atteindre la vieillesse

jeudi 31 mai 2018

 

雨でつちのいえの作業ができず、早めに帰宅すると、堀尾昭子さんからのハガキが届いていた。

堀尾昭子さんはわが師匠・堀尾貞治さんの姉さん女房で、ご夫婦ともどもぼくが敬愛してやまない大先輩作家だ。

先日届いた堀尾さんからの個展案内状に記してあった文面に感動したので、ブログに載せていいですかとおたずねしてのお返事だ。

どうぞとお許しが出たので、掲載する。

 

堀尾昭子

 

じわーと来た。

自分もこのように作り続けていきたいと思った。

 

堀尾昭子さんの個展は、6月16日〜7月21日、Gallery Yamaguchi Kunst-bau にて。

 

 

nettoyage du canal Takasegawa vol.12

mardi 22 mai 2018

 

6月2日の高瀬川の川掃除のチラシを出稿。

毎月100部つくってるチラシだから、裏に地元のお年寄りや子供の話なんか載せて、「地域通信」としても使えるものにしたかったが、取材する時間がない。それでオモテ面のみ。先月つくった崇仁高瀬川保勝会のロゴは使えた。

この日ぼくは所用で川掃除に参加できない。

秋の東九条マダンの計画がうまく進むことを祈る。

 

suujin-takasegawa_flyer180602

 

 

 

Le temps du carrelage

dimanche 13 mai 2018

 

来月に控えた展覧会の打ち合わせで東京都美術館へ。

 

閉館後、会場を見せてもらうことができて、あらためて床レンガのちがう領域を確認する。

古い床レンガが1975年、新しい方が2012年の敷設と聞いた。carrelage de Tokyo Art Museum

 

美術評論家の藤枝晃雄氏が4月26日に亡くなられたことを知った。

ショックだった。

昨秋、『モダニズム以後の芸術』という批評選集を送呈いただいたのに、読む時間もなく、満足なお礼もしていない。

賀状のやりとりはずっと続いていた。

かつてのぼくのマチスやセザンヌの研究を評価下さっていて、『美術手帖』にマチスについての書き手に推薦いただいたことがある。

作品研究は好きだったが、結局、制作との生きた接点が見つからず、前者を放り出してしまった。

藤枝先生と京都で一度宴席をごいっしょしたことがある。予想に反してちゃめっけのある方だった。

もう一度、お話を聞きたかった。

ご冥福をお祈りする。

 

 

la Terre sans l'être humain

mardi 8 mai 2018

 

あるとき、ぼくにとって美術は「人間以外のものと仲よくなる術」だとわかった。

いつも人間以外のもの、そして人間以前、人間以後を考えないといけない。

宮澤賢治は、「イギリス海岸」で人間のいない時代のことを想像した。

レヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』で「世界は人間なしで始まり、人間なしで終わる」と述べた。

これは文学的感慨とは無縁の当たり前の真実。

 

200万年以上生存した化石人類はいない。あと100〜200万年以内の人類滅亡は避けられない。せいぜいもって数百万年。

 

だがそのあとも地球と生物の進化は続く。

 

暗い太陽のパラドクス

太陽は誕生以来、少しずつ明るくなっている。

地球ができた頃の太陽は今より30%暗かった。にもかかわらず地球は凍りついていなかった。

理由:現在の数千倍〜数万倍ものCO2による温室効果による。CO2はカンブリア紀でも10〜20倍。

*現在の地球の平均気温=15℃ → 温室効果を引くとー18℃になる

*負のフィードバック:太陽が明るくなるにつれて、温室効果の上昇をとどめる負のフィードバックが働き、地球の温度の急激な上昇や下降を抑制した。

 

二酸化炭素の減少・温度上昇・生物絶滅

だが数億年の単位でみれば、大気中のCO2は減り続け、負のフィードバックが効かなくなる。すると地球の温度は上昇する。

CO2の減少は、光合成をさまたげ、やがて植物は滅びる。水蒸気もなくなっていけば、生物は地上に住めなくなる。

体の大きい多細胞生物は、生存できる環境の幅が狭く、まず多細胞生物がいなくなる。

→ 次に単細胞生物のなかでも真核生物がいなくなる。

→ 最後に残るのは古細菌や真正細菌。それらは初期と同じ好熱菌。

 

パンゲア・ウルティマから海の蒸発へ

プレート理論によれば、2億〜2億 5000 万年後に再び超大陸ができる(パンゲア・ウルティマ)。

その前後、1.5億〜4.5億年後に、地軸の傾きの変化が混沌となり、地球の軸の傾きは 90°傾き始めるかもしれない。

磁気ダイナモ(磁場)は破壊に追い込まれ、大気圏からは揮発性物質が加速して放出されていく。

約 10億年後には、太陽の明るさは現在より10%明るくなる。

これは海洋の暴走蒸発をもたらし、地表の液体はすべて蒸発し、海も消滅する。

プレートテクトニクスは終了し、最後に全体の炭素サイクルも終了する。

遅くとも20億年後までには、地球のすべての生命は絶滅する。

だがその後も地球は、赤色巨星になった太陽に飲み込まれて蒸発するまで、生命なき星として存続する。

今とはまったく別の姿の星として。

 

