construction une baraque pour remiser les matériaux de la Terrasse_1

17 mai 2020, dimanche

 

遠隔授業が始まって、猛烈に忙しい。自分のふだんの授業に加えて、総合基礎があるからだ。

だが、《崇仁テラス》の撤去まであと半月なので、資材置き場をつくっておかねばならない。

 

11時半、崇仁着。

崇仁テラス

久しぶりに《崇仁テラス》に行ってみる。初夏らしく草が茂ってきている。美しい。

崇仁テラス

大島桜にはサクランボがたくさんできている。

 

崇仁小学校の体育館周りに置いてある木材を共同浴場奥の敷地までピストンで運ぶ。

木材といっても製材したものではなく、高瀬川の岸辺から切り出した樹木だ。

車に載らないから担ぐ。

移動距離は200mくらいだが、去年9月にマレーシアのオラン・アスリの森で、切り出した7mもの重い木材を担いで、広いプランテーションを通り抜けたことを思い出す。

 

資材置き場

材木を買うのがいやなので、辺りに生えている木でまっすぐなのを探して切り倒すが、そのときのぼくの目つきは、きっとぼくらを案内してくれたオラン・アスリの棟梁アトさんが森の中で木を探すときの目つきと同じだろう。

まっすぐなのがなかなかないなと思って、現場に来てみると、結構ある。

ふと世界のすべてが材料に見えてくる。

 

アトさんは、プランテーション化のために住んでいた森を追い出されるまでは、とても豊かで平和な環境だったと言っていた。

遠くに買いに行かずとも、必要なものが身の回りですぐ手に入ったと。

きっと森の木や生き物たちと仲良く共生していたのだろう。

そんなとき、生きる環境そのものが資源の宝庫に見えるのだ。

「資源」の語を辞書で引くと、「人間が利用できるもの」という定義に出会うが、まちがいだ。

「人間を共に生かしてくれるもの」を「資源」というのだ。

 

ブランクーシが船でニューヨークに近づいたとき、摩天楼がみな材料に見え、自分のアトリエにも同じものがいっぱいあると言った。

ここでの「世界の材料化」は、自然資源を収奪し尽くす大企業のそれとは正反対だ。

大地の上で大地とともに生きるホモ・ファベルにとっての「世界の現われ方」をいうのだ。

そこには生かされていることの幸福がある。

 

ダ・ヴィンチは自らを「経験の弟子」と称した。

たしかに人が書いた本を読まずとも、手を使っての制作経験から無限にさまざまなことを学べる。

経験から学ぶときは、一人であることが大事だ。人がおらずとも、木や道具、川や風など、話し相手は制作現場に無数にいる。

一人で水面をのぞき込みデッサンするダ・ヴィンチを想うこと。

 

資材置き場

切り出した樹木を垂直に自立させるために、久しぶりに幹のチーズ切り。

 

資材置き場

まっすぐ立った。

このわざは、一人きりで樹木を使って建築的構造物を建てるときに必要で、《Maison-Arche》で開発した。

開発したといっても、だれもこんな作り方はしないだろうから、まったくの個人方言だが。

 

資材置き場

巾420cm、奥行120cm、高さ190〜180cm。番線と針金を使って、とりあえず骨組を立ち上げる。

 

資材置き場

4mの足場板を納めるのに、桁に使える木の長さが少し足りなかったので、木を差し込んで物置の壁に当てる工夫をする。

まだ番線でとめていないのに、結構がっしりした。

一週間後に来たら、倒れていたりするかもしれない。

 

資材置き場

以前は廃品置き場になっていたが、すまいまちづくり課の人が片づけてくれたという。

作業用テーブルとベンチを持ち込むと、何やら居心地のいいスペースになった。

 

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