Angle du Temple Hou-on-ji_4

7 decembre 2019, samedi

 

崇仁高瀬川保勝会の定例の川掃除のあと、16時ごろに報恩寺へ。

「報恩寺の角度」展が明日までなのだが、初日に行ったくらいで、まったく会場に行けてなかった。

最終日も行けないので、見納めのために単車を飛ばした。

 

報恩寺の角度

報恩寺の角度

一番気に入っていた土塀とその上の瓦は無事。よく落ちないものだと思う。

落ちてしまえば、土壁の寿命はとたんに短くなるだろうが。

報恩寺の角度

ここも変わりない。

報恩寺の角度

「角度物件」が増えている。住職か?

 

報恩寺の角度

せめて矢印だけでもいいものをなぜ足跡までつけるのか。この指示書きが本展の出発点の一つ。

報恩寺の角度

DENKITOMBOの渋い光のインスタレーション。

色が前より目立つが、角度のせいか。

報恩寺の角度

地図を持って歩く来場者。ほかにも狛狐の左耳を見ている来場者もいた。

美術家の視覚的思考をそのままシェアできるようにしたが、どれくらいの人が楽しんでくれただろうか。

美術関係者や玄人の受けはよいと聞いたが、、、。

 

地図は展覧会後も機能する。

来場者は多くなかったそうなので、たくさん残ったはずだ。

引き続き使われるといいなと思う。

 

Dr. Tetsu Nakamura est tué.

4 decembre 2019, mercredi

 

心の師として尊敬していた中村哲医師が、ジャララバードで、12月4日朝、銃撃されて死亡した。

待ち伏せした数人の犯人による卑劣きわまる所業。

 

中村先生の仕事を知ったのは、2000年代初めにさかのぼる。

90年代半ばに汚染地下水を凍らせる仕事をしたときから土木的なことに関心が生まれ、流れる水の先端に魅かれていた。

新開地のプロジェクトでそれが決定的になるなか、テレビでアフガニスタンで井戸を掘る中村先生の姿を見た。

まだ用水路に取り組まれるまえのことだ。

 

中村先生が「緑の大地計画」の開始をジャララバードのPMS事務所で宣言したのは、2003年3月12日。

先生はその前年末に10歳の次男を脳腫瘍で亡くされていた。

「おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ」(中村哲『医者、用水路を拓く』石風社、p.77)との決意が、途方もない用水路開削事業の起点にある。

 

ぼくにとって決定的だったのは、クナール河の蛇籠で組まれた取水口から初めて水がマルワリード用水路に流れこんだ光景だった。

その水の流れの先端に心底戦慄した。テレビの画面越しとはいえ、あれほど美しく力強い水の流れを見たことはなかった。

 

2006年夏前、文化庁在外研修でパリに行く前にペシャワール会に入ったと記憶する。

 

中村先生と実際にお会いしたのは、2010年の「生存のエシックス」展(京都近美)のときだった。

「水のゆくえ」と題した中ハシ克シゲさんとの共同プロジェクトで、中村先生を講演会にお呼びした。

中村先生は帰国のたびに各地で講演会を開いて、その講演料をペシャワール会やPMSの活動に当てておられた。

 

アクアカフェ

アクアカフェ

中村先生の横で能天気に笑っている自分がいる。

高速道路で壊された古民家の土塀の土と琵琶湖疎水の水をこね、《アクアカフェ》というのを京都国立近代美術館の前で現場制作していた。

つくっているときは琵琶湖疎水第一竪坑建設の犠牲者に捧げると意気込んでいたが、中村先生とお会いして、自分の矮小さがとても恥ずかしくなった。その恥ずかしさをごまかそうとしてぼくは笑っているのだ。

「展覧会」という枠のなかで(あるいはその枠のために)「作品」らしきものをつくる「美術」。

美術をやることの疑わしさをかかえたまま、ぼくは美術を続けている。

 

そんななか、中村先生は次男のもとに旅立っていかれた。

ぜったいに死ぬまで忘れてはならない人だ。

 

 

La pompe s'est mise en marche enfin !

