Le temps du carrelage

dimanche 13 mai 2018

 

来月に控えた展覧会の打ち合わせで東京都美術館へ。

 

閉館後、会場を見せてもらうことができて、あらためて床レンガのちがう領域を確認する。

古い床レンガが1975年、新しい方が2012年の敷設と聞いた。carrelage de Tokyo Art Museum

 

美術評論家の藤枝晃雄氏が4月26日に亡くなられたことを知った。

ショックだった。

昨秋、『モダニズム以後の芸術』という批評選集を送呈いただいたのに、読む時間もなく、満足なお礼もしていない。

賀状のやりとりはずっと続いていた。

かつてのぼくのマチスやセザンヌの研究を評価下さっていて、『美術手帖』にマチスについての書き手に推薦いただいたことがある。

作品研究は好きだったが、結局、制作との生きた接点が見つからず、前者を放り出してしまった。

藤枝先生と京都で一度宴席をごいっしょしたことがある。予想に反してちゃめっけのある方だった。

もう一度、お話を聞きたかった。

ご冥福をお祈りする。

 

 

Mycetozoa et la composition plastique

dimanche 6 mai 2018

 

車で白浜の南方熊楠記念館へ。初訪問。

200km、約3時間(京都縦貫道〜第二京阪〜近畿道〜阪和道〜湯浅御坊道〜上富田IC〜番所山公園)。

 

熊楠は文化人やアーティストに大人気なので、人気者ぎらいのぼくとしては、これまで接近を控えていた。

だが、今度参加する「複数形の世界のはじまりに」展で、ほかの作家らが絶賛し、「粘菌」がキーワードの一つにもなったので、おくればせながらアプローチすることにした。

 

鎖国中、外国船を見張る番所を設けたことから名前が由来する番所山公園の頂点に記念館がオープンしたのは昭和40(1965)年。シーラカンスの小嶋一浩(1958-2016)・赤松佳珠子(1968-)設計による新館ができたのが2016年。

テーマが熊楠だし、展望がすばらしいので、建築デザインはチャレンジングだったろうと想像する。

南方熊楠記念館

第3展望台からの眺め。

南方熊楠記念館

エントランスにあった建築模型。新館は旧館に触手をのばして融合しようとする。粘菌の解釈と思われる。

南方熊楠記念館

通路部分の2階は見晴らしのよい読書スペース。屋上は展望のための視点をのびやかに動かす。

南方熊楠記念館

無柱空間の2階を支える1階のピロティ。構造はラーメンにアーチを挿入(半アーチ+ピン柱)して水平剛性を高めたという。

南方熊楠記念館

旧館の方から新館を見る。すきまは1mくらいか。施工がたいへんだったろうと思う。

南方熊楠記念館

ピロティに乗った建物の屋上のデザインとなれば、きっとル・コルビュジエを参照しただろう。

南方熊楠記念館

驚いたのが、建物のすぐ脇に立つ巨大なシマナンヨウスギ。

南方熊楠記念館

アローカリアともいい、ニューカレドニアが原産。メタセコイアやイチョウ等と同様に生きた化石の一つと言われる異形の針葉樹だ。

南方熊楠

熊楠の出発点が知れたのはよかった。江戸時代の博物学の書『本草綱目』や、和製百科事典『和漢三才図絵』を小さい頃からひたすら書き写したという。

書き(描き)写しは、独学者の基本的な学習方法だ。ぼくも独学者だったからわかる。

若き熊楠の知への飢えをからだに感じた。

南方熊楠記念館

記念館の屋上からエントランスホールまでを貫くように吊られていた筒状の空間造形(ランタンとよばれる)は、ポリエステルのテープに『和漢三才図会』を模写した少年期の熊楠の文字を印刷したものを編み合わせているという。

エントランスというロケーションにふさわしく、まさに粘菌的構成で熊楠の世界をうまく造形していると思う。

 

番所山公園から車で30分、田辺市役所近くの住宅街に熊楠後半生の住居が残っており、傍らに南方熊楠顕彰館が建っている。

南方熊楠

紀州の木を多用したこちらのデザインは、矢田康順/インテグレーティッド デザイン アソシエイツ+堀正人/ホリ アーキテクツ。隈研吾かと思った。

南方熊楠顕彰館

旧居の方に、熊楠が研究室として使っていた居間が、資料を配して公開されている。

熊楠は研究や執筆でも机を使わず、畳の上でやったという。

机は顕微鏡をのぞくために脚を一部切って斜めに傾けている。

南方熊楠

庭がよかった。新種の粘菌を見つけたという柿の木が残っていて、安藤蜜柑などの紀州の柑橘類があちこちに植えられている。南方熊楠

名前の由来になった大きな楠が枝を広げ、死の床で紫の花の幻を見たという巨大なセンダンの木もあった。

 

それにしても、植物の名前がなかなか覚えられない。

熊楠のように描き写して覚えなければならない。

 

さて、粘菌的造形というのがあるとすれば、それはどういうものだろうか。

それは、事物であれ、主体であれ、西洋近代型の文明が依拠する「自己同一性」の理念などに基づかない、開かれたネットワーク型の造形だろう。

それは始まりと終わりを持たず、たえまない流動と変成のなかにあるだろう。

書き(描き)写しから始まった熊楠の知がそうだったように。

 

Les rapports

lundi, 9 avril 2018

 

