Au revoir l'Ecole primaire Suujin
21 août 2019, mercredi
柳原銀行記念資料館から頼まれた秋の特別展「さよなら崇仁小学校」のチラシとポスター2種のデザイン、東北から帰宅後に取り掛かる。
デザインは、今回の展覧会のメイン出品物である音声レコードの盤面の五線譜の5本線を発展させて、構成した。
競技トラック、レコード盤の動き・・・
苦労したのは、昭和7年の運動会の記録映像から子供たちの運動する姿を抽出し、切り出すこと。
ほかにもいっぱい切り出したが、使ったのはとりあえずこれだけ。
それにしても1932(昭和7)年、この年の前後、崇仁小学校に何かが起こっていた。
伊東茂光校長の働きによるのか。差別を跳ね返すべく、とても高い教育レベルだったらしい。
資料館スタッフの奥山典子さんに教えてもらった当時の動きをもとに、チラシのウラ面にエピソード欄を勝手に作った。
人見絹枝が死の前年にコーチに来ていたとは。
土壇場でのタイトルの大きな変更(「崇仁小学校」→「崇仁校」)が入りかけたが、拒否できてよかった。
伊東茂光校長時代のエピソードを書いておこう。
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1930(昭和5)年 崇仁小学校が,大阪毎日新聞運動部に所属していた人見絹枝からコーチを受ける。
1931(昭和6)年 崇仁校本館落成式。記念に大公孫樹を植え,校歌「我等の歌」をつくる。
1932(昭和7)年 「静室」を作り,静座して伊東校長の講話を聴いた。10月,全日本女子オリンピック大会学童の部400mリレーで優勝。差別に負けないために始めた陸上競技の最初の到達点。
以後,この大会が終わる1934(昭和9)年まで毎年日本一を達成。地元の熱心な応援もあり,崇仁小学校大運動会も開催される。
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崇仁高瀬川保勝会の川掃除チラシも同時進行でデザイン。深夜に出稿。
藤尾まさよさんが原稿を書いてくれたので、取材などいかなくて済んだ。