Dr. Tetsu Nakamura est tué.

4 decembre 2019, mercredi

 

心の師として尊敬していた中村哲医師が、ジャララバードで、12月4日朝、銃撃されて死亡した。

待ち伏せした数人の犯人による卑劣きわまる犯行。

 

中村先生の仕事を知ったのは、2000年代初めにさかのぼる。

90年代半ばに汚染地下水を凍らせる仕事をしたときから土木的・インフラ的なことに関心を持っていた。

流れる水の先端に魅かれていた。

新開地のプロジェクトでそれを実行に移すなか、アフガニスタンで井戸を掘る中村先生の姿をテレビで見た。

まだ用水路開削に取り組まれるまえのことだ。

 

中村先生が「緑の大地計画」の開始をジャララバードのPMS事務所で宣言したのは、2003年3月12日。

先生はその前年末に10歳の次男を脳腫瘍で亡くされていた。

「おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ」(中村哲『医者、用水路を拓く』石風社、p.77)との決意が、途方もない用水路開削事業の起点にある。

 

ぼくにとって決定的だったのは、クナール河の取水口から初めて水がマルワリード用水路に流れこんだ光景だった。

その水の流れの先端に心底戦慄した。テレビの画面越しとはいえ、あれほど美しく力強い水の流れを見たことはなかった。

 

2006年夏前、文化庁在外研修でパリに行く前にペシャワール会に入ったと記憶する。

 

中村先生と実際にお会いしたのは、2010年の「生存のエシックス」展(京都近美)のときだった。

「水のゆくえ」と題した中ハシ克シゲさんとの共同プロジェクトで、中村先生を講演会にお呼びしたのだ。

中村先生は帰国のたびに各地で講演会を開いて、その講演料をペシャワール会やPMSの活動に当てておられた。

 

アクアカフェ

アクアカフェ

当時の記録写真に、中村先生の横で能天気に笑っている自分を見つけた。

高速道路で壊された古民家の土塀の土と琵琶湖疎水の水をこね、《アクアカフェ》というのを京都国立近代美術館の前で現場制作していて、つくっているときは琵琶湖疎水第一竪坑建設の犠牲者に捧げると意気込んでいた。だが、実際に中村先生とお会いして、自分の矮小さがとても恥ずかしくなった。その恥ずかしさをごまかそうとしてぼくは笑っているのだ。

「展覧会」という枠のなかで(あるいはその枠のために)「作品」らしきものをつくる「美術」。

美術をやることの疑わしさをかかえたまま、ぼくは美術を続けている。

 

そんななか、中村先生は次男のもとに旅立っていかれた。

ぜったいに死ぬまで忘れてはならない人だ。

 

 

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