terrain vague pour la production de l'espace créatif

9 mars 2020, lundi

 

4月から芸大移転地の元崇仁小学校が行財政局の管轄に移る。

それに伴い、崇仁高瀬川保勝会の川掃除の用具とテラス資材を体育館周囲から撤去してほしいと、2月に行財政局の芸大担当課長から連絡を受けた。

テラス資材置き場

芸大=《テラス》という構想は、芸大を地域住民の創造的活動にも開くという考えで、体育館の周りのスペースを資材保管兼作業所とすることでその先べんをつけていた。七条大橋をキレイにする会の照明用機材のためにも棚をつくった。

だが、校舎解体の工事車両が出入りするようになると、アクセスに困る。といって、地域に適当な公共スペースがない。

 

3月1日に川掃除のフライヤーを地域に配布しているとき、ふと崇仁第二浴場の外の空きスペースはどうかと思い至った。

崇仁第二浴場

新幹線とJR奈良線高架の南側は、かつて屋形町(やかたまち)といわれ、戦後は空き地にバラック的な住居が密集する一角だった。

現在は廃虚となったアパートと空き地が広がり、立入禁止の物騒な雰囲気のエリアになっている。

女子学生も多い芸大の移転の前にこの辺りももっときれいで安全な地帯に整備されるべきと思うが、京都市にもう資金がないらしく担当者もいない。

崇仁第二浴場

がらんとした空きスペース。つきあたりが高瀬川だ。

崇仁第二浴場

高瀬川保勝会保管所

高瀬川保勝会保管所

高瀬川と新幹線が交わる土地。

 

崇仁東九条古地図

戦前の地図。小さい家屋が密集している。

戦争が近づくと、この辺り一帯が疎開させられ、空き地になった。

戦後はその空き地に住む場所のない人たちがバラックを建てて住んだ。在日や同和地区の人たちだ。

1960年、そのバラック街の上を新幹線(青の点線)が通った。1964年の東京オリンピックのためだ。

そのためにバラックは撤去され(立ち退き費用は国鉄負担)、住民は北河原市営住宅(いわゆるマンモス団地)に移った。

川と線路にはさまれたそういう因縁の場所だからこそ、新しい公共空間として定義されなおす価値がある。高瀬川保勝会保管所

第二浴場を管理する都総合管理の人は快諾してくれた。

あとは都市計画局すまいまちづくり課が許可してくれるか、だ。

 

市有地が新しい公共空間として開かれていくことがこの辺りから始まればいいと思う。

だが前例のないことから逃げる役人を説得するのはむずかしそうだ。

3年前、高瀬川の上にテラスをつくるときも、同じ役所の壁が立ちふさがった。

 

 

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