Tout est fini.

16 février 2019, samedi

 

「発酵をよむ」展、昨日(15日)は、FKSKの船木美佳さんがはるばる東京から来てくれ、服部志保さんも再訪してくれたので、東京都美術館での「複数形の世界のはじまりに」展の楽屋のようになった。そこに自由工場をいっしょにやったしばたゆりさん、樋口洋子さんも偶然居合わせた。まもなく女4人で仲良くおしゃべりが始まり、これが女子会というやつか、と席をはずす。

 

16日は最終日。

この日は、藤枝守さんと中川佳代子さんが出演する「糸で紡ぐ音の世界」が京都芸大であり、それに参加していたので、+1に着いたのは閉廊後の18:40。

集中して撤収作業。あれほど苦労した空中戦の成果もあっという間に片づき、2230には終了した。

柱を貫通させていたアルミ板は、逆に柱の引っ掛かりを利用でき、難なく下ろせた。

 

いつも思うが、展示に比べ、撤収は早い。

今回の展覧会を振り返っておく。

 

+1の野口さん・河原木さんから、「五線譜に書けない音の世界」の関係で藤枝守さんが九州から来阪するので、来ませんかと誘いの電話があったのが、たしか2017年3月。

当時は、ひろいのぶこ先生の退任記念展を手伝っていて、同時に、のちに発酵展でコラボすることになる稲垣智子さんが企画する「きしわだアートプロジェクト」でワークショップなどする日々だった。

まもなく稲垣さんを加えて、発酵音を活かした実験展の企画が立ち上がる。

 

だが、その後、ぼくも藤枝さんも忙しくなり、展覧会のイメージも湧かないまま、1年以上が過ぎた。

展覧会の企画が再起動したのは昨年夏だったか、野口さん、河原木さんの催促もあって先に時期が決まった。

しかし9〜10月も、映像制作にとりかかった稲垣さんに対し、ぼくはイメージが定まらないまま忙事にまみれる日が続いた。

来阪した藤枝守さんとようやく突っ込んだ話し合いができたのが昨年10月28日(日)。徳島の展示に行く前日だった。

 

10/28ミーティング時のスケッチから(このスケッチブックをその後尾道で忘失したが、先日戻ってきた)

発酵展イメージスケッチ

発酵展イメージスケッチ

発酵展イメージスケッチ

この時点でだいたいのイメージやキーワードが出ている。ほぼ藤枝さんの話を聞きながら描いたものだが。

 

藤枝さんの「発酵」は、神事にかかわっているので、儀礼的空間がイメージされた。

だが、ぼくとしては発酵の文化的側面よりも、自然現象としての側面が気になっていたので、発酵を促す甕とその中の対流に焦点を当てた。視点を上下に対流させ、身体の水平移動でそれをかき混ぜる空間。それをどうつくるか。

2枚の鏡を上下に合わせる着想はすでにスケッチブックに描いていたが、のちにそれを稲垣さんの2点の映像に置き換える方向で、インスタレーションを考えていった。

同時に、甕・カメ・神・ka-me・k/mという、唇の有無に対応する2つの音をイメージの根底におくことにした。

今回の展覧会の要は、視覚的なものだけでなく音に関わるものであること、そして音は多形的な意味の同時的発現を促すものであることだ。ぼくの関心はあくまで造形にあるが、音の多形性と意味の流動性はつねに気がかりな参照項でもある。

音の世界のような、万物が響きあう原始的な時空を造形で実現したいのだ。

今回はこの造形空間を、藤枝さんが望む耳と音の関係(それは目を介しない)に対応するよう作り上げねばならない。

哺乳類にしかない上下2つの唇のあいだ。噛むこと・醸すことから新たなものが生まれる時空。

 

例えば「ウツ・ロ」「器」「打つわ」《打つ輪》。発酵を「よむ・読む・詠む」。

かたちの面では、甕の口、円形カウンター、上・下のスクリーン、《打つ輪》とその表面に無数に残る叩きの鎚跡など、大小さまざまな「丸」の組成。それは、発酵のたえまない泡立ちに対応する。

