le nettoyage du canal Takasegawa vol.18

20 mars 2019, mercredi


夜、春の崇仁テラス設置と川掃除のチラシを出稿する。

いつもの印刷会社のデータ受信にやたら時間がかかり、この日じゅうに送信完了しない懸念があって、深夜、印刷会社とやりとりする。

深夜まで会社に詰めて顧客対応に当たる社員もたいへんとは思うが、ブラックな仕事の進め方は、ぼく自身のスタジオそのものがやっている。作品制作だけしてたらいいのに、デザインもする。休みも娯楽もない日々。

高瀬川保勝会チラシ

 

]というウェブサイトがいつのまにかできている。

芸大の基本設計などの資料がダウンロードできるようになっている。

そこに、昨秋、ぼくが元崇仁小学校でやった「水の生きものでアートする」の展示光景が唯一の絵としてアップされている。

知らせてくれてもいいのに、と思う。子どもたちが描いた絵だからヴィジュアルとして使ったのだろう。

だが、ここまで導いた人間がいたことは無視。ヴィジュアルの生産者は無産者である。

 

・・・

この日、午前中は、十三回忌を忘れてしまった父の墓参。

三笠霊園の高台の上は無風だった。生駒山がはっきり見える。

 

墓の敷地の草抜きをしていると、スミレの若葉。

 

Lit de rivière

2 mars 2019, samedi

 

2月半ば、1月26日のシンポジウムでの不十分な発表をまとめ直した。

いいかげんなイメージ・スケッチはそのまま載せた。

京芸のキャンパス・デザインに地域の場所性・歴史性が造形的に組み込まれていないのは残念なので、という話。

 

創造の河原1

こういう「河原」ができたら、それこそ京都芸大は「川の上のテラス」という基本コンセプトに立ち戻ることができる。

それに北側の団地が京芸に背を向けているが、高瀬川と河原が団地の大人や子供の憩いと交流の場になる。

地元にも開かれたという学食も近くにある。京都駅に近いから観光的な魅力もあるだろう。

 

京都芸大は基本設計が終わって、4月から実施設計に入る段階だから、これらのプランが実現するのはむずかしいだろう。

それに東九条の氾濫原提案は芸大の敷地から離れている。

また万が一この案が実現されることになると、仕事が増える。高瀬川の水流不足という問題もある。

だが、気候変動で日本各地で洪水が多発するなか、川と人の新しい関係を提案することは、高瀬川を持つ京都ならではの発想ではないか。ネオ東山文化は、多文化・多生物が共生する京都駅東南の「河原」から始まる、と。

しかしそれよりも、どこまで京都と京都芸大につきあうかという個人的問題もある。そもそもぼくは他所者なのだ。

 

この日(3月2日)の午後は、崇仁高瀬川保勝会の川掃除。

川掃除

中心メンバーの3人以外に、参加者はこのところ決まっている。

市営の共同浴場を管理している都総合管理株式会社の太田さん、京都景観フォーラムの辻野隆雄さん。立命館大生の藤原君はやたら熱心。もう中心メンバーだ。

地元住民は「ご苦労さん」と声はかけても参加しない。

 

西側では団地ビルの建設が進んでいる。

右に来る京都芸大B地区にとっては、目の前に高層団地の壁が建つわけだ。

コの字型配列の中庭になる部分。

崇仁

 

川掃除のあと、ワークショップと称して、近くの白蓮寺跡から崇仁ゆかりの石灯籠を救い出してきた山内さんが説明する。

 

地図

高瀬川が開削された1614(慶長19)年まもない頃の地図にある白蓮寺(時宗)。今は山科に移っている。

金光寺は今もある。東本願寺の枳殻邸(1653年石川丈山が造園)はまだなく、塩小路村とある。七条通に材木などを運んできた船のたまり場がある。高瀬川の東側と鴨川のあいだは畑。金光寺の東には火葬場とある。

