art et l'infrastructure de la société moderne

lundi, 29 janvier 2018

 

京都市上下水道局からの依頼で、南禅寺舟溜のインクラインのドラム室を見に行く。

 

インクライン・ドラム室

8年前(2010年)の琵琶湖疏水リサーチのとき、アーチ屋根のある見晴らしデッキの上に立って、噴水の水を指揮したことがある。

電動式のポンプではなく、高低差を活かしたサイホン式の噴水なので、バルブの開け閉めで噴水を操作できるのだ。

で、「閉めて」「開けて」と合図すれば、職員の人がバルブを開け閉めしてくれて、噴水が噴いたり止まったり。

指揮者気分だった。

今思えば映像を撮ればよかったのだろうが、用意してなかった。

 

そのデッキの下に今回相談を受けたドラム室があった。

 

インクライン・ドラム室

 

インクライン・ドラム室

ワイヤーが切られている。

奥のスペースは、動物園の石垣とのすきま。

 

長年放置されていたとはいえ、かつてここで傾斜鉄道を操作した。

 

インクラインの工事の完成は明治22年。

建設当初は、水車動力でドラム(巻上機)を回していたが、蹴上水力発電所の完成により電力使用になった。

巻き上げ用ドラムは、最初は蹴上船溜の上にあったが、のちにここ南禅寺船溜北側の建物に移された。

ドラム直径3.6m。35馬力(25kW)の直流電動機で回転させて、直径3cmのワイヤーロープを巻き上げて運転したという。

蹴上船溜の方には、直径3.2mの水中滑車(展示品)を水平に設置していた。

 

インクラインは蹴上舟溜りから南禅寺舟溜りまで約582m、高低差約36m。

するとワイヤーは全長2km近い?

 

インクライン・ドラム室

なんとドラムは木造だ。

 

インクライン・ドラム室

木造ドラムにロープの跡がくっきり残っている。

床の木造部分は操業を終えてから穴をふさいだもの。

 

インクライン・ドラム室

これがブレーキ?

 

インクライン・ドラム室

高圧電流をこんな場所で制御していたらしい。

 

インクライン・ドラム室

奥に作業員の休憩室がある。

 

インクライン・ドラム室

時計の跡は時の空白をものがたる。永遠の現在。

 

インクライン・ドラム室

 

インクライン・ドラム室

目の前にインクライン。こんなすごい場所があったとは。

 

インクライン・ドラム室

水道局の上田さんらは、ここに案内板を立てたいという。

しかし費用や工事の関係で、耐震補強ができないようなので、大々的な公開はできない。

この場所を保存しつつきちんと公開するには、いろいろと工夫が必要だ。

ただ案内板を立てて終わりではない。

それがなんと年度内にすませたいという。

う〜ん。

 

いつかここで作品展示をやってみたい。

湊川隧道もよかったが、役目を負えてなかば廃虚化したインフラ施設ほど、魅力的な空間はないと思う。

国交省が土木遺産などのインフラ施設を観光に役立てる旗をふっているそうだ。

だが、ここは大々的に公開できないというのがいい。

時間をかけて取り組みたいが、今は時間がない。。。

 

 

 

la fin d'une galerie d'art contemporain

17 decembre 2017 (dimanche)

 

蹴上のアートスペース虹に作品搬入。

「虹」の最後の展覧会「非在の庭:最終章」。

出品作家は180人を越える。

アートスペース虹・非在の庭

アートスペース虹・非在の庭

 

熊谷寿美子さんには春先から「出してや」と言われていた。

いつも出品していた年末のカレンダー展の発展形で、36年の歩みを締括るのだろうと想像できた。

熊谷さんとは開廊初期からのつきあいなので、寂しくなる。

いろんな話をした。

もっとも画廊を借りて展覧会をすることを否定していたから、

虹を貸し画廊として借りて展覧会をしたことは一度もなく、

三人展の「ノート'90」と個展「時間のレッスン」の2回とも企画だった。

あとは2000年から続くカレンダー展への参加だけ。

たぶん今後とも画廊を借りてまで展示をすることはあるまい。

 

アートスペース虹・非在の庭

参加者が多いので、搬入はたいへんだった。

糸を張るのを手伝った。

サイズはA4以下とあったが、無視した作品もいっぱい。

 

アートスペース虹・非在の庭

 

一昨年は、斜め向いのギャラリーすずきの閉廊展を頼まれて、

今村源さん、日下部一司さん、三嶽伊紗さんと「散歩の条件」という4人のコラボレーション展をやった。

閉廊に立ち合うことが続いている。

 