 

阪大の発酵工学科(正確には生命先端工学専攻)に取材し、また眠る女性の演者たちを配した稲垣さんの2つの力作映像も、上下に向かい合って、生命現象としての発酵を人間的・社会的な次元につなげてくれた。

 

慣れない現場のため、施工は荒くなった。

だが、なんとかできた空間は、藤枝さんが配した音の響き合いもさることながら、稲垣さんの映像の光が《打つ輪》の波打つ表面に反射して、ぐうぜんにも光の響き合いも生まれていた。

予期しないことが起きること、これ以外に創作の悦びはない。自分の思考と知覚が作り変えられる悦びの現場。

この展覧会準備中に亡くなった師匠の堀尾貞治さんが言っていた。

「現場とはあきらかに考えとちがっていることをいう」と。

堀尾師匠に見てほしかった。

 

fermentation

fermentationfermentation

 

しかし、何事もすべては終わる。

響き合いも消える。

やり残していることに取り組まねばならない。

 

Instrument de musique traditionnel

11 février 2019, lundi

 

「発酵をよむ」展の関連イベントのアーティストトークと音楽会が、11日15時から、+1ギャラリーから徒歩10分ほどの高津宮の「富亭」であった。

当日は大学で用事があり、時間ぎりぎりに到着すると、予想外に来場者があった。

fermentation

アーティスト・トークではいきなり司会進行をふられたが、

「まずはこの展覧会のたちあがりの経緯を河原木さんと藤枝さんからお話ください」と切り抜けた。

実際、発酵展は、2年まえ、ドブロクをつくった経験のある+1 artの河原木さんが、すでに焼酎の発酵音を素材化していた藤枝守さんに働き掛けたことから始まった。

藤枝守さんとは、2002年に、椎原保さんを交えた3人で、耳なし芳一をテーマに、大阪港近くのCASOで "invisible ear"というコラボレーション展をしたことがある。あのときは椎原さんが全体の空間構成担当で、ぼくは手伝ったとは言え、空間より映像担当だった。

今回は、稲垣さんが映像担当で、ぼくが空間構成とものづくりを担当するかたちになった。

 

とにかくトークは、藤枝さんが発酵音との出会いなどをしゃべりまくって、事無きを得た。

ぼくが話したのは、生命体は体内音のように音をもつが、音を外に出す(発音する、鳴く、叫ぶ stc)のは体内音とは次元がちがうこと、m音が唇をもつ哺乳類の象徴音であるのに対し、鳥や爬虫類など嘴系の動物のそれはk音であること、哺乳類も悲鳴などあげるときは、k音が出て原始的になること、神(KAMI)には両方が含まれていること、塩の円盤は、映像を投影する床が黒いため、スクリーン代わりであったこと、また塩は意味機能の上でも雑菌を遠ざけるなど発酵と深い関係があること、そして、甕の中で生じている対流が発想の基本となり、のぞき込むことと見上げること、ミクロとマクロの交換が空間表現の要であることだった。

fermentation_plan

トークのあと、八女茶と和菓子がふるまわれ、そのあと音楽会「この御酒を醸みけむ人は」。

藤枝守さんの『植物文様琴歌集』全7曲を演奏するのは、中川佳代子さん

中川さんは藤枝さんの「植物文様」や「甕のおとなひ」などを演奏されていて、今回も藤枝さんの指名。

1月26日の「フルクサスを語る」で初めてお会いしたが、京芸の伝統音楽研究センターで復元された和琴を熟知しておられ、運搬もぼくがやろうと思っていたところ、自分で運んで下さった。

 

