Regardez des étoiles et le nettoyage du Takasegawa vol.8

mercredi 31 janvier 2018

 

この日は、皆既月食とスーパームーンとブルームーンが重なる約260年に一度の日。

同じ日に、今企画している展覧会「ほしをみるひと」のチラシができたのが奇遇。

自分でやらずに、デザイン科の辰巳先生にお願いした。だからよけい奇遇。

皆既月食2011/12/10

 

皆既月食は20時45分からはじまり、23時8分まで続いた。

途中雲がかかったが、欠け始めと月食の終わりは目で見ることができた。

なれないスマホのため、撮影はできなかった。なのでこの写真は2011年12月10日皆既月食のときのもの。

 

おそらく、今のように人間の文明が地球を覆い尽くしていなかった時代、
「ほしをみる」ことは人の生存に深くかかわっていただろう。
空はもっと広かったし、輝く星の数も比べ物にならないくらい多かっただろう。
地平線や水平線が人の生きる環境を縁取り、
人はほしをみることで自分たちの位置や行き先や過去や未来を把握しただろう。
ほしをみることは生存の確かな手がかりを得ることと不可分だった
 そして地球もまたひとつの星(惑える星)である。

そのことを誰よりも感得していた芸術家の一人が宮澤賢治だ。
「ほしをみるひと」は、藤原隆男先生の退任記念展でありながら、
そうした根本的なことを再確認する機会になればと思う。

 

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第8回高瀬川の川掃除のフライヤーもこの日に納品された。

今年はメインに使う写真を変えた。

 

clean-takasegawa

 

こんなに人が集まればいいが。

 

 

Pour la croisière du Canal Lac Biwa

lundi, 29 janvier 2018

 

インクラインのドラム工場を見学後、上下水道局施設課の上田さんに、四ノ宮船溜まで車で連れていってもらった。

昨年デザインした案内板を見るためだった。

案内板の寄贈者である洛東ロータリークラブとの話がまとまり、昨年11月末に設置されたと聞いたが、忙しくて実見していなかった。

四ノ宮船溜案内板

琵琶湖疏水はいつもこの時期(1〜3月)、清掃のために止水中だ。

四ノ宮船溜案内板

今春から行われる琵琶湖疏水クルーズの停泊所として四ノ宮船溜が使われるということだったが、まだ整備中だ。

水がないので、諸羽トンネルがすっぽりよく見える。

 

四ノ宮船溜案内板

柵がけっこう高い。それに応じるように案内板も高く設置してあった。

子供や女性には見にくいのではないか。

ぼくはあくまで中身のデザインだけで、設置方法については、上下水道局と業者まかせだ。

本当なら柵も案内板の設置もデザインしたいが、上下水道局とはそういう関係ではない。

 

四ノ宮船溜案内板

琵琶湖疏水関連の案内板、これで10枚目になる。

だが、なぜこういう手続きになっているのか、よくわからない。

ぼくはロータリークラブから何も聞いていない。

案内板の除幕式を昨年11月30日にしたそうだが()、デザインしたぼくは招待されてもいない。

招待してほしいわけではまったくないが、手続きがなぞだ。

たぶんデザイン料がゼロであることに関連しているのだろう。

でもまあ、職業的デザイナーではないし、とやかく言うまい。

 

今回使ったのは田村宗立(1846-1918)が疏水工事が終わってまもなく描いた四ノ宮船溜りの水彩画だ。

田村宗立はぼくがつとめる京都芸大の前身・京都府画学校の西宗(西洋画科)で数年間洋画を教えた。

京都府から依頼を受けて、1885-90(明治18-23)年、疏水の工事を写実的な絵で記録した。

学生たちにも手伝いで描かせたといい、固い絵があるのはそのためかもしれないが、個人的に田村宗立の画風は好きでない。

同じ時期に疏水事務所に頼まれて疏水の絵を描いた人物に、河田小龍(1824-98)という日本画家がいる。

小龍の描いた『琵琶湖疏水図誌』の方が絵心があって好きだ。

河田小龍

一番好きな絵の一つにこの第1竪坑の図がある(絵もだが、第1竪坑そのものが好きなのだ)。

 

小龍は、ジョン万次郎(1827-1898)の聞き書きを通じて知ったアメリカの議会制政治などを坂本龍馬に教えたことでも知られるが、その聞き書き『漂巽紀畧』全5巻は傑作だ。

万次郎の話をもとに挿絵を描いているが、言葉からの想像画なので、アザラシや鉄道の絵がぶっとんでいる。

なぞの生物(Seal アザラシ)。車がついて動く小屋の列(Railroad)。

河田小龍

 

河田小龍

疏水事務所から記録画を頼まれたとき、小龍はすでに60歳を越えてなかば隠居の身だった。

だが、彼の絵を見ると、当時最先端の大土木工事だった琵琶湖疏水への好奇心が躍動しているのがわかる。

小龍は、そうとう好奇心の強い知的な人物だったのだろう。

全身アンテナ。思えば、本来の絵描きとはそういうものではないか。

 

130年たったとはいえ、小龍に頼んだのと同じ疏水事務所から頼まれての疏水案内板のデザイン。

断われないのである。

 

 

art et l'infrastructure de la société moderne

lundi, 29 janvier 2018

 

京都市上下水道局からの依頼で、南禅寺舟溜のインクラインのドラム室を見に行く。

 

インクライン・ドラム室

8年前(2010年)の琵琶湖疏水リサーチのとき、アーチ屋根のある見晴らしデッキの上に立って、噴水の水を指揮したことがある。

電動式のポンプではなく、高低差を活かしたサイホン式の噴水なので、バルブの開け閉めで噴水を操作できるのだ。

で、「閉めて」「開けて」と合図すれば、職員の人がバルブを開け閉めしてくれて、噴水が噴いたり止まったり。

指揮者気分だった。

今思えば映像を撮ればよかったのだろうが、用意してなかった。

 

