Au revoir, Docteur Nakamura.

30 decembre 2019, lundi

 

ペシャワール会報号外

ペシャワール会から会報の号外が届いた。

2004年からの会員だったので、ずっと会報を受け取っているが、こんなつらい号外はない。

中村哲先生の逝去が今年もっともショックで悲しかった。

先生はぼくの英雄だった。医者で河川工学の独学実践者で、真の哲学者にしてアーティストだった。

人間はここまで清く力強くなれる。

その極北の人は、地球温暖化による気候変動を全身で感じておられた。

建物の中=屋根の下ではなく、屋根の外に活動の場があったからだ。

2010年、京都国立近代美術館の前で制作中だった《アクアカフェ》のなかで、先生は「最近はアフガンでも気象の変化が激しくなった」とつぶやくように言われた。その言葉がずっと頭の中に残っている。

 

この号外には、先生の絶筆として、西日本新聞12月2日に掲載された「信じて生きる山の民」と題したエッセイが掲載されている。

そこには、ジャララバード北部クナール河流域の小さな村ゴレークを訪ねたときの様子が記されている。

訪問の目的は、PMSの「緑の大地計画」の最終段階の一環で、ゴレーク村に近いクナール河の河川工事の許可を得ること。

ゴレーク村は、平地で進む近代化・民主化から取り残され、周囲から孤立して昔ながらの風習で人々が暮らしている。

人を寄せ付けぬ保守強固な地と思いきや、神と人を信じることでしかきびしい世界を生きることができない村の人々の心は、意外にも清く澄んで穏やかだった。

先生が書かれている最後の一節を書き写しておく。

「近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層のあいだで東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール河の汚濁はもはや河とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

国土をかえりみぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ――終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。

見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。」(p.12)

 

中村先生のいない2020年代がまもなくやってくる。

 

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ペシャワール会はPMSの事業を継続する。職員も募集している。

12月17日、マルワリードII用水路沿いの植樹に現地の人々がボランティアで水やりを始めたという()。

行動で事業継続の意志が示されている。

 

 

Cheval de Tarr Béla ou les êtres à l'abandon

25 decembre 2019, mercredi

 

ようやく冬休みに入った。

忙しくて映画も見に行けない日々が続いたので、年末、タル・ベーラ監督の話題の7時間映画『サタンタンゴ』(1994)をシネ・ヌーヴォに見に行くことを考えるが、やはり時間的な余裕がないので、やめた。

代わりに彼の最後の作品『ニーチェの馬』(2011)をDVDで購入、クリスマスの夜に観た。

 

舞台は強風吹きすさぶどこかわからない荒野。

物語的な要素を極限までそぎ落として、丘の地平線に囲まれた荒れ地に石と木で家と厩をつくり込み、父と娘、馬の3体を閉じこめる。

モノクロームの美しさが引き立つ暗い室内、狭い縦長窓、窓の向こうに一本の木が立つ丘の寂漠たる風景。

母屋から10数メートル離れて石造りの井戸があり、別の方角に同じく石と木でできた厩がある。

母屋の窓と扉に対応する厩の扉は、荷車を引き出す大きなものと、馬を引き出すものの2つあり、後者は右側が上下に分かれる。

その開け閉めそのものが映画の大きな要素になる。

厩は家側の壁の上部がくずれ、薄暗い室内に光が差し込む。

日々の飲食は、水、パーリンカ(焼酎)、夕食のためのゆでたじゃがいも一個のみ。

ぎりぎりに絞り込まれたセッティングは絵に描けそうなくらいだ。

 

スクリーンは父と娘の人生の終末の6日間を寡黙に映し出す。

4日目には井戸水がなくなり、5日目には火が消える。

 

カメラは物語に追われることなく、事態そのものを見つめることを要求する。その手法が長回しだ。

水がなくなって逃げ出そうとする父娘と馬は、丘の地平線の向こうにいったん消え、また戻ってくる。

カメラは据えっぱなしで、馬の耳が地平線に隠れ、かなり長い時間がたって、また馬の耳が地平線から出てくる。

 

荷車に荷物をのせること、また荷車から荷物を下ろすこと、

普通なら話の筋優先で端折られるであろう一つ一つの身振りを、長回しのカメラがずっととらえる。

運搬作業が人の希望や絶望から切り離され、フィジカルにそれ自体として際立つ。

荷物の重さ、抱えにくさ、それに立ち会う人の身体が。

 

この世界は、人間の思いや行動以外に、それらを支え、取り巻く人間以外の事物や事象からなっている。

両者は固く結びついているように見えるが、そうではない。

じつはすべては「無縁」なのだ。

それがわかるのは人生が終わるときだ。

そのとき、人と結びついていた物たちが人間的意味や記憶から解放され、あちこちに散らばって自由にフィジカルに存在する。

エントロピーは忌み嫌われるので、長くは続かないが、短時間にせよ、希望も絶望もなき事物のニルヴァーナが到来する。

そんな当たり前のことまで思い出させてくれる。

 

これは昔、ぼくが企画展『静物ーことばなき物たちの祭典』(1990)や個展「時間のレッスン」(1993)で示そうとした世界観に近い。

「終わり」を見つめること。世界の根源的な無縁性(à l'abandon)を感受すること。

 

映画通ではないので、『ニーチェの馬』は日本でも2012年に公開され、ずいぶん話題になったことを知らなかった。

仕事に追われ続け、世間から取り残されつつある気分だ。

どうせ無縁だからそれもいいかもしれない。

人も物も「終わり方」はさまざまだ。

 

 

Le dernier essai de Doctor Nakamura

9 decembre 2019, lundi

 