この演奏がすばらしかった。

最初の一撥、一声でいっきょに古代的時空に引き込まれた。

あとで聞いたが、近代的な演奏用の琴とちがい、弦は絹糸を使っていて、音が小さく、またはっきりと安定しない。

奏者の演奏する身体とじかにつながっているような、微妙にゆらぎをはらむ。

音楽用に用意されたコンサート会場よりも、こうした生活感を残す部屋に合っている。

中川さんは、2月16日(「発酵をよむ」展の最終日)にも、京都芸大の「糸が紡ぐ音の世界」で藤枝さん作曲の「織・曼荼羅」を弾く。

 

高津宮の会場には、横浜のBankARTの細淵太麻紀さんも来ていて、久しぶりの再会がうれしかった。おせじだろうが、「ボルタンスキー展よりはこちらに来ました」と。

あとで聞くと、彼女は現在、BankARTとは少し距離を置いて、「現像」という写真プロジェクトを始めていて、先日まで展覧会をしていたという(→)。今はBankARTの細淵さんだが、昔から彼女を知るぼくに、あくまでPhスタジオの細淵さんだ。

 

演奏後、片付けを手伝って、+1art に歩いて戻り、展示空間で残った人としばし歓談した。

藤枝守

藤枝守さん。

彼のノートを写しておく。

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「発酵をよむ」展の関連イベントとなる本公演では、《植物文様琴歌集》が和琴とともに歌われますが、その「この御酒を醸みけむ人は」というタイトルは、古事記からの《酒楽歌》の歌い出しの一節です。この歌は、高津宮にも祀られている神功皇后が御子の応神天皇に詠んだ歌に対する建内宿禰の返歌ですが、酒づくりの楽しい光景とともに、「醸す」というカミの振る舞いともいえる発酵への畏敬の 念が込められているように思います。
「植物文様」とは、植物の電位変化のデータをメロディックなパターンに読み換えていく作曲シリーズですが、数年前から和琴をともなう「琴歌集」というシリーズが始まりました。いずれも古代のテキストをもとに、これまで、中川佳代子さんの声と和琴により演奏されてきました。本日は、その「琴歌集」から七つの歌が和琴がもつ響きと抑揚のなかで続けて演奏されます。
はじめに歌われる《阿知女〜あちめ》は、宮中の「御神楽」の演目である「阿知女作法」の呪文のような言葉に節づけしたものです。この「阿知女作法」という神楽歌は、博多湾・志賀島を拠点とした古代の海の民である「あづみ〜阿曇(安曇)」に由来するともいわれています。それに引き続く《月読三歌》は、いずれも万葉集の歌によりますが、月の満ち欠けを「読む」ことのなかに、潮の干満や身体的な変容と一体となった「場所の感覚」が織り込まれています。そして、昨年(2018年)の暮れに初演されたばかりの《藻塩二歌》も万葉集が歌われますが、志賀島の古代の海人(あま)による海藻を使った塩作りのなかにも潮や風といった変容する世界がその言葉に映し出されています。なお、この《藻塩二歌》は、志賀島の海藻のアオサからの電位変化にもとづいて作曲され、ゴシックハープの伴奏によって初演されましたが、和琴による演奏は、今回が初めてです。そして、はじめにふれた《酒楽歌》が演目の最後に演奏されます。この歌の終わりにある「ささ」とは、酒をすすめるフレーズです。
高津宮の左座には、神功皇后、応神天皇とともに仲哀天皇も祀られていますが、仲哀天皇は、現在の福岡市東区に位置する香椎宮にて和琴を弾きながら崩御されたとの伝説も残されています。本日、高津宮で響く和琴が仲哀天皇にとどくかもしれません。
(ノート:藤枝守)

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この日、終わって帰ってくると、ロバート・ライマンが88歳で亡くなったと知った(→*1, *2)。

彼もはじめはジャズマン志望で、絵画は独学だった。

美術館の守衛をしていて、芸術や芸術家と出会ったのだ。

芸術は学校で学ぶものではない。経験から学ぶものだ。レオナルドは「経験の弟子」と自称した。

他人から学ぶとすれば、せめてそういう芸術家から学ぶものだ。

京都芸大には独学者でない者たちがたくさんいる。彼らの作品展が終わったのも同じ11日だった。

 

installation pour la "fermentation"_2

29-30 jan. 2019

 