3 decembre 2019, mardi

 

長年(10数年以上?)動いていなかった京都芸大の池のポンプがこの日、再稼働した。

うっそうと茂った池のまわりの雑木を一人で剪定しはじめた夏、毀れたポンプの存在を知った()。

水は動かないと淀んでにごる。そのにごった水面をうっそうとした雑木が取り囲んで、せっかくの池を人々から遠ざけていた。

芸大池

1980年、沓掛移転後まもない池の光景

 

その池の水面を再び人々に親しみあるものにするには、

1)池を見えやすくすること 2)池の水がきれいになること が必要だ。

1)の方は徐々に剪定を進めることができる。

だが、2)をどうしようかと思い、ポンプの修繕を総務課の玉置さんに頼んでいた。

「沓掛時代最後の世代の京芸生にすてきな学びの環境を」、との主張を聞いてくれ、12月3日(火)朝、早々にポンプが再設置になった。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

ほぼ同じ形式。200Vでこのクラスでは出力が最大、と中川工業所の金井洋介メンテナンス課長。

のこと。

芸大池ポンプ

空気を送る塩ビ管。1本2.5mくらいのを2本。もっと長くして池の真ん中まで伸ばしてほしいが、管の先が底の泥にひっかかって、これ以上長いのは無理らしい。

まあつなぎ方がわかったので、暖かくなったら池に入って工作すればいい。

芸大池ポンプ芸大池ポンプ

底の泥が巻き上がって池の水がにごる。

芸大池ポンプ

送気管を2本にする。一方には孔を数箇所あける。

芸大池ポンプ

 

動画→ https://youtu.be/zaZjGbFKF1Y

 

芸大池ポンプ

タイマーで月〜金の10時〜17時稼働と設定。しばらく様子を見ることにする。

芸大池ポンプ

夏前のこの暗くにごった池が、みずみずしくよみがえるだろうか。

 

Démontage de la terrasse de Suujin vol.6

25 novembre 2019, lundi

崇仁テラス

第6期「崇仁テラス」を撤去する。

今期の制作設置は7月28,29日

4ヶ月間も設営していたことになる。

この間、テラスの西側に市営住宅新棟が完成し(9月)、11月から市営団地からの引っ越しと入居が始まった。

来年には元崇仁小学校が取り壊しになり、芸大移転が本格化する。

京都市の高瀬川の改修計画がもちあがり、東九条の新しいまちづくりへの取り組みも始まった。

面白いのは、川の上という同じ場所(非-場所 non-lieu)にかつての空地を模した同じテラスが長年にわたって季節ごとに出現し、周りの陸地の変化の観測定点となっていることだ。

はじめに想定してやり始めたこととはいえ、実際に時間の流れのなかで経験してみると、また味わいがちがう。

テラスにいろいろ付け足したりリデザインすることもよく考えるが、実際にはベンチを置くくらいで何もしていない。

まわりが変化するから、変化しないものもちがって見えてくることがあると思うからだ。

崇仁テラス
崇仁高瀬保勝会の中村伸之さん、辻野隆雄さん、山内政之さん、井上茂樹さんが手伝ってくれる(いずれも年配)。

作業時間は9時50分から15時すぎまで。5時間少しで片づけられるようになった。

インパクトをまっすぐ使わないために、ビスのアタマをつぶされて時間をとられることがよくあるのが不満。

崇仁発信実行委員長で、あちこち飛び回って被差別部落の人権問題を当事者として講演している藤尾まさよさんが、作業を見守りに来てくださった。膝を痛めているというのに、申し訳ない。

 

崇仁テラス

みなさんが帰ってから、道具を片づけに元崇仁小学校の納屋に行くと、高瀬川の上に吊るした角材が落ちているのに気づく。

昨年11月の東九条マダンの併催イベント「水のいきものでアートする」で地域の子供たちの絵を吊るすために使ったものだ。

それを片づけているときに高瀬川の水流がとても弱くなって、落ち葉やゴミがいっぱいたまり、流れをせき止めていることに気づいた。

やはり高瀬川の水量をもっと上げねばならない。

 

元崇仁小学校ミカエル

元崇仁小学校の運動場の北川で伊達伸明さんが巨像「ミカエル」に目を描き入れていた。

一人だけで作業している。自分もよくやることなので、声をかけた。

伊達さんは、2年ほど前、神戸アートビレッジセンターの新開地をテーマにした展覧会を引き継いでやってくれた。

巧みな手わざとユーモアと知性があり、信頼できるいいアーティストだ。

 

 

deux lunes

24 novembre 2019, dimanche

 

「発酵をよむ」展でお世話になった大阪の +1art の年末チャリティオークション展「小さなわたしたち」のための制作。

2つの月があるどこか別の惑星の風景画のエスキス。

2つの月

例によって、2と5から始める。
なぜかこの数字はぼくの大事な造形原理になっている。

2つの月

高低差(5段階?)のある地形、ふたつの月、水。
この惑星に水があるかどうかわからないが、とりあえず地球型とは異なる生命への希望として。
 

2つの月

植物らしきものを加える。
2.5次元というか、奥行きのある画面はとても面白い。

2つの月

箱は内径142mm。紙の一部を長めに切って、箱に入れたときにできる自然なカーブを取り込む。
箱は画廊主で作家でもある野口ちとせさんの手づくり。
ボックスアートという一ジャンルがあるが、今回は箱としてでなく奥行きのある画面と考えた。