生命史は地球史の約半分

地球の歴史は約45億年前〜約50億年後のおよそ100億年。

生物の歴史は約40億年前〜約10億年後のおよそ50億年(全地球史の半分)。

現在は地球史全体の大体5分の4が終わったところ。

 

 

Mycetozoa et la composition plastique

dimanche 6 mai 2018

 

車で白浜の南方熊楠記念館へ。初訪問。

200km、約3時間(京都縦貫道〜第二京阪〜近畿道〜阪和道〜湯浅御坊道〜上富田IC〜番所山公園)。

 

熊楠は文化人やアーティストに大人気なので、人気者ぎらいのぼくとしては、これまで接近を控えていた。

だが、今度参加する「複数形の世界のはじまりに」展で、ほかの作家らが絶賛し、「粘菌」がキーワードの一つにもなったので、おくればせながらアプローチすることにした。

 

鎖国中、外国船を見張る番所を設けたことから名前が由来する番所山公園の頂点に記念館がオープンしたのは昭和40(1965)年。シーラカンスの小嶋一浩(1958-2016)・赤松佳珠子(1968-)設計による新館ができたのが2016年。

テーマが熊楠だし、展望がすばらしいので、建築デザインはチャレンジングだったろうと想像する。

南方熊楠記念館

第3展望台からの眺め。

南方熊楠記念館

エントランスにあった建築模型。新館は旧館に触手をのばして融合しようとする。粘菌の解釈と思われる。

南方熊楠記念館

通路部分の2階は見晴らしのよい読書スペース。屋上は展望のための視点をのびやかに動かす。

南方熊楠記念館

無柱空間の2階を支える1階のピロティ。構造はラーメンにアーチを挿入(半アーチ+ピン柱)して水平剛性を高めたという。

南方熊楠記念館

旧館の方から新館を見る。すきまは1mくらいか。施工がたいへんだったろうと思う。

南方熊楠記念館

ピロティに乗った建物の屋上のデザインとなれば、きっとル・コルビュジエを参照しただろう。

南方熊楠記念館

驚いたのが、建物のすぐ脇に立つ巨大なシマナンヨウスギ。

南方熊楠記念館

アローカリアともいい、ニューカレドニアが原産。メタセコイアやイチョウ等と同様に生きた化石の一つと言われる異形の針葉樹だ。

南方熊楠

熊楠の出発点が知れたのはよかった。江戸時代の博物学の書『本草綱目』や、和製百科事典『和漢三才図絵』を小さい頃からひたすら書き写したという。

書き(描き)写しは、独学者の基本的な学習方法だ。ぼくも独学者だったからわかる。

若き熊楠の知への飢えをからだに感じた。

南方熊楠記念館

記念館の屋上からエントランスホールまでを貫くように吊られていた筒状の空間造形(ランタンとよばれる)は、ポリエステルのテープに『和漢三才図会』を模写した少年期の熊楠の文字を印刷したものを編み合わせているという。

エントランスというロケーションにふさわしく、まさに粘菌的構成で熊楠の世界をうまく造形していると思う。

 

番所山公園から車で30分、田辺市役所近くの住宅街に熊楠後半生の住居が残っており、傍らに南方熊楠顕彰館が建っている。

南方熊楠

紀州の木を多用したこちらのデザインは、矢田康順/インテグレーティッド デザイン アソシエイツ+堀正人/ホリ アーキテクツ。隈研吾かと思った。

南方熊楠顕彰館

旧居の方に、熊楠が研究室として使っていた居間が、資料を配して公開されている。

熊楠は研究や執筆でも机を使わず、畳の上でやったという。

机は顕微鏡をのぞくために脚を一部切って斜めに傾けている。

南方熊楠

庭がよかった。新種の粘菌を見つけたという柿の木が残っていて、安藤蜜柑などの紀州の柑橘類があちこちに植えられている。南方熊楠

名前の由来になった大きな楠が枝を広げ、死の床で紫の花の幻を見たという巨大なセンダンの木もあった。

 

それにしても、植物の名前がなかなか覚えられない。

熊楠のように描き写して覚えなければならない。

 

さて、粘菌的造形というのがあるとすれば、それはどういうものだろうか。

それは、事物であれ、主体であれ、西洋近代型の文明が依拠する「自己同一性」の理念などに基づかない、開かれたネットワーク型の造形だろう。

それは始まりと終わりを持たず、たえまない流動と変成のなかにあるだろう。

書き(描き)写しから始まった熊楠の知がそうだったように。