Faire des lettres

13 decembre 2019, vendredi

 

ぼくは来年度、総合基礎実技の委員長を務めないといけない。

研究室が資材でごったがえしているので、この日のミーティングのために廃材で棚を手作りした。

総合基礎

昼休みは、次年度の総合基礎の課題に関するミーティング。

よくできる作家=教員がそろっているので、アイデアは豊富だが、敷居の低い課題にどう落とし込むかがポイント。

 

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4コマ目は大学院の造形計画特講ゼミ。

この日はVDの永井攻君による「文字をつくる」ワークショップ。

紙の上でやると思っていたら、パネルや虫ピン、ストロー、ビスケット、付箋紙を持ち込んでくれたので、3次元で考えることができた。

文字的造形文字的造形

ワークショップはぼく自身も参加する。自分とちがう発想からはじめて造形するのが何とも楽しい。

異質な発想にふれることは、自分自身の造形思考を見直すことにもつながる。

学生たちは文字のかたちの再現をめざして単素材でやる者が多いが、かたちではなく構造に着目すると、異種素材を組み合わせていろんな造形が自由にできることに気付く。

「上・中・下」にトライしてみた。見る角度も文字ごとに変えてみる。「中」がシンプルで気に入っている。

文字的造形

POT。

文字的造形

一番最初につくった「平らでない平ら」。「FLAT」というのも同じく付箋紙を丸めながらやってみた。

文字的造形

文字的に見えるかたちを自由に配するのには原始的な悦びを感じる。なぜだろう。記号の生成?

 

ともかく文字の(による)造形というのは、面や量塊による造形と並ぶ「線による造形」の根源で、とても可能性に富んだ領域だと思う。線から面へ、面から空間へと展開できる。

文字的造形

赤松学長にプレゼントするものができた。

京芸の大学名が話題になる昨今、これはつぶされるか、捨てられるか、それとも飾られるか。

 

 

Le dernier essai de Doctor Nakamura

9 decembre 2019, lundi

 

『ペシャワール会報』142号が郵送で届いた。

衝撃をもって受け取った。

中村哲先生が12月4日に襲撃されて亡くなってまもないからだ。

発行日も2019年12月4日とある。

封筒に会長の村上優氏の挨拶状が入っていて、「悲劇は142号を発送しようとしている日に起こりました」とある。

 

ぼくがペシャワール会に入ったのは2004年。

それ以前から中村先生の大地にかける姿勢、土木作業の現場で生まれてくる思想に大きな影響を受けてきた。

 

『会報』を開くと、中にいつものように中村哲先生の巻頭エッセイが載っている。

ペシャワール会に頼んで、このブログに掲載させてもらうことにした。

 

ペシャワール会報142

 

「12月 ジャララバードにて」とあるから、先生の対外向けの最後の文章かもしれない。

 

この号には、ほかに、ガニ大統領よりアフガニスタンの市民証をじかにもらったことへの短文と、「水のよもやま話(5)柳の話」と題したエッセイ、さらに緒方貞子さんへの追悼文が載っている。

「柳の話」などは、河川工学・植物学・文学の知識が一体となった中村先生の深い人間性をうかがわせ、あらためて畏敬の念を覚える。

 

『ペシャワール会報』142号は、今後、歴史的社会的にも特別なものになるだろう。

 

 

Angle du Temple Hou-on-ji_4

7 decembre 2019, samedi

 

崇仁高瀬川保勝会の定例の川掃除のあと、16時ごろに報恩寺へ。

「報恩寺の角度」展が明日までなのだが、初日に行ったくらいで、まったく会場に行けてなかった。

最終日も行けないので、見納めのために単車を飛ばした。

 

報恩寺の角度

報恩寺の角度

一番気に入っていた土塀とその上の瓦は無事。よく落ちないものだと思う。

落ちてしまえば、土壁の寿命はとたんに短くなるだろうが。

報恩寺の角度

ここも変わりない。

報恩寺の角度

「角度物件」が増えている。住職か?

 

報恩寺の角度

せめて矢印だけでもいいものをなぜ足跡までつけるのか。この指示書きが本展の出発点の一つ。

報恩寺の角度

DENKITOMBOの渋い光のインスタレーション。

色が前より目立つが、角度のせいか。

報恩寺の角度

地図を持って歩く来場者。ほかにも狛狐の左耳を見ている来場者もいた。

美術家の視覚的思考をそのままシェアできるようにしたが、どれくらいの人が楽しんでくれただろうか。

美術関係者や玄人の受けはよいと聞いたが、、、。

 

地図は展覧会後も機能する。

来場者は多くなかったそうなので、たくさん残ったはずだ。

引き続き使われるといいなと思う。

 

Dr. Tetsu Nakamura est tué.

