Hommage à M.Kosugi

30 octobre 2019, mercredi

 

フルクサス演奏会

 

塩見允枝子先生による公開式特別授業「時間と空間に分け入る〜フルクサス作品の演奏をとおして」

予想以上の入場者に、イスもプログラムも足りなくなり、あせった。

 

あらためて、自分は企画やプロデュース的な仕事に向いていないことを痛感する。

ポスターやプログラムをデザインしたり、小道具をつくったり、舞台美術を制作するのは楽しい。

だが手を動かさずに、人を動かすこと、あれこれ連絡してスケジュールや進行をまとめたり、会場で来場者に対応するのは、本当に苦痛だ。胃が痛くなる。ぼくはあくまで「モノをつくる人間」なのだ。

 

今回、塩見先生が小杉武久さんの<ディスタンス・フォー・ピアノ Distance for Piano>をプログラムに入れていた。

「離れたところにあるピアノに触れずになんらかの道具でそのピアノを鳴らす」というインストラクションだ。

塩見先生からすれば、亡き畏友への敬意の表現でもあったのだろう。

小杉さんは東京芸大時代、塩見允枝子らと「グループ・音楽」の活動をされていた。

 

いつどこでだったか忘れたが、小杉さんと一度、短かく話したことがある。

そのとき小杉さんの言葉が忘れがたい。

「すべては波だよ」、と小杉さんは言われた。

 

<Distance for Piano>のための小道具の制作を学生に求めたが、だれも反応しない。

それで準備に奔走していた28日(月)午後、2〜3時間かけて、身の回りのものを適当に組み合わせて軽くて丈夫な3mの竿をつくり、洗剤を入れる人形型のボトルと、フックをつけたミニカボチャを先から吊せるようにした。

吊るすのはヒモではなく輪ゴムを使い、反動で動くようにした。

遠くからゴムでぶらさがった小物体をピアノの鍵盤に当てて音を出すことで、人間の意図と演奏技術からピアノを開放するという小杉さんのねらいに応じるつもりだった。

人形ボトルかミニカボチャ1個か2個か、奏者は複数の選択肢から選べる。

ぼくなりの小杉さんへのオマージュでもあり、つくっているときはとても楽しかった。

(小杉武久さんに関してはいろんな人が書いている。影響力の大きな人だった。

訃報に接して書かれたもののなかで感銘を受けた記事の一つは、ele-kingという音楽関係者たちのサイトにある。→

 

3mと言うと塩見先生には電話の向こうで唖然とされ、美術学部の女子学生にはぶらさげたときに重すぎると言われた。

だが奏者となる作曲専攻の女子学生は、重たい方のミニカボチャ2つをつけた竿で「演奏」することを選んでくれた。

2つの重さの異なるカボチャを鍵盤のうえに下ろすとき、左右2つ以上の思わぬ音が、同時に、あるいはズレて鳴る。

そのことの面白さをリハーサルでつかんでくれたからだろう。

 

小杉さんのいう「波」は、上下に弾みながら揺れる竿の先端に来ていただろうか。

 

フルクサス演奏会

フルクサス演奏会

フルクサス演奏会191030

没になっても背中で笑うボトル人形。

 

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