prunier

8 mars 2019, vendredi

 

3月8日は、の13回忌だった。

12年目なので、うっかり勘違いしていた。

父の戒名「心月院梅峰明善居士」は、梅の季節を詠み込んだいい戒名だと想う。

毎年、この時期、庭の梅が咲く。

 

梅

 

先日(3月3日)、盆梅展というのを米原の薬草の里文化センターで見た。

盆梅

「盆」は、自然を玩物化する極東アジアの文化風土に根ざした文化装置だ。

 

盆梅

 

ぼくが愛でるのは、さまざまなものの非意図的で遊戯的な関係性だ。

これは「盆・・・」、なんと言おう。

とりあえず「盆雑」としておこう。

一見偶発的で雑然としているが、複数の必然性が要素をちぐはぐに関係づけていて、それが予期しえぬ美的かつ生態的効果を生んでいる状態、と言ったらいいか。

普通の人間が見向きもしない「雑草」を愛でる感覚でもある。

 

 

Lit de rivière

2 mars 2019, samedi

 

2月半ば、1月26日のシンポジウムでの不十分な発表をまとめ直した。

いいかげんなイメージ・スケッチはそのまま載せた。

京芸のキャンパス・デザインに地域の場所性・歴史性が造形的に組み込まれていないのは残念なので、という話。

 

創造の河原1

こういう「河原」ができたら、それこそ京都芸大は「川の上のテラス」という基本コンセプトに立ち戻ることができる。

それに北側の団地が京芸に背を向けているが、高瀬川と河原が団地の大人や子供の憩いと交流の場になる。

地元にも開かれたという学食も近くにある。京都駅に近いから観光的な魅力もあるだろう。

 

京都芸大は基本設計が終わって、4月から実施設計に入る段階だから、これらのプランが実現するのはむずかしいだろう。

それに東九条の氾濫原提案は芸大の敷地から離れている。

また万が一この案が実現されることになると、仕事が増える。高瀬川の水流不足という問題もある。

だが、気候変動で日本各地で洪水が多発するなか、川と人の新しい関係を提案することは、高瀬川を持つ京都ならではの発想ではないか。ネオ東山文化は、多文化・多生物が共生する京都駅東南の「河原」から始まる、と。

しかしそれよりも、どこまで京都と京都芸大につきあうかという個人的問題もある。そもそもぼくは他所者なのだ。

 

この日(3月2日)の午後は、崇仁高瀬川保勝会の川掃除。

川掃除

中心メンバーの3人以外に、参加者はこのところ決まっている。

市営の共同浴場を管理している都総合管理株式会社の太田さん、京都景観フォーラムの辻野隆雄さん。立命館大生の藤原君はやたら熱心。もう中心メンバーだ。

地元住民は「ご苦労さん」と声はかけても参加しない。

 

西側では団地ビルの建設が進んでいる。

右に来る京都芸大B地区にとっては、目の前に高層団地の壁が建つわけだ。

コの字型配列の中庭になる部分。

崇仁

 

川掃除のあと、ワークショップと称して、近くの白蓮寺跡から崇仁ゆかりの石灯籠を救い出してきた山内さんが説明する。

 

地図

高瀬川が開削された1614(慶長19)年まもない頃の地図にある白蓮寺(時宗)。今は山科に移っている。

金光寺は今もある。東本願寺の枳殻邸(1653年石川丈山が造園)はまだなく、塩小路村とある。七条通に材木などを運んできた船のたまり場がある。高瀬川の東側と鴨川のあいだは畑。金光寺の東には火葬場とある。

当時の日本の人口は1800万人くらい。京都のこの辺りは閑散としていただろう。

山内さんが非人小屋と付箋をつけている辺りは、今の京都駅の北あたりか。

*『慶長昭和京都地図1611-1940』(柏書房)から。

 

Horio et Pulu

2 mars 2019, samedi

 

入試のシーズンが終わった。

 

少し前になるが、2月13日、堀尾昭子さんから封書が届いた。

発酵をよむ」のインスタレーションが故・堀尾貞治さんを意識した側面があったことをお伝えしての返信だった。

なかに堀尾さんが10月23日に描いたドローイングが入っていた。亡くなる10日前だ。

本日、やっとふさわしい展示場所を見つけて掲げた。

スタジオの天井だ。

横にプルのデッサン。

2002年6月13日、3歳で亡くなったウサギを死後すぐ描いたものだ。

横にプルがかじったベニヤ板をつけている。

このブログのタイトルはプルに由来する。

 

