Pension Yoshida

23 septembre 2018, dimanche

 

京大吉田寮の退去期限(9月30日)がせまるなか、「市民」から吉田寮の再生と継承の提案を公募する「市民と考える吉田寮再生100年シンポジウム」が、人環の地下大講義室で行われた。

提案の展示は9/18日から吉田寮食堂で行われていたが、この日の「シンポジウム」は、それに対する複数のコメンテーターからの評価と質疑が中心だった。

吉田寮

吉田寮の前には、入寮募集の旗が横向きに掲げられていた。

大学当局の廃寮攻撃が度重なるなか、寮自治会自身が寮生を募集するのは、寮の存続と自治の至上のアピール手段だ。

吉田寮

シンポジウム会場。昔は「教養部」とよばれた敷地のなかの知らない建物に知らない地下講義室ができていた。

 

吉田寮再生提案の締切は9月13日。知らなかった。

何せ四半世紀ぶりに吉田寮を訪れたのが8月25日。それからあれこれを忙しかったので、取り組むひまもなかった。

集まった公募案の継承部門が13点、再生部門も13点。寮生からは建築学科2回生から「廊下を広げる」という案。

だが、京大の建築学科は今回も含めて伝統的に吉田寮の問題にタッチしない。

代わって京都建築専門学校のゼミの課題系が多かった。

ポム企画の平塚圭さんが内容をさっそくまとめて報告している()。

京大系はさすが言葉を扱う作業が早い。


現在、この100年プロジェクト実行委員会や吉田寮自治会はじめ、「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」など、いろいろな団体・組織が吉田寮の存続を京大や社会に訴える運動を起こしている。

2015年には日本建築学会近畿支部が、京大の山極総長宛に「京都大学吉田寮の保存活用に関する要望書」を提出した。

話題性に富むので、さまざまなメディアが取りあげ、NHKも今夏のTVドラマ『ワンダーウォール』で広く吉田寮の問題を社会に伝えた。

その結果、寮生でも京大出身でもないのに、吉田寮に関心を持つ人が増えている。

 

だが、学内では吉田寮の存続や活動に関心をもつ人間は昔から数少ない。

ぼくが在寮していたときもそうだった。特殊視されるか無視・無関心かのどちらかで、後者が圧倒的だ。

そもそも寮内でもみなの関心はバラバラで、寮の運営・存続の活動に取り組むのはほんの一握りだ。

コメンテーターの尾池元総長も言っていたが、シンポジウムの会場にかんじんの吉田寮生の参加はわずかだった。

 

吉田寮

途中で抜け出してギャラリーをいくつかまわり、17:30に吉田寮食堂の懇親会に参加する。

 

この食堂に入ったのはそれこそ40年ぶりか。

ぼくの学生時代、沢田敏男というやつが学生部長になって(1978年)、それまでの寮との交渉を拒否し、廃寮攻撃をしかけてきた。

寮食堂の炊フさんや守衛さんらを公費で雇うことをやめる露骨なやり方に対する寮闘争に、ぼくも参画した。

当時は食堂が主な闘争の舞台で、ぼくは文化部長になって、沢田のあとを継いだ岡本道雄総長らを学内ビラや猥褻マンガで攻撃した。

赤瀬川原平の影響を受けた「黒肉舎」というアートグループをつくったのもそのころ(実質はぼくひとり)。

京大新聞に掲載された大きなマンガがぼくの最初の絵による収入になった。

(思えば批判精神にめざめたのは吉田寮での活動を通してだ。)

 

しかし大学院に入って寮を出てから、個人的な模索期間が続いて、吉田寮=学生時代のことは頭から消えた。

ところが、その直後から、吉田寮は大学当局によるさらに激しい廃寮攻撃を受けたらしい。

大学当局は1986年度末に在寮期限を区切ることを一方的に宣告し、職員や炊フさんらを配置替えして、3月31日には食堂の営業を止めた。

80年代後半、これに対する寮自治会の反対闘争、熊野寮との対立などいろいろあって、廃寮が先送りになった。

食堂は劇団満開座に会場として貸したのをきっかけに、学内外のさまざまなイベント会場として使われるようになった。

入寮条件も男子学部生に限られていたが、女子学生や留学生にも広げた。

 

こうしたことはいっさい知らない。

 

とにかく40年近くのギャップだ。

柱は象徴的に残されているが、天井が張り替えられ、壁もきれいになっている。

が、よく見ると、天井のあちこちに穴が空いている。踏み抜いたらしい。

シンポジウムのパネラーだった岩井木材の岩井清さんが、天井の桟の方向がまちがっていて、接ぎ足も下手くそだと怒っている。

下面は本来柾目なのに板目が見えていて、これは大工ではなく素人の仕事だ、だれが現場監督だったのかと。

天井板も本物の木ではなく、耐火面材のダイライトだという。

 

だが、この食堂は旧三高の数少ない遺構であり、京都大学最古の大学建築物だという。にもかかわらず食堂の補修に文化財的な尊重は見られない。

学内の建築学科・建築専門家は無視を決め込んでいたのだろう。

 

おくればせながら、「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」に会員登録した。

60年代と80年代世代が中心だという。

 

吉田寮

シンポジウム後の懇親会には、世間的な話題に魅かれて参加する学外者もいたが、寮生の参加者はまばらだった。

再生案のパネル展示をぼく自身が手伝ったくらいだ。

 

司会進行役をつとめた主催者の三人の学生としゃべった。

案の定、寮自治や存続運動に積極的にかかわる学生は少数らしい。昔と変わらない。

だが彼らは、そのことが寮内に対立関係をもたらすことは望んでいない。自分たちがしたいことをしているだけだと。

そして大学側の退寮通告にもかかわらず、今後とも吉田寮ではさまざまな活動を続けていく。

( >> website :吉田寮を守りたい
 

RADの本間智希君がAXISの取材として、三人にインタビューしていた。

吉田寮

 

10月以降も彼らの寮生活が続くことを願う。

そして彼らの将来のそれぞれの領域でのクリエイティブな活躍を願う。

 

 

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