tigre - harimau
29 septembre 2019, dimanche
昼すぎ、Books+Cafe Sol の改装現場に行くと、中川君が一人で作業していたので、予定を変えて1時間ほど手伝う。
10月には完成するか。
午後2時すぎ、電気蜻蛉の林ケイタさんのコーディネイトで、報恩寺(上京区小川町寺之内)を見学する。
8月末からのマレーシア遠征のため、三嶽伊紗さん、今村源さん、日下部一司さんらに1ヶ月遅れたことになる。
入口に自分のあずかり知らないポスターがあってびっくりする。
見上げれば野太い木造軸組がすごい。
ご住職じきじきに懇切丁寧に案内いただく。
中庭に大きな鯉の池がある。サギが鯉をおそうので、網をかけたという。
本堂の前に枯山水の庭がある。樹木で幸い見えないが、すぐ西側を走る堀川通の車の音が聞こえる。
門の向こうにまっすぐ旧参道があり、上立売通にでる。
知らなかったが、報恩寺は『鳴虎図』なるもので有名。
中国請来品で、明の画院にいた陶佾(とういつ)が描いたという。後柏原天皇(在位1500-1526)から賜った品で、立体感のあるリアルな描写を気に入った秀吉が寺から借り出して聚楽第に飾ったところ、夜に虎が鳴いたので、すぐに寺に返却したという。
秀吉と縁が深かった寺らしく、複製の鳴虎図の前に信長像と秀吉像の掛軸がある。
所蔵の厨子入りの千体地蔵、大黒天、阿弥陀三尊などはいずれも重文。
平安後期の古い梵鐘が隣接する墓地にあり、これも重文。なので大晦日しか鳴らせない。
東門の前に川なしの石橋があり、川跡は小川通の名の由来となった小川のものという。
さらに黒田長政が死んだ客殿寝所もあり、辞世の句が示してあった。
「このほどは浮世の旅にまよひきて いまこそかへれあんらくの空」
虎、梵鐘、小川跡。いずれも生あらば音が聞こえるはず。
不思議な縁を感じるのは、マレーシアでの虎体験だ。
虎がいるといわれたジャングルで実際に出くわしたわけではないが、虎はマレー語で"harimau ハリマオ"という。
それで『怪傑ハリマオ』の歌をうろ覚えで口ずさむと、マレーの人たちが知ってるという。
https://www.youtube.com/watch?
https://www.youtube.com/watch?v=CiEJde_30oo
『怪傑ハリマオ』のモデルは、谷豊という昭和初期にマレーで活動した盗賊という。
谷豊は、幼少時にクアラ・トレンガヌに両親と住み、マレー文化を愛し、イスラム教にも帰依した。
1930年代は盗賊団として異母妹を殺した華僑をおそい、マレー各地を転々、戦中は日本陸軍にはめられて諜報員として協力、マラリアで30歳で死んだ。
日本の東南アジア侵出の歴史のことは不勉強でよく知らないが、『怪傑ハリマオ』の背後にその歴史があることは察せられる。
なぜか東南アジア、とくにマレーシアやボルネオの話になると、幼い頃を思い出す。
祖父・井上昇はボルネオで銀行の支店長をしていて、現地の人によく水牛にのせてもらったという話をよくしてくれた。
「あきちゃんも大きくなったらボルネオに連れていってやる」と。
そういうときの祖父の遠いまなざしをぼんやり覚えている。
うちにテレビはなかったが、それが『怪傑ハリマオ』の主題歌が近所から聞こえる頃ではないか。
関東大震災の難民として西日本に流れてきた祖父は、どこか浮世離れしていて、日本社会になじめなかった気がする。
50歳で結核をわずらい、あとは風呂で死ぬまで病院暮らしだった。
ボルネオは祖父の魂が還っていきたい幻想の地だったのではないか。
そのノスタルジアがいつのまにかぼくに乗り移って、南の地への憧憬をかき立てるのではないか。
「このほどは浮世の旅にまよひきて いまこそかへれあんらくの空」