4 decembre 2019, mercredi

 

心の師として尊敬していた中村哲医師が、ジャララバードで、12月4日朝、銃撃されて死亡した。

待ち伏せした数人の犯人による卑劣きわまる犯行。

 

中村先生の仕事を知ったのは、2000年代初めにさかのぼる。

90年代半ばに汚染地下水を凍らせる仕事をしたときから土木的・インフラ的なことに関心を持っていた。

流れる水の先端に魅かれていた。

新開地のプロジェクトでそれを実行に移すなか、アフガニスタンで井戸を掘る中村先生の姿をテレビで見た。

まだ用水路開削に取り組まれるまえのことだ。

 

中村先生が「緑の大地計画」の開始をジャララバードのPMS事務所で宣言したのは、2003年3月12日。

先生はその前年末に10歳の次男を脳腫瘍で亡くされていた。

「おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ」(中村哲『医者、用水路を拓く』石風社、p.77)との決意が、途方もない用水路開削事業の起点にある。

 

ぼくにとって決定的だったのは、クナール河の取水口から初めて水がマルワリード用水路に流れこんだ光景だった。

その水の流れの先端に心底戦慄した。テレビの画面越しとはいえ、あれほど美しく力強い水の流れを見たことはなかった。

 

2006年夏前、文化庁在外研修でパリに行く前にペシャワール会に入ったと記憶する。

 

中村先生と実際にお会いしたのは、2010年の「生存のエシックス」展(京都近美)のときだった。

「水のゆくえ」と題した中ハシ克シゲさんとの共同プロジェクトで、中村先生を講演会にお呼びしたのだ。

中村先生は帰国のたびに各地で講演会を開いて、その講演料をペシャワール会やPMSの活動に当てておられた。

 

アクアカフェ

アクアカフェ

当時の記録写真に、中村先生の横で能天気に笑っている自分を見つけた。

高速道路で壊された古民家の土塀の土と琵琶湖疎水の水をこね、《アクアカフェ》というのを京都国立近代美術館の前で現場制作していて、つくっているときは琵琶湖疎水第一竪坑建設の犠牲者に捧げると意気込んでいた。だが、実際に中村先生とお会いして、自分の矮小さがとても恥ずかしくなった。その恥ずかしさをごまかそうとしてぼくは笑っているのだ。

「展覧会」という枠のなかで(あるいはその枠のために)「作品」らしきものをつくる「美術」。

美術をやることの疑わしさをかかえたまま、ぼくは美術を続けている。

 

そんななか、中村先生は次男のもとに旅立っていかれた。

ぜったいに死ぬまで忘れてはならない人だ。

 

 

La pompe s'est mise en marche enfin !

3 decembre 2019, mardi

 

長年(10数年以上?)動いていなかった京都芸大の池のポンプがこの日、再稼働した。

うっそうと茂った池のまわりの雑木を一人で剪定しはじめた夏、毀れたポンプの存在を知った()。

水は動かないと淀んでにごる。そのにごった水面をうっそうとした雑木が取り囲んで、せっかくの池を人々から遠ざけていた。

芸大池

1980年、沓掛移転後まもない池の光景

 

その池の水面を再び人々に親しみあるものにするには、

1)池を見えやすくすること 2)池の水がきれいになること が必要だ。

1)の方は徐々に剪定を進めることができる。

だが、2)をどうしようかと思い、ポンプの修繕を総務課の玉置さんに頼んでいた。

「沓掛時代最後の世代の京芸生にすてきな学びの環境を」、との主張を聞いてくれ、12月3日(火)朝、早々にポンプが再設置になった。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

ほぼ同じ形式。200Vでこのクラスでは出力が最大、と中川工業所の金井洋介メンテナンス課長。

のこと。

芸大池ポンプ

空気を送る塩ビ管。1本2.5mくらいのを2本。もっと長くして池の真ん中まで伸ばしてほしいが、管の先が底の泥にひっかかって、これ以上長いのは無理らしい。

まあつなぎ方がわかったので、暖かくなったら池に入って工作すればいい。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

底の泥が巻き上がって池の水がにごる。

芸大池ポンプ

送気管を2本にする。一方には孔を数箇所あける。

芸大池ポンプ

 

動画→ https://youtu.be/zaZjGbFKF1Y

 

芸大池ポンプ

タイマーで月〜金の10時〜17時稼働と設定。しばらく様子を見ることにする。

芸大池ポンプ

夏前のこの暗くにごった池が、みずみずしくよみがえるだろうか。