Noren

9 novembre 2019, samedi

 

崇仁〜京都駅方面に展覧会を見に行ったついでに、京芸大学院出身の若手作家らと取り組んだ共同浴場ののれんがどうなっているか、見て回った。

締切はぼくの担当する薬只浴場が9月はじめ、ほかの5浴場は9月末だったが、案の定、10日近く納品が遅れた者がいた。

崇仁には第二浴場と第三浴場の2つがある。

第二浴場は玉井静穂担当。

のれん

外のれんはあったが、内のれんがない。

浴場管理のおばさんに聞いてみると、のれんはかけてすぐ破れたという。

のれん

フェルト綿を使っている。

染織出身の作家らしく、与えられた布を使わないのはいいが、綿ぼこりがひどく、坊主頭のお客さんの短髪にひっかかり、ひどく怒られたという。

代わりに謝る。玉井さんは知っているのか。

のれん

依頼者の都総合管理の方から、制作意図をメールで送るよう頼まれたが、どうするのかと思っていたら、額入りの説明パネルが飾ってあった。

のれん

 

崇仁第二浴場は、毛利愛美子担当。

のれん

染めとパッチワークの混合技法。

のれん

 

崇仁市営団地では、もう引っ越しが始まっている。

崇仁市営団地

崇仁市営団地

崇仁市営団地

この市営団地には各住居に浴室がなかったと思われる。だから共同浴場がつくられたのだ。

市営団地の解体は来春。崇仁第三浴場もそのとき閉じる。

 

それにしても、何だか悲しい。

父が亡くなり、自分が生まれ育った東住吉区中野の長屋を引き払ったときのことを思い出す。

 

京都芸大のテラスCがここに来る。

 

élagage autour de la étang_3

16 octobre 2019, mercredi

 

@KCUA-terrace

before(本家雅衣撮影)

@KCUA-terrace

after

 

この夏前、雑木で覆われた京芸の池のまわりを一人で剪定したことがあった。

池にテラス(@KCUA Terrace)をつくろうという構想のためだった。(→

当初は夏に池の水を減らして底の状態を確認することまで考えていた。

だが8月末からのマレーシア行きや共同浴場ののれん制作、この秋のイベントや展覧会が重なって忙しく、それは延期になった。

ところが先日、ぼくの構想を聞いた学生たちに呼び止められ、いっしょに池をきれいにしてテラスをつくりたいと提案された。

だれも池に関心を持たなくなっていたので、多少とも池の水面を見えやすくした成果かな、とうれしかった。

 

彼らと話してるうち、1995年に京芸に赴任してまもなく、学生たちの要望で "Gゼミ"という自主ゼミを立ち上げたことを思い出した。

そのときのメンバーとは長くつきあいが続き、彼らが卒業後もプロジェクトや展覧会をいっしょにやっている。

当時は「なっちゃん」と呼んでいた女子学生は今、呉夏枝(OH Haji)として国内外で大活躍している。

かつて声をかけてきたのは主に3回生以上だったが、今回は学部の1〜2回生。

Gゼミをやりだしたときは、インターネット黎明期で、スマホもSNSもなかった。

今はみなスマホをもち、SNSで連絡を取り合う。この点が大きくちがう。

ぼくが、なぞめいた面白いネーミングで連絡網をつくったら、と提案したら、さっそく「イケカエタイ」という名でLINEのグループを開設してくれた。

 

この日は最初の作業日。

昼休みに3つの剪定ポイントを検討し、そのうちのひとつに放課後着手した。

午後5時になるともう薄暗くなりかけていたが、1時間たらずの作業で、池の彼岸と此岸をつなぐ視線の「穴」を枝葉のスクリーンに空けた。学生たちは楽しそうだった。

総務課の若手職員も協力してくれ、いい滑り出しになった。

Gゼミのときのように、将来活躍するアーティストが現れてくれるといいなと思う。

 

@KCUA-terrace

 

Timidité (botanique)

12 octobre 2019, samedi

 

超大型台風 Hagibis が東海〜関東地方を襲う。大きな被害が出ないよう祈るばかり。

幸い京都は暴風域がかすめるぐらいですみそうだが、つちのいえが心配だ。

そんななか、10月30日の塩見允枝子先生によるフルクサス演奏会のフライヤーを出稿。

 

shiomi

 