【難題2】円形スクリーン

もう一つの難題は、ズームの効かない超短焦点プロジェクター(SONY LSPX-P1)で、空中に吊るした円いスクリーンいっぱいに丸い映像を投影すること。

当初、円いスクリーンは《打つ輪》の内径より少し大きめにして、そこに載せるつもりでいた。だが現場で検討した結果、少し上に吊るし、空きを見せるようにする方が視覚的にも空間的にもいいことに気付く。それでしっかり独立した円形スクリーンが必要になった。

枠は竹の廃材でつくる。アルミでつくれたらそれがベストだったが、すでに切ってしまっていたし、取り寄せる時間もなかった。

 

1)円形の枠づくり:不均質な竹材を曲げて正円にするのはむずかしい。何度もナタで注意深く削る。(1/27)

LSPX-P1

ルイーズ・ブルジョワのビデオで投影実験。(1/27)

円形スクリーンの天地120cm、ということは約100型。

LSPX-P1の投射画面サイズは「22型-80型」とあるので、はじめからむちゃしている。

しかもこの関係をそのまま約220cmの高さにあげるのだ。

円形スクリーン

2)スクリーン張り:翌28日の朝、なんとか竹サークルが正円に近づき、トレーシングペーパーを張る。

竹は針金でとめたが、うっかり仮留めのビニールロープを取り忘れ、白いのが見える。

注意してくれるアシスタントもなく、何でも一人でつくるので、うっかりがよくある。はずすのはもう面倒なので、このままいく。

 

3)スクリーンの張り直し:1/29日午後、竹スクリーンはとても軽いので、4点に穴を開けて、針金で一点吊りにした。

そこまではスムーズにいったが、プロジェクターを空中に設置するために屋根裏に補強材を取り付けているとき、事件が起きた。

穴

 

野縁に取り付けていた補強材の余分を切っていたときに、それがはずれて落ち、スクリーンの紙を破ってしまったのだ。(17:30)

トレペのロール(幅180cm)はアトリエに置いてきてしまったので、替えがない。青ざめる。

家に電話するが、あとで梅田のヨドバシカメラに在庫があることがわかって、+1の河原木さんに買いに行ってもらう(ありがとうございました!)。

 

4)プロジェクターの設置:超短焦点プロジェクターを設置する棚を空中に設ける。

 

屋根裏の野縁につけた補強材から腕木をおろして平板をとめる感じで棚をつくる。

だが円形スクリーンとの関係で位置は手探り。ネジなどで高さを調節できないから、プロジェクターの下に紙など敷いて、高さや角度を調節する。

そもそもこのプロジェクターは購入したばかりで、まだうまく使いこなせない。台形補正もフォーカスも時間がかかる。

同じ棚に、DVDプレイヤーとワイヤレス中継器をのせる。

 

5)針金の影を消す:スクリーンを吊る高さを決め、プロジェクターを設置して、映像とスクリーンが合うことを確かめたのだが、針金の影がスクリーンに出ることに気づく。針金を張り直したり、引っ張ったりして、1時間以上苦闘。

 

休憩時に河原木さん・野口さんが出して下さったお茶とお菓子が、ハードな時間を和ませてくれた。​

 

【難題3】円形カウンター

画廊をぐるりと囲む円形カウンターは、もっとも早くに制作に取り組んだ(といっても年末だが)。

上に置く甕の中がのぞきこみにくいように、との藤枝さんの希望に応えて、高さを1215mmと高く設定したが、一番苦慮したのが、画廊内の人の動線を確保しつつ、空間いっぱいに広がる安定した形態と構造をどうつくるか、だった。

