Pour la croisière du Canal Lac Biwa

lundi, 29 janvier 2018

 

インクラインのドラム工場を見学後、上下水道局施設課の上田さんに、四ノ宮船溜まで車で連れていってもらった。

昨年デザインした案内板を見るためだった。

案内板の寄贈者である洛東ロータリークラブとの話がまとまり、昨年11月末に設置されたと聞いたが、忙しくて実見していなかった。

四ノ宮船溜案内板

琵琶湖疏水はいつもこの時期(1〜3月)、清掃のために止水中だ。

四ノ宮船溜案内板

今春から行われる琵琶湖疏水クルーズの停泊所として四ノ宮船溜が使われるということだったが、まだ整備中だ。

水がないので、諸羽トンネルがすっぽりよく見える。

 

四ノ宮船溜案内板

柵がけっこう高い。それに応じるように案内板も高く設置してあった。

子供や女性には見にくいのではないか。

ぼくはあくまで中身のデザインだけで、設置方法については、上下水道局と業者まかせだ。

本当なら柵も案内板の設置もデザインしたいが、上下水道局とはそういう関係ではない。

 

四ノ宮船溜案内板

琵琶湖疏水関連の案内板、これで10枚目になる。

だが、なぜこういう手続きになっているのか、よくわからない。

ぼくはロータリークラブから何も聞いていない。

案内板の除幕式を昨年11月30日にしたそうだが()、デザインしたぼくは招待されてもいない。

招待してほしいわけではまったくないが、手続きがなぞだ。

たぶんデザイン料がゼロであることに関連しているのだろう。

でもまあ、職業的デザイナーではないし、とやかく言うまい。

 

今回使ったのは田村宗立(1846-1918)が疏水工事が終わってまもなく描いた四ノ宮船溜りの水彩画だ。

田村宗立はぼくがつとめる京都芸大の前身・京都府画学校の西宗(西洋画科)で数年間洋画を教えた。

京都府から依頼を受けて、1885-90(明治18-23)年、疏水の工事を写実的な絵で記録した。

学生たちにも手伝いで描かせたといい、固い絵があるのはそのためかもしれないが、個人的に田村宗立の画風は好きでない。

同じ時期に疏水事務所に頼まれて疏水の絵を描いた人物に、河田小龍(1824-98)という日本画家がいる。

小龍の描いた『琵琶湖疏水図誌』の方が絵心があって好きだ。

河田小龍

一番好きな絵の一つにこの第1竪坑の図がある(絵もだが、第1竪坑そのものが好きなのだ)。

 

小龍は、ジョン万次郎(1827-1898)の聞き書きを通じて知ったアメリカの議会制政治などを坂本龍馬に教えたことでも知られるが、その聞き書き『漂巽紀畧』全5巻は傑作だ。

万次郎の話をもとに挿絵を描いているが、言葉からの想像画なので、アザラシや鉄道の絵がぶっとんでいる。

なぞの生物(Seal アザラシ)。車がついて動く小屋の列(Railroad)。

河田小龍

 

河田小龍

疏水事務所から記録画を頼まれたとき、小龍はすでに60歳を越えてなかば隠居の身だった。

だが、彼の絵を見ると、当時最先端の大土木工事だった琵琶湖疏水への好奇心が躍動しているのがわかる。

小龍は、そうとう好奇心の強い知的な人物だったのだろう。

全身アンテナ。思えば、本来の絵描きとはそういうものではないか。

 

130年たったとはいえ、小龍に頼んだのと同じ疏水事務所から頼まれての疏水案内板のデザイン。

断われないのである。

 

 

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