離され、宙に浮く存在の美と不思議。

柱材を横倒しにして積んで壁をつくろうというのか。

女神の湯

女神の湯

近露(血か露か)の集落の奥にアイリスパークというオートキャンプ場があり、その中に奥熊野温泉・女神の湯という名の温泉がある。

本当に温泉があるのかという不安にかられながら、曲がりくねった山道を行くと、拍子抜けするような温泉のファサードが現われる。

入浴料650円。入ってみた。中も拍子抜けするような湯槽。アルミサッシの窓の向こうはすぐ林。

「日本屈指のとろみ度を誇る温泉」と謳い文句にある。

 

女神の湯の向いに、驚くべきことにイヌワシの小屋がある。

網越しに美しい勇姿が拝める。

イヌワシ

キャンプ場に鶏の声がすると思ったら、どうやらイヌワシの餌らしい。

 

学生時代、ぼくはよく一人で熊野に通った。役小角が僕のヒーローだった。

まちがっていなかった。熊野は今もすばらしい。