L'atelier de Chuta Kimura, Clos St.Pierre

19 janvier 2020, dimanche

 

木村忠太

 

1月5日(日)に豊田市美術館の岡崎乾二郎展を見に行った帰路、名古屋のヤマザキマザック美術館で、木村忠太先生の展覧会を見た。

木村先生は、ぼくの美術修行時代に出会った大切な恩人だ。

先生と最初に出会ったのは1985年11月、パリのFIACの会場だった。

アートヨミウリのブースで光を放つ絵画を見て、度肝を抜かれた。

それまで見たどの日本人の絵画より油絵具の扱いが自由で精妙きわまりなかった。

会場に木村先生がおられ、その場でいろいろお話した。なぜか気に入っていただき、St.Germain通り137番地にあったアトリエ兼ご自宅に誘っていただいたので、後日おじゃました。

画室での先生の言葉をよく覚えている。

「チューブの中の油絵具は物質的に暗黒だ。それを使って物質でない光を表わすところに絵の本質がある。」

「絵を描いているとすべてがやってくる。数学も自然の科学も文学も哲学も。」

それ以来、先生はぼくの師になった。

 

物質的暗黒としての絵具でもって、非物質である光を表現すること。この場合の光は、観念的象徴的なものではなく、からだで体験された具体的な光だ。文字通り、体に刻印された光(impression de la lumière)に絵画の「肉 chair」を与えること。光を浴びた身体と光を発するカンヴァス、両者をつなぐことが絵画制作だ。このシンプルで始原的な絵画原理ゆえに、木村先生はアメリカの抽象表現主義を認めなかった。あれは絵ではないと。

 

南仏からパリに戻ったある日の夕刻、どこかの映画館の前で木村先生ご夫妻とばったり再会した。そのときだったか、あるいはご自宅にうかがったときだったか、先生は絵を描くときすごい大音量で音楽を聴くと言われた。そして絵を描くのに一番いい精神状態は、南仏のアトリエで過ごすときだとも。いつかそこへ行かねばならないと思った。

 

次にパリに行ったときには、すでに木村先生は亡くなられていた(1987年7月3日逝去)。

弔問にアパルトマンを訪れると、奥様が忠太先生が亡くなったときの状況を話してくださった。

病院でいったん手術が成功して戻ってきたのに、また体調が悪化して再入院することになった。

そのとき先生は死期を悟ったらしく、病室に運ばれていくとき、「もうこれまでだ」と言われたそうだ。

奥様曰く、「ずっと絵と戦ってきて、最後はまるで侍がばったり戦場で倒れるみたいでしたよ」。

情景が目に浮かんだ。先生の絵画一筋の人生が頭を駆け巡った。

このとき、奥様から「もらって下さらない?」と差し出されたのが、忠太先生の遺品のスーツだった。

 

以来ぼくは、冠婚葬祭の大事なとき、いつも忠太先生のスーツを着用している。

同時にそのスーツを着るとき、絵画以外の仕事ばかりして、忠太先生のように絵画に向き合っていない自分をいつも責める。

 

忠太先生の南仏のClos St. Pierreのアトリエを実際に訪れたのは、1992年の9月だった。

幸子夫人が迎えて下さった。

カンヴァスの上だけでなく、室内のあちこちにじかに絵を描いた痕跡があり、環境全体が忠太先生の世界になっていた。

興奮しながら写真を撮った記憶があるが、写真もネガもスライドも、どこにやったか、探しても見つからない。

今朝やっと当時のスケッチブックを見つけ出した。

 

木村忠太

犬と遊んだことなど忘れている。いただいたのは、Soup d'onionか、Soup de poissonか。

 

木村忠太

手前がイチジクの木。忠太先生がよくモチーフにされた。アトリエへは階段を上がって入る。

 

木村忠太

入口手前の大きなオリーブの木をスケッチしていた。

忠太先生はよくこの下にテーブルを出して、スケッチしたりお茶したりされていた。

幸子夫人が撮って下さったぼくの写真は、ちょうど忠太先生ご夫妻の憩いの場所だろう。

木村忠太

Clos St.Pierreという地名はフランスにいくつかあるが、奥様によれば、ここは昔ロシア人貴族が買った土地だったらしい。ほかにも家屋があるが、土地は文字通り境界にぐるりと囲われているという。

 

ノートの別のページに9月5日と記している。(写真裏のメモは日付をまちがったのか。)

 

  9/5 samedi 8:15起床

  アトリエの庭で少しスケッチと写真、

  9時30分ごろ、木村夫人も起きてきて、

  おそいゆっくりとした朝食。

  テラスで1時間ほど美術の話。

 

  絵具がうごく

  面がさわぐ

  線が走りまわる

  たえず生成する絵画

  気韻生動という東洋絵画の極意を

  油絵具というすぐれて西洋的な画材のなかで実現すること

  この驚異的な合成の実験の中から

  比類なき光とマチエールが風をはらんで立ち現れる

  

  風だ!

  

  光だけでは十分ではない

  コントロール不可能なもの

  真に変幻自在なもの

  場に従いつつ、場を支配するもの

  <存在>に本質的な偶発性を返すもの

 

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スケッチブックを見ると、忠太先生のアトリエを訪れる前、Cap-Martinのル・コルビュジエの小屋(9/3)や、ヴァンス礼拝堂(9/4)にも行っていた。

最初のページ(9/1)には、ホテルの朝刊で見つけたFelix Guattariの死亡記事を貼っている。

Guattari

 

正月に自分の修行時代に再会するとは啓示的な気がする。

岡崎乾二郎の回顧展的な展示を見たことも作用しているかもしれない。

今年は、ずいぶん遅れて出発した自分の過去と行き来しながら、これからの制作を探る一年になるのだろう。

 

 

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