"Trois horizons" ou le title de l'œuvre

11 février 2020, mardi

 

もっか芸大は作品展の期間中だが、学生たちの思わぬ力作に接して、我が身を振り返ることも少なくない。

制作中はたいてい夢中になっていて、制作のなかで作用している諸力のあり方に気付かないことが多い。

それに気付いたのは、ずっと工事中のままになっている自分のホームページを更新しようと、2016年12月のKUNST ARZTの企画展「フクシマ美術」の出品作「三つの水平線」を今ごろ振り返っていたときだ。

 

horizon

 

蘭嶼島の台湾原発廃棄物保管場の道路法面に施されている青と白の塗り分けは、あからさまに水平線を強調しているのだ。

2016年夏に現地で写真を撮ったときは、水平線と道路の法面のカーブをつなげるべくあれこれアングルを探っていて、法面の青の意味にあまり意識が届いていなかった。

 

蘭嶼

真の水平線と偽の水平線の対比は、建物の壁に描かれた原住民タオ族のエコライフのこれみよがしの提示と並んで、自然を踏みにじる文明の汚れた側面をカモフラージュしている。

 

一ヶ月後、ぼくは福島の楢葉町下井出地区汚染土壌保管場の盛り土の上にあがって、やはり水平線をつながるように写真を撮っている。

horizon

この写真は展示に使わなかったが、「地面」への意識がたえずぼくを導いていることをあらためて自覚する。

 

床のインスタレーション《見えない大地 Invisible ground》のくぼみに水をはり、蘭嶼の写真作品2点と関連付けて、あまりよく考えずに『三本の水平線』と適当なタイトルをつけたが、やはりそれでよかったのだ。

自作では《打つわ U-tsu-wa》に次ぐ妙なるタイトルだったと思う。

 

作品に付随するタイトルは、デュシャンが「見えない色彩 invisible color」といったように、それだけで一冊の本が書けるくらいの大問題だが、やはりぼくは即物的でシンプル、かつそれでいてツボを刺している言葉が理想だ。

それでいうと、東京都美術館の展示室の床に現場制作した《ときの河原 Riverside of time》も悪くない。《ふたしかな屋根 toit incertain》も。

だいたいいいタイトルができるときは、焦点が定まっているときだ。そして焦点は意識の面だけで定まるものではない。

 

とにかく、振り返ることで自分の無意識を発見するということもあるのだと痛感。

 

 

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