4月になって、去年行なったワークショップやセミナーの報告書が各大学から届く。

reports

静岡大学教育学部の「ワークショップ100」でやった二つのワークショップ:「アートブック『偶然歌集』をつくる」「世界を測る」。

九州大学芸術工学部のソーシャルアートラボでやったフォーラム:「クリエーティブ・アーカイビングの手法」。

 

いずれも文化庁の「大学を活用した文化芸術の推進事業」の助成金による。

ぼくが務める京都芸大も、同じ助成金で移転プレ事業"still moving”や、アートマネジメント人材育成事業「状況のアーキテクチャー」を行なっている。

文化庁は「アートマネジメント」とやらには助成するが、かんじんのアーティスト育成への助成はきわめて貧弱だ。

助言する人間が文化政策やアートマネジメントの専門家なのだろうと推測する。

何かまちがっている気がする。

 

・ ・ ・

昨日、ギャラリーマロニエの企画展「自我像」への出品作品、搬入締切のギリギリになって完成。

「自我」というのは自分の関心から一番遠いテーマだが、制作プロセスが自分らしかった。

行き当たりばったりなのだ。

その「ばったり」という感じそのものの作品。なのでタイトルは「Rencontre (出会い)」とした。

このところ大きな展覧会やプロジェクト、イベント続きで忙しかったが、個人的な制作はやはり楽しい。

自分本来のあり方を思い出させてくれた。

 

Rencontre

"Rencontre"(部分)

 

それにしても休みのない日々が続く。。。

庭の楠の若葉がみずみずしく光と戯れる季節になった。

 

楠

Repérage pour l'exposition

lundi, 19 mars 2018

 

6月に予定しているグループ展「複数形の世界のはじまりに」の準備のため、東京都美術館に行く。

 

ぼく以外のメンバーはみな東京芸大出身なので、東京都美術館は卒展の会場としてなじみがあるだろうが、他所者のぼくには公募展会場とのイメージしかない。

だがギャラリーBを作品のニュートラルな展示会場としてでなく、器である東京都美術館や、それが位置する上野公園の歴史的空間的コンテクストをも読み取ろうとする。その点は勉強になる。

 

展示コンセプトとして共有されているのは「集落」というキーワード。

(近代都市のような)計画型秩序ではなく、さまざまな原理とレイヤーで複数の時間や空間が外部ともつながりながら交錯するようなあり方をめざす。

もうひとつのキーワードは「粘菌」。これは近代以降の芸術が前提とするアイデンティティをもった「個」という概念から離れて、固定したアイデンティティもなく振動し流動する主体間の関係性を志向する。だから通常のグループ展でもなく、コラボレーション展でもない。いわば「粘菌集落」としての展示空間。

 

その手がかりとなるのが、集落が一般に強い関係を持つ「地形」だ。

展示室の床はもちろん「反-地形」だし、起伏もないが、前回の下見(1月15日)のとき、床レンガの種類が複数あることに気づいた。

ある部分が異なる時代に敷き直されたようなのだ。

床=河原

一見単一に見える展示室に複数の時間の層が埋込まれている。

 

床=河原

 

古い方のレンガの目地だけにマスキングテープをはって、わずかな床面の時間のちがいを浮かび上がらせることを試みる。

実際にやってみないとわからないが、「ときの河原 Riverbed of Time」が展示室の床を浸食するは悪くないように思う。

 

だが、問題は展示空間の現場施工がどれくらい許されるかだ。

公募展のように、持ち込んだ作品を陳列するだけという前提で管理がなされている。

資材の確保も問題だ。企画展の会場施工で余った部材がほしいと学芸員の人に言ったら、即断れた。

近くに東京芸大があるので、行ってみる。

 

東京芸大ゴミ置場

使えそうな木材ゴミがいっぱいあった。

時期にもよるのだろうが、京都芸大よりはるかにきれいに整理されている。

油画の小山穂太郎教授、芸大に新しくできたキュレーション専攻の長谷川祐子教授と久しぶりに会う。

 

上野公園にて

東京都美術館で興味深いことを聞いた。

東京オリンピックに向けて、今都内各地で再整備が行なわれているが、上野公園では噴水を地面より低く下げて、東京国立博物館のファサードを見通し安くしたという。

行ってみると確かに低くなっている。池の縁面が地面と同じレベルだ。

 

上野公園にて 段差は40cmくらい?
 展示室の床の一部をこれくらいアップするのは悪くない。

 

 多くの集落には、たいてい眺めのいい場所がある。

 地形の凹凸から視野の豊かな変化と広がりを抽出しているのだ。

 

 オリンピックを前にパースペクティブの操作を進める

 メトロポリスのやり方を、反転することを考える。

 

 

上野公園

上野動物園のパンダを見る人の行列のために、広大な面積が確保されていた。

 

なんにせよ、「集落」という視点から現代の都市空間の造作を見ると面白い。

 

 

 

toit incertain sur le mur

samedi 17 mars 2018

 

toit incertain

 

河原町通を歩いていて、ふと出会った青野卓司さんから、「マロニエで君の作品、ぼくの横に並んでたで」と教えられる。

行ってみると、「マロニエ・コレクション展—立体小品」というのをやっていて、昨春の「2.5次元」展で買い上げてもらったのが壁にかかっていた。

売るということは、いらないということかな。