Suujin Terrasse decomposée

2 decembre (samedi) 2017

 

毎月第1土曜は、高瀬川掃除の日。

suujin-terrace

 

かねてからの約束通り、この日に「崇仁テラス」を撤去することになっていた。

春に再設営することになっているとはいえ、何があるかわからない。これが見納めになるかもしれない。

 

高瀬川の西側の空き地も、来春には団地の建設工事が始まるから、これが最後の秋になるだろう。

 

terrain vague Suujin

空き地の草地越しに団地を望む。この風景も数ヶ月後には消える。

 

消滅することがわかっている空き地のなかにいて、風や光を感じていると、なんだかとても幸せだ。

今回の《テラス》は、それ自体は「美術作品」ではないかもしれないが、周りとの関係性でこれまでにない感触があった。

何よりあの制作がなければ、こうした省察と官能の時間は持てなかった。

それをもたらしてくれたのは、建築ではなく美術をしていたからで、やはり美術には感謝しなければならない。

 

朝9時から一人で床板にしていた足場板54枚をはずしにかかる。

13時半からの掃除後、高瀬川保勝会の山内政夫先生や中村伸之先生、崇仁発信実行委員会の藤尾まさよさんらが手伝ってくれる。

現役の芸大生も初めて作業に参加。

 

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足場板を岸に渡して資材運搬の近道をつくる。

 

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苦労したジョイント部分。揺れもしなかったから、この組み方で正解だった。

 

suujin-terrace

地元の少年(仁君)が手伝いたいと言ってやってきた。

父親が大工だそうだ。旋盤工の父のもとでいろんな工作作業をやっていた自分の小さいころを思い出す。

来春、桜の咲くころに再建するからいっしょにやろうと言うと、うれしそうにうなずいてくれた。

立っているのは崇仁鉾保存会会長の林伊佐雄さん。

 

いつも何でも一人でやっているので、手伝いの人がいるとじつに助かる。

 

suujin-terrace

資材は旧崇仁小学校体育館西側にコンパクトに収納。

看板をうらがえして保管場所に立てておく。

今回の一番の成果は、テラスの設置場所と作業場兼資材保管場所を同時に確保できたことだ。

来春、またここで作業できれば。

 

 

Ponso no Tao

27 novembre 2017 (lundi)

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

夕方5時すぎ、+1 art の年末チャリティ企画展「12 messages 2017 : 海 Ocean」に搬入。

 

作品は昨年のKunst Arztの企画展「フクシマ美術」の出品作 "3 Horizons" の小さな続編という感じになった。

使った写真は "3 Horizons"では使わなかったもの。

いずれも台湾・蘭嶼島の核廃棄物貯蔵施設の壁面装飾画。

 

例によって、パーツ間の形態的意味的照応を制作原理にした。

写真の内と外、珊瑚と石膏の人体、頭髪とプラスチックと金属の冠り物・・・

「臭いものの蓋」として使われる美術/装飾、というのはあとからの理屈。

 

昔、タオ族が自然とともに生きていた環境では、原発のエネルギーは必要なかった。

海は漂流する不可視のマイクロプラスチックのスープと化していく。

トビウオ漁のための深い笠は、その海面にどのような影を落とすのか?

その影こそが主題だった。

戦闘準備だ!

 

Ponso no Tao

 

2016年夏の蘭嶼の旅は本当に刺激的だったが、忙しくてこの備忘録に記録をアップできていない。

この9月のことだが、やなぎみわさんと「漂流するアクアカフェ」について打ち合わせしていたとき、彼女も蘭嶼に行ったことがあると聞いて、びっくりした。蘭嶼まで行く日本人アーティストがほかにもいたのだ。

 

ぼくは原住民の自然観・世界観、そこから来る生活の造形に関心がある。

何せ台湾の大学教授に「あなたの考え方は原住民と似ている」と言われたくらいだ。

彼らも大地反私有の考え、「無縁」の思想を持っているのだろうか。

 

Ponso no Tao

台電蘭嶼核廃棄物貯蔵場(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

蘭嶼 核廃棄物貯蔵施設近くの野外教会にて(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

伝統的なタオ族の住居・地下主屋。野銀村の旧集落にて(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

同じく「涼台」。ここで海を見ていた老人は日本語を話した。(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