とりわけ、事務所へ出入りする扉が外側へも開くように、との画廊側の要請に応えるには、事務所側の壁から離さなければならず、それは円に組んだ天板を壁で固定することができないことを意味する。

何より心配だったのが、床がフラットではなく、どう波打っているかが不明な点だった。

当初、甕が5つと聞いたので、円弧も5つで設計しようとしていた。だが、真ん中に甕が来て、東西南北に4つの甕が来るとわかって、円弧は6個で設計した。5つだと切り出しをするシナランバーは4x8、だが6つだと3x6を3枚でOKだ。

年末に加工を進めた。

棚

軽やかにいくべく、シナランバーは12mm。手づくりの大型コンパスで正確に線描きし、ジグソーで切断。

円形カウンター

脚は4x8の同じ12mm厚のシナランバーから幅20.5cmで切り出したものをT字に組んで12体つくる。とめるのはビス2本のみ。

コンパクトに分解・収納・運搬できる。

円形カウンター

30日明け方、一人で画廊に広げて位置を検討する。

外周の半径は、右側の壁と事務室の扉の開閉から割り出した197cm。円の中心は、円弧と壁との接点から割り出す。

先端が柱でとまり、円周の終り近くが壁でとまるようにしたいが、なかなかぴったり決まらず、何度もやりなおす。

だが、床で決まったとしても、脚の上にのせると継ぎ目に1cm近い大きな段差ができる。床が波打っているせいだ。

これには手を焼いた。脚をヤスリがけしたり、ノコまで使って斜め切りしたり。

最終的に天板の継ぎ目をウラから金物でとめることで天板のオモテを面一にした。

天板と脚はやはり50mmのビス2本だけで固定。

サークルの端ともう一点を柱と壁でとめたせいで、見た目よりがっしりした円形カウンターができた。

(苦闘していたので、記録なし)

 

【難題4】床への投影

もう一つの難題は、床の直径150cmの塩の円盤へのプロジェクションだ。

elevation

projection
天井高がさほどないので、焦点距離の長い通常のプロジェクターでは、大きな投影面を確保しにくい。


壁面から30度近い角度で屋根裏ぎりぎりに吊るように展示し、微妙に角度を調整しながら、円盤の位置と円い映像を合せる。
床は黒いので、塩を円形に敷き詰めてスクリーン代わりにする。
なんとか円形スクリーンと映像を合わせることができたのは、一人徹夜明けの朝。

塩の円盤をどうつくるかを考えたが、スポンジゴムのスキマテープを床に円くつけて、円の縁にすることにする。

取り寄せたのが、厚み10mm、幅10mmのタフロング片面両面テープ。


30日朝8時すぎに稲垣智子さんがやってきて、テープを円く貼って塩を敷く。塩は25kgで足りた。

 

*塩は味噌や醤油、漬物などの発酵食品をつくるのに用いられるが、それよりも根本的には、塩は発酵を助ける。

雑菌の働きを抑え、発酵に必要な微生物を働きやすくするからだ。味噌を作るとき、塩で麹菌だけを繁殖させる。
 

なんとか展示が完了して、あわてて道具類を片付けていると、開廊時間の11時になった。

すべりこみだった。

 

同じ日、京芸の修了審査があった。午後4時からに順番を代えてくれて助かった。

徹夜のまま、高速を飛ばして京都に戻る。

 

 

installation pour la "fermentation"_1

28 - 29 jan 2018, dimanche

 

本当は27日から展示設営を始めるつもりだった。

だが、前日26日の東九条のシンポジウムで心の調子が狂い、この日は大阪には行かず、自宅での準備作業にあてた。

 

難題がたくさんある。今回2点の円盤を空中に同心円状に吊るす。

アルミを鍛金した直径2mの輪と、直径120cmの円形スクリーンだ。

 

plan

 