やはり画廊と言うのは画廊主一代限りのものだろう。

代を越えて続く場合でも、カラーが変わる。

 

toit incertain

 

作品は《ふたしかな屋根》のシリーズ。

天地23cm。極力小さいものにした。磁石と磁鉄工を使って、ひと(熊谷さん?)と物質、水の流れを表わした。

壁への取り付けも画鋲と磁石。

 

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27 december 2017

 

展覧会が終わって、今ごろの覚書になるが、

熊谷さんの企画で三人展"NOTE'90"(中原浩大・狩野忠正・井上明彦)をやったのが虹での最初の展示(1990年)。

「ノートを見せなさい」という熊谷さんのリクエストに応えるものだった。

狩野さんは当時竹中工務店の設計部長だった。そのころぼくは静岡にいた。

狩野さんの部下の竹中工務店の人にドローイングが気に入られて、買ってもらった。

はじめてのことだったので、うれしかったのを覚えている。

(今回の最終展でも拙作を建築家の人に購入いただいたので、不思議な縁を感じる。)

 

次にまた企画でやらせてもらったのが、「時間のレッスン—N氏コレクションから—」(1993年)。

コレクションされていた河合寛次郎もガラクタも僕の作品もごちゃまぜにしたアナーキーな展示で、時間と価値の関係を問いながら、美術館芸術から脱出をもくろみ、「作家」も「作品」も宙づりにしようとあがいていた。

さすがの熊谷さんも心配して、そのとき住んでいた岡山に来られたことがある。


恒例のカレンダー展以外、虹で展示をしたのはこの2回だけだ。

 

もう一度、「時間のレッスン」をやりたかったが、かなわぬことになった。

いつかどこかでできるよう、精進しておこう。
 

 

Suujin Terrasse decomposée

2 decembre (samedi) 2017

 

毎月第1土曜は、高瀬川掃除の日。

suujin-terrace

 

かねてからの約束通り、この日に「崇仁テラス」を撤去することになっていた。

春に再設営することになっているとはいえ、何があるかわからない。これが見納めになるかもしれない。

 

高瀬川の西側の空き地も、来春には団地の建設工事が始まるから、これが最後の秋になるだろう。

 

terrain vague Suujin

空き地の草地越しに団地を望む。この風景も数ヶ月後には消える。

 

消滅することがわかっている空き地のなかにいて、風や光を感じていると、なんだかとても幸せだ。

今回の《テラス》は、それ自体は「美術作品」ではないかもしれないが、周りとの関係性でこれまでにない感触があった。

何よりあの制作がなければ、こうした省察と官能の時間は持てなかった。

それをもたらしてくれたのは、建築ではなく美術をしていたからで、やはり美術には感謝しなければならない。

 

朝9時から一人で床板にしていた足場板54枚をはずしにかかる。

13時半からの掃除後、高瀬川保勝会の山内政夫先生や中村伸之先生、崇仁発信実行委員会の藤尾まさよさんらが手伝ってくれる。

現役の芸大生も初めて作業に参加。

 

suujin-terrace

足場板を岸に渡して資材運搬の近道をつくる。

 

suujin-terrace

苦労したジョイント部分。揺れもしなかったから、この組み方で正解だった。

 

suujin-terrace

地元の少年(仁君)が手伝いたいと言ってやってきた。

父親が大工だそうだ。旋盤工の父のもとでいろんな工作作業をやっていた自分の小さいころを思い出す。

来春、桜の咲くころに再建するからいっしょにやろうと言うと、うれしそうにうなずいてくれた。

立っているのは崇仁鉾保存会会長の林伊佐雄さん。

 

いつも何でも一人でやっているので、手伝いの人がいるとじつに助かる。

 

suujin-terrace

資材は旧崇仁小学校体育館西側にコンパクトに収納。

看板をうらがえして保管場所に立てておく。

今回の一番の成果は、テラスの設置場所と作業場兼資材保管場所を同時に確保できたことだ。

来春、またここで作業できれば。

 

 

Ponso no Tao

27 novembre 2017 (lundi)

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

夕方5時すぎ、+1 art の年末チャリティ企画展「12 messages 2017 : 海 Ocean」に搬入。

 

作品は昨年のKunst Arztの企画展「フクシマ美術」の出品作 "3 Horizons" の小さな続編という感じになった。

使った写真は "3 Horizons"では使わなかったもの。

いずれも台湾・蘭嶼島の核廃棄物貯蔵施設の壁面装飾画。

 

例によって、パーツ間の形態的意味的照応を制作原理にした。

写真の内と外、珊瑚と石膏の人体、頭髪とプラスチックと金属の冠り物・・・

「臭いものの蓋」として使われる美術/装飾、というのはあとからの理屈。

 

昔、タオ族が自然とともに生きていた環境では、原発のエネルギーは必要なかった。

海は漂流する不可視のマイクロプラスチックのスープと化していく。

トビウオ漁のための深い笠は、その海面にどのような影を落とすのか?

