Tout est fini.

16 février 2019, samedi

 

「発酵をよむ」展、昨日(15日)は、FKSKの船木美佳さんがはるばる東京から来てくれ、服部志保さんも再訪してくれたので、東京都美術館での「複数形の世界のはじまりに」展の楽屋のようになった。そこに自由工場をいっしょにやったしばたゆりさん、樋口洋子さんも偶然居合わせた。まもなく女4人で仲良くおしゃべりが始まり、これが女子会というやつか、と席をはずす。

 

16日は最終日。

この日は、藤枝守さんと中川佳代子さんが出演する「糸で紡ぐ音の世界」が京都芸大であり、それに参加していたので、+1に着いたのは閉廊後の18:40。

集中して撤収作業。あれほど苦労した空中戦の成果もあっという間に片づき、2230には終了した。

柱を貫通させていたアルミ板は、逆に柱の引っ掛かりを利用でき、難なく下ろせた。

 

いつも思うが、展示に比べ、撤収は早い。

今回の展覧会を振り返っておく。

 

+1の野口さん・河原木さんから、「五線譜に書けない音の世界」の関係で藤枝守さんが九州から来阪するので、来ませんかと誘いの電話があったのが、たしか2017年3月。

当時は、ひろいのぶこ先生の退任記念展を手伝っていて、同時に、のちに発酵展でコラボすることになる稲垣智子さんが企画する「きしわだアートプロジェクト」でワークショップなどする日々だった。

まもなく稲垣さんを加えて、発酵音を活かした実験展の企画が立ち上がる。

 

だが、その後、ぼくも藤枝さんも忙しくなり、展覧会のイメージも湧かないまま、1年以上が過ぎた。

展覧会の企画が再起動したのは昨年夏だったか、野口さん、河原木さんの催促もあって先に時期が決まった。

しかし9〜10月も、映像制作にとりかかった稲垣さんに対し、ぼくはイメージが定まらないまま忙事にまみれる日が続いた。

来阪した藤枝守さんとようやく突っ込んだ話し合いができたのが昨年10月28日(日)。徳島の展示に行く前日だった。

 

10/28ミーティング時のスケッチから(このスケッチブックをその後尾道で忘失したが、先日戻ってきた)

発酵展イメージスケッチ

発酵展イメージスケッチ

発酵展イメージスケッチ

この時点でだいたいのイメージやキーワードが出ている。ほぼ藤枝さんの話を聞きながら描いたものだが。

 

藤枝さんの「発酵」は、神事にかかわっているので、儀礼的空間がイメージされた。

だが、ぼくとしては発酵の文化的側面よりも、自然現象としての側面が気になっていたので、発酵を促す甕とその中の対流に焦点を当てた。視点を上下に対流させ、身体の水平移動でそれをかき混ぜる空間。それをどうつくるか。

2枚の鏡を上下に合わせる着想はすでにスケッチブックに描いていたが、のちにそれを稲垣さんの2点の映像に置き換える方向で、インスタレーションを考えていった。

同時に、甕・カメ・神・ka-me・k/mという、唇の有無に対応する2つの音をイメージの根底におくことにした。

今回の展覧会の要は、視覚的なものだけでなく音に関わるものであること、そして音は多形的な意味の同時的発現を促すものであることだ。ぼくの関心はあくまで造形にあるが、音の多形性と意味の流動性はつねに気がかりな参照項でもある。

音の世界のような、万物が響きあう原始的な時空を造形で実現したいのだ。

今回はこの造形空間を、藤枝さんが望む耳と音の関係(それは目を介しない)に対応するよう作り上げねばならない。

哺乳類にしかない上下2つの唇のあいだ。噛むこと・醸すことから新たなものが生まれる時空。

 

例えば「ウツ・ロ」「器」「打つわ」《打つ輪》。発酵を「よむ・読む・詠む」。

かたちの面では、甕の口、円形カウンター、上・下のスクリーン、《打つ輪》とその表面に無数に残る叩きの鎚跡など、大小さまざまな「丸」の組成。それは、発酵のたえまない泡立ちに対応する。

 

阪大の発酵工学科(正確には生命先端工学専攻)に取材し、また眠る女性の演者たちを配した稲垣さんの2つの力作映像も、上下に向かい合って、生命現象としての発酵を人間的・社会的な次元につなげてくれた。

 

慣れない現場のため、施工は荒くなった。

だが、なんとかできた空間は、藤枝さんが配した音の響き合いもさることながら、稲垣さんの映像の光が《打つ輪》の波打つ表面に反射して、ぐうぜんにも光の響き合いも生まれていた。

予期しないことが起きること、これ以外に創作の悦びはない。自分の思考と知覚が作り変えられる悦びの現場。

この展覧会準備中に亡くなった師匠の堀尾貞治さんが言っていた。

「現場とはあきらかに考えとちがっていることをいう」と。

堀尾師匠に見てほしかった。

 

fermentation

fermentationfermentation

 

しかし、何事もすべては終わる。

響き合いも消える。

やり残していることに取り組まねばならない。

 

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