蘭嶼文物館(民俗資料館)のまえに地下家屋の実物大模型がある。

 

 

au Canal Lac Biwa

20 novembre 2017 (lundi)

 

この日、京都市上下水道局から、琵琶湖疏水通船復活事業の試乗会へのお誘いをいただいた。

琵琶湖疏水の3つのトンネルの出入口の扁額、第一竪坑、蹴上インクラインの三十石船、そして四ノ宮舟溜りの案内板のデザインを無償で引き受けたことへの謝礼として。

 

琵琶湖疏水クルーズ

 

12時に三井寺前の水道局疏水事務所大津分室に集合して、12:25乗船、13:15蹴上で下船というスケジュール。

試乗は2回目だった。以前は2015年4月8日。

 

琵琶湖疏水クルーズ

ボートは新調。

救命具を完備した12の座席。屋根がアクリル板になっている。以前は屋根はビニールだった。

 

琵琶湖疏水クルーズ

2015年4月8日の試乗会で。

琵琶湖疏水

琵琶湖疏水の断面(田邉朔郎の設計図から)。水深は約1mと浅いので、ボートはほぼ平底。

 

琵琶湖疏水はかつては貨物輸送でも使われていた。1894(明治24)年から1951(昭和26)年まで、資材だけでなく、遊覧船も運航されていたそうだ。

高瀬川もそうだが、川や運河が物流の幹線道路だったのだ。

自動車や鉄道の発達で川から道路に物流回路が移るにつれて、人や物を運ぶという川の役割は衰退する。

頭ではわかっていても、ぼくはかつての時代を知らないから、なかなか実感がわかない。

 

琵琶湖疏水クルーズ

第一トンネルの入り口。

まえは気がつかなかったが、扁額(伊藤博文「気象萬千」)の上にアルファベットで設計者のSAKURO TANABEの名前が刻まれている。

扉は琵琶湖が増水したときに閉じて水量を調節するためにつくられたそうだが、一度も閉じられたことがないという。

まもなく琵琶湖側の水門ができたからだそうだ。

 

琵琶湖疏水クルーズ

 

琵琶湖疏水クルーズ

いつも思うが、第一トンネルのなかでもっとも感動的なのが第一竪坑の真下。

この日は地下水がシャワーのようにふりそそいでいた。

アクリルの屋根が役に立っている。

船は停まれない。進みながら上を見上げる。第一竪坑からまぶしい光が水とともに降り注ぐ。

 

この穴を掘るとき、何人も命を落とした。

2010年に近代美術館前に作った《アクアカフェ》は、第一竪坑をモデルにしていた。

琵琶湖疏水関連のデザインに関わることになった機縁でもあった。

 

琵琶湖疏水クルーズ

第一トンネルの出口。

疏水沿いの秋の景色が美しい。

 

琵琶湖疏水クルーズ

 

四ノ宮舟溜の工事がかなり進んでいた。山科乗下船場になるのはここか?

デザイン下案内板の設置は月末という。

 

琵琶湖疏水クルーズ

第3トンネルの手前、田邉朔郎が試作したアーチ型のコンクリートの橋(1903年)。

「本邦最初鉄筋混擬土橋」。鋼鉄のギプスで保護されている。

 

蹴上の下船場で、疏水事務所のもと所長の岡本繁樹さんが現所長さんらといっしょに待っていて下さった。

 

GKとかのデザイン会社に頼めば数十万を越える仕事を無償でやり続けている。

それも2010年の岡本繁樹さんとの出会いからだった。

120周年にもなるのに世間からあまり省みられない琵琶湖疏水をなんとかもっとアピールしたいとの岡本さんの熱意をうけて、扁額案内板のデザインを引き受けたのがきっかけだった。

看板業者への発注代が当時の予算だった。

デザイン費というのがたぶん水道局や京都市の支出項目にないのだろう。

その扁額が来春に始まる観光事業の目玉のひとつになっている。

 

社会的な仕事を個人的な友情でやるというなんとも不思議な事態。

アウトローらしいぼくにふさわしいのかもしれない。