その影こそが主題だった。

戦闘準備だ!

 

Ponso no Tao

 

2016年夏の蘭嶼の旅は本当に刺激的だったが、忙しくてこの備忘録に記録をアップできていない。

この9月のことだが、やなぎみわさんと「漂流するアクアカフェ」について打ち合わせしていたとき、彼女も蘭嶼に行ったことがあると聞いて、びっくりした。蘭嶼まで行く日本人アーティストがほかにもいたのだ。

 

ぼくは原住民の自然観・世界観、そこから来る生活の造形に関心がある。

何せ台湾の大学教授に「あなたの考え方は原住民と似ている」と言われたくらいだ。

彼らも大地反私有の考え、「無縁」の思想を持っているのだろうか。

 

Ponso no Tao

台電蘭嶼核廃棄物貯蔵場(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

 

Ponso no Tao

蘭嶼 核廃棄物貯蔵施設近くの野外教会にて(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

伝統的なタオ族の住居・地下主屋。野銀村の旧集落にて(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

同じく「涼台」。ここで海を見ていた老人は日本語を話した。(2016年8月4日)

 

Ponso no Tao

蘭嶼文物館(民俗資料館)のまえに地下家屋の実物大模型がある。

 

 

à la terrain vague

11 novembre 2017 (samedi)

 

テラスをつくって「残してくれ」と言われたものの、過疎高齢化の進む地域のお年寄りたちがクリエイティブに活用するとは思えない。

一方で、「テラス」は芸大の先行移転のシミュレーションでもある。

となれば、将来芸大で生まれそうな活動と、今この場所でできることを重ね合わせて何かできないか。

それで、「テラス=空き地に家を建てる。家は簡易温室。中で読書する」という即興パフォーマンスをやってみた。

 

suujin_terrace

 

天候不安定で肌寒くなってきたが、温室なので中は暖かい。チャックを締め切ると暑いくらいだ。

温室は、造形計画の授業で、視覚優先の時代の嚆矢となった1851年のロンドン万博の「水晶宮」のことを扱ったことに由来する。

作品と場所の関係をテーマにした授業なので、テラスでやるのにふさわしいと判断。温室も家型だし。

もっとも参加した学生は一人だけなのだが。

 

suujin_terrace

 

読書においても条件をつけた。

読んだのは、

1)学生時代のバンド仲間の先輩・吉村喜彦さんの新作短編集『二子玉川物語』。これは高瀬川の上という条件から。

2)神戸芸工大の佐久間華さんからいただいた論文「英国の美術大学におけるPractice-based PhD〜〈実技を伴う博士課程〉実施にあたって何が問題とされたか」。これは京都芸大の将来にかかわる問題という条件から。

(自分はずっと実技系博士課程など廃止してしまえという立場)

 

suujin_terrace

 

suujin_terrace

 

この日はまちづくりに取り組む藤尾まさよさん等の崇仁発信実行委員会主催のまち歩きツアーがあり、ドローンでの空撮と合わせて、三つのコースのいずれも〈崇仁テラス〉を最終的なゴールにしていた。

 

suujin_terrace

 

人間世界とは別に、生きものの世界がテラスのまわりにひろがっている。

<外>は本当に豊かだ。

 

この1〜2ヶ月、「漂流するアクアカフェ」の流れから、「河原」というのがキーワードになっていた。

ぼくが作業していた「河原」は、まさしく網野善彦のいう「無縁」の場である。

川はだれそれが所有する「土地」ではなく、所有者なき境界そのものだ。

「無縁」とは世俗の世界(有縁)から縁を切った場所、「無主」の(主なき)世界。

曰く:

〈「無縁」の勧進上人が修造する築造物は、やはり「無縁」の場でなくてはならなかった。〉

——網野善彦『無縁・公界・楽』平凡社選書、p.168