【難題1】打つ輪

1)4x8(125cmx250cm)、厚1.5mm、A1100(アルミ99%以上)を2枚、伏見の大岡商店から購入(12/28)。

2)サイズと形状の決定:直径2m、幅40cmに決定 <-- 超短焦点プロジェクターの投影面:直径120cmの円

<-- 画廊の天井高340cmと空間構造から取り付け方法に制約 →合わせの部分を加えて金属ハサミで切断(1/17)

打つ輪

打つ輪

合わせの部分は外側で8cmずつにした。

打つ輪

3)鍛金:住宅地のアトリエでは音がうるさいので、大学の体育館横で夕方に。

板をたたくときは、表は均質にたたいていくが、裏は平らになるよう要所要所に一打づつでよい。

打つ輪

1/18と1/23の2回に分けて作業。楽しい孤独な作業。芸大にいる間しかできないなと思いながら。
打つ輪

4)合わせ部分の整形:アルミの輪は半円状態のまま自分の車で運んで、現場で組み合わせるが、合わせる部分がむずかしい。

柱が貫通するように穴を開けねばならないし、合わせる部分がはね上がらないようにしないといけない。

現場ではあまり叩けないから、この時点で重なり部分を整えておく。

5)柱穴を開ける:現場で夕方までかかってアルミの《打つ輪》に柱の貫通孔を開ける。(1/28)

他方のジョイント部分をとめて回転させるやり方で穴を開けるつもりだったが、それは輪の軸と柱の軸が合っているときの話。

同心円の中心が柱の軸線より5cmほどずれているので、二つの半円パートをそれぞれの角度で柱に差し込んでから合わせる。

何度か切り直して処理が荒いが、大目にみる。

打つ輪

6)吊る:アルミの輪にはドリルで2mmの穴を開けておき、そこから針金を通してひねる。それで抜けなくなる。

ひねりの位置を調節しながら吊る高さを調節する。

アルミ板はたたいて固くなっているので、吊るポイントは少なくてすむ。穴は半円パートごとに真ん中と両端。

まず真ん中でぶら下げるように吊り、次に左右を順に吊って水平にする。

28日に針金で仮吊り。29日に1mmワイヤーで本吊り。

合わせの部分に穴を開けて、仮吊りの針金を取り、一本のワイヤーで吊る。

ワイヤーの先はアルミスリーブでつぶしてとめる。スリーブは見せたまま。

こうしてたった4本で2mの輪が吊れた。

いつものことだが、これらの作業はほとんど一人で行った。

 

このアルミ鍛金輪は底から見上げた甕の口のイメージだが、同時に金属が響きを感じさせることから創作を思い立った。

打つ作業で出る音がこもるわけではないが、槌の円い痕迹が無数に表面に残る。

細かな起伏のせいで見る角度によって光沢がかわり、水面を見上げているようにも見える。

制作中、いいタイトルを思いついたーー《打つ輪》。今回、ぼくがしているのは音と映像の「器」をつくること。2007年の「8つの課題」展のときの《打つわ》が進化した。
 

Tout est le musique.

19 jan 2019, samedi

 

昨春から協力してきた柿沼敏江先生の退任記念公演会がこの日、ついに実現の運びとなった。

ぼくの「京都芸大退任記念展お手伝い5部作」の最後になる。

(1.小清水漸、2. ひろいのぶこ、3.藤原隆雄、4.秋山陽、5.柿沼敏江)

 

「フルクサスを語る」と題し、レクチャー、シンポジウム、演奏会の三部構成。

一柳 慧、塩見允枝子、建畠晢という豪華ゲストによる、フルクサスの興味深いエピソード満載の話は面白かった。

塩見先生の公演は、昨年の東京都美術館での「複数形の世界のはじまりに」展での「集落会議」に出品いただいた《無限の箱から——集落会議のために2018》の京都版。

こんなふうに作品が時や場所を越えてつながって展開していくのは愉快だ。

 

