Muzium Negara Malaysia|Cahier Malais_2a

29 août 2019, jeudi

 

先住民オラン・アスリの集落に行くというのに、出国ぎりぎりまで『地球の歩き方』すら目を通せないほど忙しく、マレーシアのことをまったく勉強できていなかった。

ペラ Perak 州に移動するのは9月1日なので、それまでできる限り現地でマレーシアのことを勉強しておこうと、まずはKL(クアラルンプール)セントラル駅の西側にあるマレーシア国立博物館 Musium Negara に行くことにした。

 

駅の西側といっても、KLは自動車中心に都市開発したらしく、駅の向こうに出るには地下や空中の通路をぐるぐる迂回しないといけない。都市開発がまちがっているというか、やりすぎている。

あとで知ったが、マレーシアは2020年に先進国入りをめざしたという。

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国立博物館

博物館の建物は、マレーシアの伝統建築のスタイルをふまえて建てられ、正面両側の壁にはモザイク壁画が描かれている(1963年完成)。壁画はマレーシアの伝統的な暮らしの場面を描いているが、なぜかイラスト調で安っぽい。

国立博物館

5RMの入館料を払って館内に入ると、学校からの見学者でにぎわっていた。

イギリスに植民地化されていたから、あちらのミュゼオロジーが教育や国民啓蒙に応用展開されている気配。

壁はライムストーンと思いきや、実は板に彩色していた(要確認)。

床の材料を確認するのをわすれたが、じつはのちにもっとも気になったもののひとつが、高床式住居を伝統に持つマレーシア人の床への意識。

マレーシア国立博物館

博物館は、1階にA)先史時代、B)マレーシア王国時代、2階にC)植民地時代、D)現代 の都合4つの展示室がある。

Aギャラリーはプレートテクニクスの説明から始まり、マレーシアを地質時代から俯瞰させてくれて、たちまちのめり込む。

説明パネルによれば、東南アジアは12万年周期で氷河期を繰り返し、20000年前に始まる氷河期は今より海面が120mも低く、マレー半島とスマトラ、ボルネオ、ジャワ島は地続きで、いわゆるスンダランド(Sunda platform)と呼ばれる陸地だった。当然、動植物相(fauna and flora)は同じになる。人類も行き来して交わっただろう。

18000年前から暖かくなって海面が上昇し、10000年前〜6000年前は今より3m高いくらいになった。考古学調査から、12000年前ころ、人々はマレー半島やボルネオの山地の石灰岩の洞窟などに移り住んだことが明らかになっている。

マレー半島にはまた、起源が1億3千年前にさかのぼる世界最古の熱帯雨林があるそうだ。

熱帯雨林が大地を覆う石灰岩質の大地に多くの川が流れ、峡谷や洞窟に富む豊かな環境を織りなす。オラン・アスリの祖先はそうしたで環境で、狩猟採集の暮らしをしていたようだ。

歴史以前の次元から見ると、今の時代の国境や文化のちがいが溶け落ちて、縄文とも地続きの1万年まえのアジアの風景が浮かび上がってくる。プロジェクトへのモチベーションがあがる。

 

トバ火山の火山灰が展示されていたのが、最初不思議だった。

トバ・カタストロフ理論で知られるスマトラのトバ火山は、70000〜75000年前に火山爆発指数8の巨大噴火を起こし、地球を覆う火山灰は平均5℃の猛烈な寒冷化をもたらした。人類を1万人規模にまで減少させ、ネアンデルタールとホモ・サピエンス以外の人類を滅ぼしたとされる。

パネルを読むと、ペラ州Lenggong峡谷のKota Tampanの遺跡からはその火山灰とともに、つくりかけの打製石器が大量に見つかったという。

 

マレーシア国立博物館

マレーシア国立博物館

トバ火山噴火前後の打製石器群(一部未完)。

 

ケランタン州のGua Chaにも、新石器時代のもっとも重要な遺跡があって、Gua Chaの大洞窟(20mx120m)で1954年に見つかった45体の遺骨の状況が展示されていた。

 

ギャラリーの奥には、ペラ州Lenggong峡谷の洞窟での生活がジオラマで再現されていた。

マレーシア国立博物館

マレーシア国立博物館

レンゴン Lenggong 峡谷の洞窟で、ほぼ全身骨格が見つかったペラ・マンの遺骨のレプリカ。

約1万年前、死亡時が40〜45歳の男性で、指に先天性の中節骨短縮症を被っており、一人きりできわめて丁重に葬られていたとある。当時としては長生きだったのだろう。呪術師か指導者的立場の人物?