そのデッキの下に今回相談を受けたドラム室があった。

 

インクライン・ドラム室

 

インクライン・ドラム室

ワイヤーが切られている。

奥のスペースは、動物園の石垣とのすきま。

 

長年放置されていたとはいえ、かつてここで傾斜鉄道を操作した。

 

インクラインの工事の完成は明治22年。

建設当初は、水車動力でドラム(巻上機)を回していたが、蹴上水力発電所の完成により電力使用になった。

巻き上げ用ドラムは、最初は蹴上船溜の上にあったが、のちにここ南禅寺船溜北側の建物に移された。

ドラム直径3.6m。35馬力(25kW)の直流電動機で回転させて、直径3cmのワイヤーロープを巻き上げて運転したという。

蹴上船溜の方には、直径3.2mの水中滑車(展示品)を水平に設置していた。

 

インクラインは蹴上舟溜りから南禅寺舟溜りまで約582m、高低差約36m。

するとワイヤーは全長2km近い?

 

インクライン・ドラム室

なんとドラムは木造だ。

 

インクライン・ドラム室

木造ドラムにロープの跡がくっきり残っている。

床の木造部分は操業を終えてから穴をふさいだもの。

 

インクライン・ドラム室

これがブレーキ?

 

インクライン・ドラム室

高圧電流をこんな場所で制御していたらしい。

 

インクライン・ドラム室

奥に作業員の休憩室がある。

 

インクライン・ドラム室

時計の跡は時の空白をものがたる。永遠の現在。

 

インクライン・ドラム室

 

インクライン・ドラム室

目の前にインクライン。こんなすごい場所があったとは。

 

インクライン・ドラム室

水道局の上田さんらは、ここに案内板を立てたいという。

しかし費用や工事の関係で、耐震補強ができないようなので、大々的な公開はできない。

この場所を保存しつつきちんと公開するには、いろいろと工夫が必要だ。

ただ案内板を立てて終わりではない。

それがなんと年度内にすませたいという。

う〜ん。

 

いつかここで作品展示をやってみたい。

湊川隧道もよかったが、役目を負えてなかば廃虚化したインフラ施設ほど、魅力的な空間はないと思う。

国交省が土木遺産などのインフラ施設を観光に役立てる旗をふっているそうだ。

だが、ここは大々的に公開できないというのがいい。

時間をかけて取り組みたいが、今は時間がない。。。

 

 

 

Symposium pour le plan de l'école des arts de Kyoto

19 janvier 2018 (vendredi)

 

崇仁高瀬川保勝会主催のシンポジウムのチラシが一日早く納品された。

上質90kg、100枚、2日納品コース。

使う写真がスマホで撮られたものらしく、荒さがめだたないよう、色づかいに気を配った。

裏に高瀬川の流路の変遷を載せて、資料的に使えるようにした。

 

高瀬川シンポジウム

 

高瀬川シンポジウム

 

27日のシンポジウムでは、ぼくも「テラス」という京都芸大移転の基本コンセプトと、「崇仁テラス」プロジェクトのことを話さなければならない。

気にかかるのは、保勝会の活動にかんじんの地元住民の参加が少ないことだ。

自分が住んでいる地域のことに関心を持つ人の割合というのは、数%なのだろうか?

ぼく自身、自分が住んでいる長岡京市の市民活動には何も参加していないから、えらそうなことは言えないが。

 

 

Nettoyage du Grand Pont de Shichi-Jo

7 janvier 2018 (dimanche)

 

七条大橋をきれいにする会」というのがある。

毎月7日に七条大橋を掃除しているそうで、昨春から始まった崇仁高瀬川保勝会とも地理的に近く、人的交流もある。

去年の10月「崇仁テラス」をつくるときに、「きれいにする会」の事務局長の井上茂樹さんが手伝って下さった。

井上さんの奥さんは、京大美学の吉岡洋氏の妹さんだそうだ。

その井上さんから、崇仁地区への芸大移転や「テラス」の話をしてほしいと頼まれ、掃除の段階から参加することにした。

今回で32回目だそうだが、総計60数名もの人が京都内外から参加していて、びっくりする。

第30回のときは100人を越えたとか。

 

七条大橋をきれいにする会

京都市民ではないし、市民活動には疎遠だったが、多くの人がこうした活動に生き甲斐を見つけている時代なのだと実感する。

副市長も来ていて、挨拶。

 

七条大橋をきれいにする会

つきあい以外に、土木への興味というのもある。

七条大橋は、大正2年(1913年)に竣工した鉄筋コンクリートアーチ橋で、鴨川では明治期の意匠を残す唯一の橋。
意匠担当が東京帝大出身の建築家・森山松之助(1869-1949)で、台湾総督府の設計もした人物。
2008年に土木学会が土木遺産に指定した。

琵琶湖疏水の案内板デザインに関わって数年たつので、明治・大正の都市インフラの建設期に思いをはせる。

 

七条大橋をきれいにする会

橋そのものを掃除するのかと思っていたら、みな河原に降りて、熱心にゴミ掃除する。

掃除の仕方は各人に委ねられている。いいやり方だ。

崇仁高瀬川保勝会の川掃除はいつも10人いるかいないか。情宣が足りないのか。

 

掃除後、主宰者のお兄さんが営む「集酉楽サカタニ」という店に移動。

10分少し、芸大移転のコンセプトと、学内銭湯の可能性について話す。

なぜか大受けした。

学生時代を京都で過ごしたが、市民活動に触れたことはなかったので、新鮮だった。