transformation des pains avec les mots populaires mais obscurs

17 janvier 2020, vendredi

 

先週(1/10)の大学院の造形計画ゼミは、京都芸大に赴任してはじめて男子学生ばかりになった。

そのときにまとまった造形実験の計画は、「意味があいまいな流行りの言葉」と「食用のパン」を持ち寄り、パンを加工してかたちをつくり、不確かな意味との対応関係を探るというもの。

造形計画

造形計画

パンを選んだのは、紙粘土や発泡スチロールのような比較的ニュートラルな造形素材ではなく、すでに意味や形がまといついたレディメイドだからだ。

あらためて、なぜ人は、ただ胃腸に入ればいいものにあれこれと意味やかたちを与えるのかと思った。

言葉とパン

カニパン。違和感をあえてかもし出すのか。

言葉とパン

タイ焼きデニッシュ。

言葉とパン

タイ焼き性を強調してみた。

 

アイデアを絞り切って空になった感じのパンたちもだが、ぼくには意味不明の流行り言葉が面白い。

うたかたのあぶくのように、社会にあふれ明滅を繰り返す言葉たち。

その不定形の意味に不定形のパンの造形で応えるのは面白かった。

限りなく無意味で刹那的。なぜかそこに生命の実感がある。

C'est la vie.

 

 

John Baldessari est décédé le 2 janvier 2020.

14 janvier 2020, mercredi

 

授業を準備していて、ぐうぜん John Baldessari が今年1月2日に亡くなっていたことを知った。

急きょ「空白」に関する授業のはじめを彼の追悼にあてた。

合掌。

http://www.baldessari.org/bio

https://dear-john-baldessari.tumblr.com/post/163021263833/markmcevoy-wrong

 

 

 

com-position aujourd'hui 200111

11 jan 2020, samedi

 

[本日のコン・ポジション com-position aujourd'hui]


今日のコンポジション

#200111_1 (元崇仁小学校にて)

 

今日のコンポジション

#200111_2(元崇仁小学校にて)

 

今年は[本日のコン・ポジション com-position aujourd'hui]というのをできるだけ毎日アップするのを自分への課題としよう。

自作・他作・objet trouvé 問わず。

年頭の大学院造形計画ゼミで永井君に「《本日の文字》というのをやってみたらどうか」と勧めてみて、自分ではっとした。

自転車通勤の実践と並んで、自分の日常を心身とともに変革していかねばならない。

 

 

Bonne et heureuse année 2020

1 janvier 2020

 

vœux2020

 

走田神社

すぐ近くにある走田神社が気に入っている。

地味で小さな神社だが、2018年9月の台風で周囲の林が根こそぎになり、丘の中腹にむき出しになっている。

走田神社

走田神社

大晦日の眺めも抜群だった。京都市南部や遠く宇治、はるか奈良の方まで見渡せる。隠れ名所だと思う。

 

 

Au revoir, Docteur Nakamura.

30 decembre 2019, lundi

 

ペシャワール会報号外

ペシャワール会から会報の号外が届いた。

2004年からの会員だったので、ずっと会報を受け取っているが、こんなつらい号外はない。

中村哲先生の逝去が今年もっともショックで悲しかった。

先生はぼくの英雄だった。医者で河川工学の独学実践者で、真の哲学者にしてアーティストだった。

人間はここまで清く力強くなれる。

その極北の人は、地球温暖化による気候変動を全身で感じておられた。

建物の中=屋根の下ではなく、屋根の外に活動の場があったからだ。

2010年、京都国立近代美術館の前で制作中だった《アクアカフェ》のなかで、先生は「最近はアフガンでも気象の変化が激しくなった」とつぶやくように言われた。その言葉がずっと頭の中に残っている。

 

この号外には、先生の絶筆として、西日本新聞12月2日に掲載された「信じて生きる山の民」と題したエッセイが掲載されている。

そこには、ジャララバード北部クナール河流域の小さな村ゴレークを訪ねたときの様子が記されている。

訪問の目的は、PMSの「緑の大地計画」の最終段階の一環で、ゴレーク村に近いクナール河の河川工事の許可を得ること。

ゴレーク村は、平地で進む近代化・民主化から取り残され、周囲から孤立して昔ながらの風習で人々が暮らしている。

人を寄せ付けぬ保守強固な地と思いきや、神と人を信じることでしかきびしい世界を生きることができない村の人々の心は、意外にも清く澄んで穏やかだった。

先生が書かれている最後の一節を書き写しておく。

「近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層のあいだで東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール河の汚濁はもはや河とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

国土をかえりみぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ――終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。

見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。」(p.12)

 

中村先生のいない2020年代がまもなくやってくる。

 

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ペシャワール会はPMSの事業を継続する。職員も募集している。

12月17日、マルワリードII用水路沿いの植樹に現地の人々がボランティアで水やりを始めたという()。

行動で事業継続の意志が示されている。