『ペシャワール会報』142号が郵送で届いた。

衝撃をもって受け取った。

中村哲先生が12月4日に襲撃されて亡くなってまもないからだ。

発行日も2019年12月4日とある。

封筒に会長の村上優氏の挨拶状が入っていて、「悲劇は142号を発送しようとしている日に起こりました」とある。

 

ぼくがペシャワール会に入ったのは2004年。

それ以前から中村先生の大地にかける姿勢、土木作業の現場で生まれてくる思想に大きな影響を受けてきた。

 

『会報』を開くと、中にいつものように中村哲先生の巻頭エッセイが載っている。

ペシャワール会に頼んで、このブログに掲載させてもらうことにした。

 

ペシャワール会報142

 

「12月 ジャララバードにて」とあるから、先生の対外向けの最後の文章かもしれない。

 

この号には、ほかに、ガニ大統領よりアフガニスタンの市民証をじかにもらったことへの短文と、「水のよもやま話(5)柳の話」と題したエッセイ、さらに緒方貞子さんへの追悼文が載っている。

「柳の話」などは、河川工学・植物学・文学の知識が一体となった中村先生の深い人間性をうかがわせ、あらためて畏敬の念を覚える。

 

『ペシャワール会報』142号は、今後、歴史的社会的にも特別なものになるだろう。

 

 

Dr. Tetsu Nakamura est tué.

4 decembre 2019, mercredi

 

心の師として尊敬していた中村哲医師が、ジャララバードで、12月4日朝、銃撃されて死亡した。

待ち伏せした数人の犯人による卑劣きわまる犯行。

 

中村先生の仕事を知ったのは、2000年代初めにさかのぼる。

90年代半ばに汚染地下水を凍らせる仕事をしたときから土木的・インフラ的なことに関心を持っていた。

流れる水の先端に魅かれていた。

新開地のプロジェクトでそれを実行に移すなか、アフガニスタンで井戸を掘る中村先生の姿をテレビで見た。

まだ用水路開削に取り組まれるまえのことだ。

 

中村先生が「緑の大地計画」の開始をジャララバードのPMS事務所で宣言したのは、2003年3月12日。

先生はその前年末に10歳の次男を脳腫瘍で亡くされていた。

「おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ」(中村哲『医者、用水路を拓く』石風社、p.77)との決意が、途方もない用水路開削事業の起点にある。

 

ぼくにとって決定的だったのは、クナール河の取水口から初めて水がマルワリード用水路に流れこんだ光景だった。

その水の流れの先端に心底戦慄した。テレビの画面越しとはいえ、あれほど美しく力強い水の流れを見たことはなかった。

 

2006年夏前、文化庁在外研修でパリに行く前にペシャワール会に入ったと記憶する。

 

中村先生と実際にお会いしたのは、2010年の「生存のエシックス」展(京都近美)のときだった。

「水のゆくえ」と題した中ハシ克シゲさんとの共同プロジェクトで、中村先生を講演会にお呼びしたのだ。

中村先生は帰国のたびに各地で講演会を開いて、その講演料をペシャワール会やPMSの活動に当てておられた。

 

アクアカフェ

アクアカフェ

当時の記録写真に、中村先生の横で能天気に笑っている自分を見つけた。

高速道路で壊された古民家の土塀の土と琵琶湖疎水の水をこね、《アクアカフェ》というのを京都国立近代美術館の前で現場制作していて、つくっているときは琵琶湖疎水第一竪坑建設の犠牲者に捧げると意気込んでいた。だが、実際に中村先生とお会いして、自分の矮小さがとても恥ずかしくなった。その恥ずかしさをごまかそうとしてぼくは笑っているのだ。

「展覧会」という枠のなかで(あるいはその枠のために)「作品」らしきものをつくる「美術」。

美術をやることの疑わしさをかかえたまま、ぼくは美術を続けている。

 

そんななか、中村先生は次男のもとに旅立っていかれた。

ぜったいに死ぬまで忘れてはならない人だ。

 

 

La pompe s'est mise en marche enfin !

3 decembre 2019, mardi

 

長年(10数年以上?)動いていなかった京都芸大の池のポンプがこの日、再稼働した。

うっそうと茂った池のまわりの雑木を一人で剪定しはじめた夏、毀れたポンプの存在を知った()。

水は動かないと淀んでにごる。そのにごった水面をうっそうとした雑木が取り囲んで、せっかくの池を人々から遠ざけていた。

芸大池

1980年、沓掛移転後まもない池の光景

 

その池の水面を再び人々に親しみあるものにするには、

1)池を見えやすくすること 2)池の水がきれいになること が必要だ。

1)の方は徐々に剪定を進めることができる。

だが、2)をどうしようかと思い、ポンプの修繕を総務課の玉置さんに頼んでいた。

「沓掛時代最後の世代の京芸生にすてきな学びの環境を」、との主張を聞いてくれ、12月3日(火)朝、早々にポンプが再設置になった。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

ほぼ同じ形式。200Vでこのクラスでは出力が最大、と中川工業所の金井洋介メンテナンス課長。

のこと。

芸大池ポンプ

空気を送る塩ビ管。1本2.5mくらいのを2本。もっと長くして池の真ん中まで伸ばしてほしいが、管の先が底の泥にひっかかって、これ以上長いのは無理らしい。

まあつなぎ方がわかったので、暖かくなったら池に入って工作すればいい。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

底の泥が巻き上がって池の水がにごる。

芸大池ポンプ

送気管を2本にする。一方には孔を数箇所あける。

芸大池ポンプ

 

動画→ https://youtu.be/zaZjGbFKF1Y

 

芸大池ポンプ

タイマーで月〜金の10時〜17時稼働と設定。しばらく様子を見ることにする。

芸大池ポンプ

夏前のこの暗くにごった池が、みずみずしくよみがえるだろうか。