rencontre avec l'Orang Asli|Cahier Malais_2b
29 août 2019, jeudi
国立博物館の東隣に、マレー民俗博物館と、オラン・アスリ工芸館があった。
前者の中には、マレーの伝統的な衣食住と文化がジオラマなどを使って展示されていた。
凧(Wau)、編もの、金工、木工、音楽と楽器、遊具など。マネキンが西洋人ぽいのが残念だ。
チョンカ Congkak はコーナーを設けてアピールしていて、見学者がゲームしていた。
やり方を知らないが、モロッコなどでも似たものを見たから、イスラム圏を中止にいろんなヴァリエーションで広く普及しているのだろう。遊具もまた工芸品だ。
ほかにフィーチャーされていたのは、お手玉に似たBatu Serembonなど。
前庭に移設復元されていた木造宮殿 Istana Satu(Istana=宮殿)とそのインテリア。黒と黄色の空間が美しい。
英国統治下の19世紀末に半島東海岸のクアラ・トレンガヌ Kuala Terengganu に立てられたお妃用の宮殿で、大工3人が釘も使わずに建てたと説明にあった。トレンガヌは木工芸のさかんな土地と聞く。
使われている木材がchengal シェンガルというマレー半島特有のもっとも堅い木で、のちにあちこちで出くわすことになる。
隣接するオラン・アスリ工芸館。うしろにクアラルンプールの高層ビルがそびえる。
入るとみんぱくの所蔵品よりはるかに大きく立派な木彫群が迎えてくれる。マーメリ Mah Meri 族のものが多い。
これもマーメリ族のもの。Sembuarの精霊とあるが、Sembuarって?
『水木しげるの妖怪探検〜マレーシア大冒険』にも出てこない異形の造形。
これもマーメリ族。
これはジャー・フット(Jah Hut)族。
木彫の精霊はマーメリとジャー・フットのが大半だったが、いずれもみんぱくのコレクションに勝る。
これらの制作は森の精霊や祖先の霊とつながり、祈りの儀式や伝統医療のシステムのなかで用いられる。
森の木を切り出す映像が流れていて、木を選ぶのと処理するのは神聖な行いのようだったが、肝心の木を切る場面ではチェンソーを使っていて、驚いた。
下の三つは、オラン・アスリの行政上の三区分。ネグリト negrito、セノイ senoi、ムラユ・プロト(ムラユ・アスリ)melayu proto。マーメリもジャー・フットも、ぼくらが会う予定のトゥミアールも、セノイに分類される。
だが、みんぱくの信田教授によれば、「マレーシア独立以前、ひとつの民俗範疇としての<オラン・アスリ>という用語は存在していなかった。」この用語は1966年に政府によって公称とされたが、彼ら自身は自分たちを一つの同種集団とは見なしていなかった。ネグリト、セノイ、ムラユ・アスリという民族意識ももっていない。(信田敏宏『周辺を生きる人びと〜オラン・アスリの開発とイスラーム化』)
名付けというのはつねに外側からなされるカテゴリー化と不可分だ。
漁具。これらも「先住民の宝」だ。
吹き矢をかまえるマネキン。楽器や衣装、織物のコーナー。
ブンガ・モヤン bunga moyang と呼ばれる装飾工芸品。
椰子の葉を折ったり編んだりしてつくり、冠婚などの儀礼の場でからだや場所を飾る。
椰子の葉の折り紙だ。みんぱくでの展示やワークショップで重要になる気がする。
入手できるか、つくり方はわかるか?(→*)
高床式の長屋(long house)のまえだろうか。踊り子と演奏者たち。(撮影年代と村は別?)
国立博物館と民俗資料館のあいだに、竹製の小屋が数件建ててあった。休憩所だろうか。
写真で見たオラン・アスリの竹小屋に似ているので、工法をチェックする。
竹の床もこうして丸竹を割ってつくるのか。梁に丸太を使っているのに気付く。
とっさにみんぱくでの建築には、つちのいえでやったように、構造的な強度が求められる部材には、竹の中に足場丸太をつっこんで補強するやり方を思いつく。
屋根は竹を半割りにしたのを組み合わせたものと、椰子の葉 palm leafを使ったものを複合させている。
椰子の葉の編み方。
とにかくマレーシア第一日目は博物館と工芸館でたっぷり吸収して過ごした。
ダマンサラ大通りJalan Damansara を渡る長い歩道橋の向こうは、パーデナ植物園 Taman Tasek Perdanaなどがあるレイク・ガーデン。入り口まで行って、時間ないので引き返した。
ホテルに帰ったら、みんぱくに送る仮提案書を作成せねばならない。