当時の日本の人口は1800万人くらい。京都のこの辺りは閑散としていただろう。

山内さんが非人小屋と付箋をつけている辺りは、今の京都駅の北あたりか。

*『慶長昭和京都地図1611-1940』(柏書房)から。

 

La préparation insuffisante

26 janvier 2019

 

故郷の家・京都での「高瀬川・つながるシンポジウム」

制作と授業で準備時間がまったくなく、当日の昼前からようやく準備にとりかかる。

京都芸大B地区の河原造園と、東九条高瀬川の氾濫原公園のぞんざいなスケッチ。

esquisse

esquisse

 

プレゼン用に画像など集めるが、新しいMacBook Proのプレビューでファイル表示に問題発生。ファイルが順番通り並ばないのだ。

jpgとpsdとpdfというふうに異なるファイル形式を混在させているためか、それぞれ別のウィンドーが開き、かつファイル名の頭にふった数字の順に並ばない。

外は雪が舞っている。熊本では震度5弱の地震があった。

吹雪のなかを単車を飛ばして、16時開始のところ20分以上遅れて会場到着。

故郷の家・京都の奥のスペースに来場者が30人ほど集まり、すでに山内政夫さんの発表は終わったあとだった。

シンポ190126

会場にはぼくがデザインしたチラシが大きく引き伸ばして掲示されていた。

たぶん柳原銀行記念資料館の稲野さんらの仕事。

 

ほかの発表者がしっかり準備してパワポで発表するところ、「オレタチカワラモノ」と銘打ったぼくは、例の新Macのプレビュー問題であたふたと画像探して提示、話もしどろもどろで途切れて終わる。シンポでの発表とかを自分の仕事と思っていないことが丸出しだ。

 

「河原」を新しい創造的空間のメタファーとするネオ東山文化というのがあるとすれば、それは自然と渡り合って共生する「野生 sauvage」を鍵とする。それがかつての東山文化とのちがいになるだろう。

 

 

Symposium "Se lier par la rivière" 26 jan.2019

12 jan 2019

 

1月26日(土)の「川デツナガル」のシンポジウムについて、連絡がないので、中止かなと思っていたら、やはりやるということで、文字原稿が水曜に中村伸之さんから届いた。

どうも内部の調整に難航していたらしい。

今年は停滞するかも、いや今年で終わるかもしれない気もする。

外部の人間が熱心で、かんじんの地域の人が動かない「まちづくり」。他所者である自分としては引き際を考える。

 

頭が作品制作に向っているので、頼まれたチラシのデザインに時間がかかってしまった。

今回はビジュアル優先でいく。

 

川デツナガルシンポ190126

川デツナガルシンポ190126

 

このシンポジウム、ぼく自身も発表しないといけなくなっているのだが、準備の時間が足りない。

それよりも発酵展との制作との兼ね合いが問題だ。27日から搬入予定なのだ。

 

nettoyage du canal Takasegawa vol.15

21 novembre 2018, mercredi

 

仕事の合間を縫って、12月1日の川掃除のチラシをデザイン、この日、芸大の研究室から無事出稿をはたす。

 

崇仁高瀬川保勝会191121

崇仁高瀬川保勝会191121

11月3日の「川デツナガル」を見ていない人にもわかるように、イベント内容をコンパクトな報告書ふうにまとめた。

 

崇仁高瀬川保勝会が地元の人との交流ができないため、せっかくフライヤーをつくってもどこまで配布してくれるのか。

(地元の人というのは、高齢化して地域のことに関わる気持ちも体力もない人たちのこと。)

外からいくら旗を振っても動かない。

逆に言うと、ぼくがつくるポスターやチラシ、そして《崇仁テラス》やワークショップが、かろうじて実体のない崇仁高瀬川保勝会の顔つきに実体らしきもの(=旗)を与えているだけなのだ。

文字通り、「カバー」としてのデザイン。

ポスターやチラシが外部の人にいい印象を与えているとすれば、それなりに役立ってはいるが、実体のないものに仮の実体を与えているだけとすれば、デザインの根本的意義から考え直さないといけない。