背景には、クアラルンプールのマレーシア国立森林研究所 FRIMで撮った"Crown Shyness"を使った。

Crown Shyness は、樹木の樹冠が互いに触れ合わないようすきまが空く現象で、

仏語の timidité 臆病 が示すように、樹木が互いに分をわきまえて他の領域を侵害しないということだ。

 

塩見先生は芸術資源研究センターの特別招聘教授だが、ぼくの授業「造形計画」がフルクサスと親近性があり、この数年、ゲストにお呼びしたり(2014年)、大学会館でワークショップ型の特別授業をしていただいたりしている(2015年2017年)。

 

この春、「井上さん、今年の授業はどんなことをするの?」と塩見先生から問い合わせがあり、

「空白やすきま、欠けの創造性をテーマにします」と答えたら、

「あいかわらず面白いわね」と返答があり、夏前にワークショップのメニューを届けていただいた。

驚くほど充実した内容だった。

音楽性が高いので、ピアノ専攻の砂原悟先生、作曲専攻の岡田加津子先生に相談し、いっしょに美術・音楽合同の公開式授業をすることになった。

お二人とも東京芸大音楽学部出身で塩見先生の後輩にあたる。

砂原先生からはミニピアノを貸し出していただく(先週の京都コンサートホールでのリサイタルに行けなかったのが残念)。

ミニピアノは鍵盤の数が少ない。まさに普通のピアノから見たら「欠け」ている。

 

塩見先生にフライヤーの校正を送ったら、

何と不思議な樹木の写真でしょう! 

まさに<時間と空間に分け入る>というタイトルにぴったりです。

どうしてこうもシンクロするのでしょう・・・。」と。

 

本当に不思議な縁を感じる。

 

Au revoir l'Ecole primaire Suujin

21 août 2019, mercredi

 

柳原銀行記念資料館から頼まれた秋の特別展「さよなら崇仁小学校」のチラシとポスター2種のデザイン、東北から帰宅後に取り掛かる。

 

デザインは、今回の展覧会のメイン出品物である音声レコードの盤面の五線譜の5本線を発展させて、構成した。

競技トラック、レコード盤の動き・・・

苦労したのは、昭和7年の運動会の記録映像から子供たちの運動する姿を抽出し、切り出すこと。

ほかにもいっぱい切り出したが、使ったのはとりあえずこれだけ。

 

それにしても1932(昭和7)年、この年の前後、崇仁小学校に何かが起こっていた。

伊東茂光校長の働きによるのか。差別を跳ね返すべく、とても高い教育レベルだったらしい。

資料館スタッフの奥山典子さんに教えてもらった当時の動きをもとに、チラシのウラ面にエピソード欄を勝手に作った。

人見絹枝が死の前年にコーチに来ていたとは。

 

土壇場でのタイトルの大きな変更(「崇仁小学校」→「崇仁校」)が入りかけたが、拒否できてよかった。

 

 

 

 

伊東茂光校長時代のエピソードを書いておこう。

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1930(昭和5)年 崇仁小学校が,大阪毎日新聞運動部に所属していた人見絹枝からコーチを受ける。

1931(昭和6)年 崇仁校本館落成式。記念に大公孫樹を植え,校歌「我等の歌」をつくる。

1932(昭和7)年 「静室」を作り,静座して伊東校長の講話を聴いた。10月,全日本女子オリンピック大会学童の部400mリレーで優勝。差別に負けないために始めた陸上競技の最初の到達点。

以後,この大会が終わる1934(昭和9)年まで毎年日本一を達成。地元の熱心な応援もあり,崇仁小学校大運動会も開催される。

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崇仁高瀬川保勝会の川掃除チラシも同時進行でデザイン。深夜に出稿。

 

崇仁高瀬川保勝会チラシ

 

崇仁高瀬川保勝会チラシ

 

藤尾まさよさんが原稿を書いてくれたので、取材などいかなくて済んだ。

 

Poser un plancher

18 mai 2019, samedi

 

車で事故。

忙しすぎるためか、めげる。

 

それでも時間がないので、2時間後、単車で東九条まで赴き、ソルカフェの2階の床材をつくる。

加工場所の崇仁小学校からカフェソルまで切った床材を数往復して手で運ぶ。車がないからだ。

ソルカフェ床

床板は12mm構造用合板(税抜1080円)。コーナンプロ吉祥院に調達に行き、借りた軽トラで8枚運ぶ。

ほかに照明具なども。

夜9時すぎには床板を6枚仮置きする。

喜ぶ女子たち。