Instrument de musique traditionnel

11 février 2019, lundi

 

「発酵をよむ」展の関連イベントのアーティストトークと音楽会が、11日15時から、+1ギャラリーから徒歩10分ほどの高津宮の「富亭」であった。

当日は大学で用事があり、時間ぎりぎりに到着すると、予想外に来場者があった。

fermentation

アーティスト・トークではいきなり司会進行をふられたが、

「まずはこの展覧会のたちあがりの経緯を河原木さんと藤枝さんからお話ください」と切り抜けた。

実際、発酵展は、2年まえ、ドブロクをつくった経験のある+1 artの河原木さんが、すでに焼酎の発酵音を素材化していた藤枝守さんに働き掛けたことから始まった。

藤枝守さんとは、2002年に、椎原保さんを交えた3人で、耳なし芳一をテーマに、大阪港近くのCASOで "invisible ear"というコラボレーション展をしたことがある。あのときは椎原さんが全体の空間構成担当で、ぼくは手伝ったとは言え、空間より映像担当だった。

今回は、稲垣さんが映像担当で、ぼくが空間構成とものづくりを担当するかたちになった。

 

とにかくトークは、藤枝さんが発酵音との出会いなどをしゃべりまくって、事無きを得た。

ぼくが話したのは、生命体は体内音のように音をもつが、音を外に出す(発音する、鳴く、叫ぶ stc)のは体内音とは次元がちがうこと、m音が唇をもつ哺乳類の象徴音であるのに対し、鳥や爬虫類など嘴系の動物のそれはk音であること、哺乳類も悲鳴などあげるときは、k音が出て原始的になること、神(KAMI)には両方が含まれていること、塩の円盤は、映像を投影する床が黒いため、スクリーン代わりであったこと、また塩は意味機能の上でも雑菌を遠ざけるなど発酵と深い関係があること、そして、甕の中で生じている対流が発想の基本となり、のぞき込むことと見上げること、ミクロとマクロの交換が空間表現の要であることだった。

fermentation_plan

トークのあと、八女茶と和菓子がふるまわれ、そのあと音楽会「この御酒を醸みけむ人は」。

藤枝守さんの『植物文様琴歌集』全7曲を演奏するのは、中川佳代子さん

中川さんは藤枝さんの「植物文様」や「甕のおとなひ」などを演奏されていて、今回も藤枝さんの指名。

1月26日の「フルクサスを語る」で初めてお会いしたが、京芸の伝統音楽研究センターで復元された和琴を熟知しておられ、運搬もぼくがやろうと思っていたところ、自分で運んで下さった。

 

この演奏がすばらしかった。

最初の一撥、一声でいっきょに古代的時空に引き込まれた。

あとで聞いたが、近代的な演奏用の琴とちがい、弦は絹糸を使っていて、音が小さく、またはっきりと安定しない。

奏者の演奏する身体とじかにつながっているような、微妙にゆらぎをはらむ。

音楽用に用意されたコンサート会場よりも、こうした生活感を残す部屋に合っている。

中川さんは、2月16日(「発酵をよむ」展の最終日)にも、京都芸大の「糸が紡ぐ音の世界」で藤枝さん作曲の「織・曼荼羅」を弾く。

 

高津宮の会場には、横浜のBankARTの細淵太麻紀さんも来ていて、久しぶりの再会がうれしかった。おせじだろうが、「ボルタンスキー展よりはこちらに来ました」と。

あとで聞くと、彼女は現在、BankARTとは少し距離を置いて、「現像」という写真プロジェクトを始めていて、先日まで展覧会をしていたという(→)。今はBankARTの細淵さんだが、昔から彼女を知るぼくに、あくまでPhスタジオの細淵さんだ。

 

演奏後、片付けを手伝って、+1art に歩いて戻り、展示空間で残った人としばし歓談した。

藤枝守

藤枝守さん。

彼のノートを写しておく。

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「発酵をよむ」展の関連イベントとなる本公演では、《植物文様琴歌集》が和琴とともに歌われますが、その「この御酒を醸みけむ人は」というタイトルは、古事記からの《酒楽歌》の歌い出しの一節です。この歌は、高津宮にも祀られている神功皇后が御子の応神天皇に詠んだ歌に対する建内宿禰の返歌ですが、酒づくりの楽しい光景とともに、「醸す」というカミの振る舞いともいえる発酵への畏敬の 念が込められているように思います。
「植物文様」とは、植物の電位変化のデータをメロディックなパターンに読み換えていく作曲シリーズですが、数年前から和琴をともなう「琴歌集」というシリーズが始まりました。いずれも古代のテキストをもとに、これまで、中川佳代子さんの声と和琴により演奏されてきました。本日は、その「琴歌集」から七つの歌が和琴がもつ響きと抑揚のなかで続けて演奏されます。
はじめに歌われる《阿知女〜あちめ》は、宮中の「御神楽」の演目である「阿知女作法」の呪文のような言葉に節づけしたものです。この「阿知女作法」という神楽歌は、博多湾・志賀島を拠点とした古代の海の民である「あづみ〜阿曇(安曇)」に由来するともいわれています。それに引き続く《月読三歌》は、いずれも万葉集の歌によりますが、月の満ち欠けを「読む」ことのなかに、潮の干満や身体的な変容と一体となった「場所の感覚」が織り込まれています。そして、昨年(2018年)の暮れに初演されたばかりの《藻塩二歌》も万葉集が歌われますが、志賀島の古代の海人(あま)による海藻を使った塩作りのなかにも潮や風といった変容する世界がその言葉に映し出されています。なお、この《藻塩二歌》は、志賀島の海藻のアオサからの電位変化にもとづいて作曲され、ゴシックハープの伴奏によって初演されましたが、和琴による演奏は、今回が初めてです。そして、はじめにふれた《酒楽歌》が演目の最後に演奏されます。この歌の終わりにある「ささ」とは、酒をすすめるフレーズです。
高津宮の左座には、神功皇后、応神天皇とともに仲哀天皇も祀られていますが、仲哀天皇は、現在の福岡市東区に位置する香椎宮にて和琴を弾きながら崩御されたとの伝説も残されています。本日、高津宮で響く和琴が仲哀天皇にとどくかもしれません。
(ノート:藤枝守)

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この日、終わって帰ってくると、ロバート・ライマンが88歳で亡くなったと知った(→*1, *2)。

彼もはじめはジャズマン志望で、絵画は独学だった。

美術館の守衛をしていて、芸術や芸術家と出会ったのだ。

芸術は学校で学ぶものではない。経験から学ぶものだ。レオナルドは「経験の弟子」と自称した。

他人から学ぶとすれば、せめてそういう芸術家から学ぶものだ。

京都芸大には独学者でない者たちがたくさんいる。彼らの作品展が終わったのも同じ11日だった。

 

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