オラン・アスリの祖先であり、東南アジアと太平洋に住む人々の祖先でもある。

 

行く先がペラ州のオラン・アスリの集落だ。シュシが案内してくれるというのもレンゴン渓谷の洞窟壁画と推測される。

欧州でもそうだったが、家屋を作り出す以前、狩猟採集民だった人類にとって、洞窟は普遍的な住空間だった。

これはえらいところに行くなと思う。

 

マレーシア国立博物館

日本の縄文期にあたる土器も展示されていたが、縄文土器の特異さがきわだつ。

マレーシア国立博物館

さまざまな墓制。甕棺もあった。墓の造形はいつも面白い。彫刻芸術の頂点の一つと思う。

 

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B・Cギャラリー:初期マレーシア王国群からマラッカ王国時代〜植民地時代

 

マレーシアの歴史メモ:

マレーシアの歴史はよくマラッカ王国が興った14世紀末からと記述されるが、博物館では2世紀ごろから半島やボルネオなどで、それなりの社会体制をもった王国が各地に成立したことが示されている。

・7世紀〜14世紀、スマトラ島のマレー系海上交易国家シュリーヴィジャヤ王国が半島にも大きな支配力をもつ。主教は仏教=ヒンドゥ教。

・13世紀〜アラブ商人やインド商人と共にイスラム教伝来、それまでに普及していた仏教・ヒンドゥ教を脇に追いやった。

・1396年 マラッカ王国成立、1414年に国王がイスラム教を受け入れ、「国王=スルタン」の呼称が定着、海上交易を軸に栄華をきわめる。

マレーシア国立博物館

↑「マラッカのイスラム化はアラブ人との交易をいっそうさかんにした」(ジオラマのキャプションから)

マレーシア国立博物館

↑マラッカにある旧ポルトガルの要塞 A Famosaのレプリカ。小さな門の家 Porta de Santiagoは今も残り、東南アジアに現存する最古のヨーロッパの建築遺跡。マラッカの展示の充実ぶりはマレーシアにおけるマラッカの重要性を示す。だが今回はマラッカには行かない。

 

・1511年 ポストガルがマラッカを占領。マラッカ国王はシンガポールに近いジョホールに逃れる。

・1641年 オランダがポルトガルを駆逐してマラッカ占領。マレー半島は小国分立状態。

・1824年 英蘭協定によりマラッカ海峡をはさみ東側(現マレーシア)を英国領、西側(現インドネシア)がオランダ領とする(クソ植民地主義! 前年の1823年にはシンガポールがイギリス領)
・1896年 マレー連合州が結成、マレー半島全域が英国植民地となる。イギリスの手によって、内陸にスズ鉱が開発され、鉄道が敷設、ゴム園も鉄道沿線に開かれ、イギリスの市場と直接結びついて発展した。

・1942〜45年 日本軍による占領(クソ大日本帝国!)

・1945年〜 再びイギリス領になる

・1948年〜60年 マラヤ共産党の反乱とマラヤ危機

 (マラヤ共産党は戦前・戦中に反英・抗日運動を展開していた。党員や支持者は華人が多い)

・1957年8月31日 「マラヤ連邦」として完全独立(8月31日は独立記念日)。

・1963年   シンガポール、ボルネオのサバ、サラワクを加えて「マレーシア連邦」成立
・1965年 シンガポールが分離独立 現在のマレーシア形成。

(後略)

 

絵柄が面白い青白陶器

マレーシア国立博物館

博物館のうしろに隣接するカフェでおそい昼食。

驚くべきことにハエがまったくいない。野良猫がたくさんいる。

 

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