ぼくは例によって、裏方としてロープを用意したり、塩見先生を迎えに行ったり。

シンポジウムではコメンテーターとして発言を求められたので、”Endless(端がない)"という作品のあり方について質問した。

塩見先生からは、"Endless Box"のタイトルは、ナム・ジュン・パイクの提唱によるものとの答え。

宇宙のはじまりや終りに話がおよぶと途端に目がきらきら。足がお悪いというが、心はあいかわらず若々しい。

一柳 慧先生にも「作品のはじまりと終りをどう考えるか、はじまりも終りもない音楽のことを考えることはないですか」と尋ねた。

はじめ「それは哲学的で答えるのはむずかしい」といなされたが、最後は「ぼくは時間の枠を越えた音楽に興味がある、むしろ美術や建築のような空間を取り込むことを考えている」と、これも今の自分の創作上の関心事に沿ったアーティストらしい回答を得た。

 

この日もかんじんのことが言えなかった。

ジョン・ケージの《4'33"》の反対命題は「すべては音楽だ」ということ。そうであれば、音楽にはじまりも終りもない。だが、潜在的に音にあふれた世界の持続に気づかせるために音楽があるとすれば、それはどういうはじまりと終りを持つべきか。そういう問題意識からの問いかけだったのだ。

 

演奏会は、観客で満杯となった大学会館ホールで。

柿沼先生は、京都芸大の音楽学部ではフルクサスは音楽と認められていないので人は来ないのでは、と心配されていたが、予想以上に来場者があってよかった。

 

フルクサスを語る190119

リハーサルで。足が悪いという塩見先生がロープを振り回して、演奏方法を指示。やはりアーティストだ。

フルクサスを語る190119

昨秋亡くなった小杉武久さんの《Micro 1》(1961)を演奏する大井卓也さん。

マイクを紙で包み込み、その後、紙がじょじょに開いていく音を大音量で聞かせる。

大好きな発想だが、これが小杉さんがまだ東京芸大楽理科の学生だったときの作品というのがすごい。

小杉さんがかつてぼくに言った「すべては波だよ」という言葉がまだ頭の中で鳴り響いている。

フルクサスを語る190119

塩見允枝子先生の《無限の箱から—京都版》の最終曲「多元的ロンド」。

ロープや腕や楽器、声、ピアノ音など、さまざまな次元の回転を複合させた作品。

 

最初に演奏された一柳 慧さんの《電気メトロノームのための音楽》も予想以上にパフォーマンスが新鮮だったが、投影されたスコアの絡まり合う美しいラインは、ニューヨークの地下鉄の路線図がベースと聞いた。

 

この日の演奏をしてくれた音楽家にはユニークな人が多かった。

大井卓也さんは京都芸大の声楽出身で、よく塩見先生のワークショップでも演奏いただくが、たんぽぽの家のスタッフとして、障害のある人たちの創作活動にも関わっているそうだ。

北村千絵さんも声楽出身だが、今は専門をVoiceとして、声を使ったパフォーマンスや、ダンサーとのコラボレーションもしている。

上中あさみさんも打楽器の可能性をさまざまに追求しているし、橋爪皓佐さんもギター、作曲、映像やパフォーマンスとマルチだ。

山根明季子さんは、以前も会ったことがある意欲的な作曲家・ピアニストだが、ソーシャルキッチンで10時間の持続音による即興的なインスタレーションをしたという。

通崎睦美さんや山上友佳子さん、深川和美さんら、京芸音楽学部出身の何人かのユニークな人を知っているが、多方面でオルタナティブな活動をしている人が意外にいるということを知った。

「発酵をよむ」展で和琴を演奏いただく中川佳代子さんは、一柳 慧さんが卒論の指導教官で今も懇意だという。

世間は狭い。

 

時間軸をどう作品に取り込んでいくか、さまざまなものと地続きで「端のない」作品/芸術活動をどう展開していくか、

やるべきことの多さにクラクラするが、まずは自分が生きていることをじっくり味わい楽しむことが大事、と塩見先生に諭された公演会だった。

明日はなんとセンター試験の監督。

たぶんこれで最後になると思うが。