部屋の天井には、天に召された人や生きものが次々と増えていく。

ぼくがそこから世界を観る場所だ。

 

堀尾

 

 

atterrissage sur l'astéroïde: Ryugu

22 février 2019, vendredi

 

2月22日、7:29(JST)、はやぶさ2が小惑星リュウグウのLO8地点に無事タッチダウン着陸した。

高度20kmのホームポジションからの降下は5時間おくれたが、90cm/secと2倍の速度で降下し、予定より早く着いたという。

電波到着は19分かかるので、歓声があがったのは7:48。

サンプル採集のための弾丸も着地とともに発射されたことが確認され(温度上昇検知)、無事コンテナにリュウグウの表面の断片が納められ、まもなく計画通りの上昇も確認されたという。

新開発の技術がターゲットマーカーを使ったピンポイント・タッチダウン。

ターゲットマーカーは、惑星の表面に落とされたときにできるだけバウンドせず転がらず、お手玉のように、その場にベチャリととどまる。

殻の中に樹脂製のビーズが入っていて、それがランダムに動くことで衝撃を吸収する。4本の脚が回転をとめる。

そして表面ははやぶさ2のフラッシュを反射して光る。いわば光るお手玉灯台だ。

この灯台を頼りに6m四方の精度でタッチダウンする。

 

リュウグウの表面には、砂が舞い上がり、噴射時の黒い痕跡が残った。

新しい技術でもって人類が未踏の小惑星につけた痕跡。

プロセスを聞けば聞くほどユニークで、手探り感があふれている。

 

真の「目標」というは「点」なのだ。

この「点」に向けて、打ち上げから運行、惑星の形状把握、着陸地点の確定、降下、弾丸発射に至る膨大な検討と努力が多くの研究者・技術者によって積み重ねられ、計画の細部がそのつどきわめて執拗かつ綿密に遂行される。

点ははるか遠く、それへの到達がスリリングであればあるほど、人々の創造力を高め、意欲をつないでひとつにする。

そういうことがよくわかる。

 

小惑星リュウグウは、はやぶさの際のイトカワがS型(ケイ素系の岩石質)だったのに対し、C型、つまり炭素系であり、有機物や水を含む。小惑星には太陽系創生当時の原始の星間物質における元素組成の情報が残るが、C型では海の水の起源や生命の原材料に関わる情報が含まれる。

科学的意義はそこにあり、解明は科学者にゆだねられるが、そのための工学的技術的工夫の方に感動するぼくは、やはり根が技術屋なのかなと思う。

 

 

Yoshida-Ryo / Yoshida-Pension

20 février 2019, mercredi

 

京大吉田寮の問題は、ひとえに寮の学生自治を嫌う川添信介理事という個人の非人格的で愚劣な資質に起因する。

問題の根はこいつだろうと思っていたが、ニュースで質問する記者を小ばかにした川添のしゃべり方を聞いて、確信した。

立看規制を打ち出したのも、団体交渉もいっさい受け付けないのも、この男なのだ。

 

もと吉田寮生として、川添の一方的な退去通知を腹立たしく思っていたが、ぼくは当時も今も単独行主義なので、自治会や元寮生の会の動きに同調しにくい。寮生の大半が芸術表現に関心のない吉田寮に特別な愛着はないし、一部のマスコミや部外者が吉田寮を理想化するのは、レア感から来る幻想だと思っている。

そもそも京大出身でありながら、正義のインテリ言論人たちとはちがう価値観で生きてきた。

 

今は京大と寮の動きをつかみながら、見守るしかないだろう。

 

2月12日、京大は、築100年以上の旧棟と2015年にできた新棟からの全員退去を求めた従来の方針を一部転換。寮生が入寮募集をしないことを寮生の新棟居住の条件として挙げた。

これに対して、20日、吉田寮自治会が、旧棟からの退去を条件付きで認める提案を大学側に提出した。

妥協と譲歩を示して、一度も話し合いに応じたことのない川添を話し合いの土俵につかせる戦略か。

だがもしぼくが寮生なら、こういう賢い行動をとることはないだろう。

川添のようなおぞましい人間と話し合うことが嫌いだからだ。

そもそも彼は吉田寮の自治を認めるという条件が気に入らないとして話合いに応じることはないだろう。

たとえ応じたとしてもポーズだけだろう。

学問研究より、学内の管理強化が思うようにできる副学長という地位と権力が好きな男だ。

ぼくは川添を認めることは絶対にできない。

 

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