Le contenant de l'eau

21 mai 2019, mardi

 

昨夜(5月20日)はものすごい豪雨だった。

一昨日、屋久島の豪雨報道があったばかりだ。

気候変動の影響だろう。

 

わが家にも大きな水溜めができていた。

水溜め

水溜め

これも水溜めの一種だ。

 

そういえば、KUNST ARZTでの「フクシマ美術」展でも、画廊の床を大地化して「湖」をつくった。

「水のゆくえ」はぼくの一生のテーマだ。「ふたしかな屋根」もその一部だった。

流れるのではなく、たまる水も水のゆくえの一部だ。

「水たまり」について考えること。

 

trop des choses à faire

14 - 15 mai 2019

 

大学の仕事が忙しい。

 

5月14日(火)総合基礎第1課題合評。

総合基礎

総合基礎

新入生の最初の課題なので、いろいろ手伝ってやらねねばならない。

土壁づくりの素材と技術の提供も、後始末がついてくる。

ほかの先生方はうまい言い方で評価するが、この日はぼくは言葉が出ず、「準備と後始末は制作と同じくらい重要。いい始末が次につながる」としか言えなかった。

 

・ ・ ・

5月15日(水)

文字の造形的可能性を探求する造形計画1Aは、総合的キュビスムを実際に「演奏」する「ギターのレッスン」。ギターのレッスン

 

総合的キュビスムは、その後の抽象芸術や概念芸術はじめ、20世紀芸術の起点となったが、それを実際に実習させるのは、世界の美大のなかでもまれだと思う。歴史・理論研究と制作実践が切れているからだ。

総合的キュビスム_ギターのレッスン

こういう実習には説明資料や材料やモチーフの調達はじめ、いろんな準備が必要だが、全部一人でしなければならない。

"Aria de Bach"のタイトル文字を入れた楽譜を急きょつくり、コラージュ用の木目のシール紙を調達する。

総合的キュビスム_ギターのレッスン

 

だが芸大でやるのはこれが最後になるような気がする。

 

昼の13時からは、デザイン科2回生向けのデザイン基礎のレクチャー。

デザインは理論としてでなく、実務としてやってきたので、どう話したらいいのか、準備が徹夜になったが、まとまらなかった。

グラフィックからプロダクト、空間デザインまで、ぼくは何でも抵抗なく手を出しすぎる。

美術をやっていくうえでの必要性や関心の広がりからそうなったのだが、そもそも自分は基本的にアートとデザインを区別して定義することに関心がない。見境なくアイデアが生まれ、見境なくつくりたい、というのが根本にある。

 

このままでは、まとまらないまま人生が終わりそうだ。

 

S.A.R.L "Beaux-arts"

1 mai 2019, mercredi

 

先月の塩江ツアーをきっかけに、来年FKSKで何かプロジェクトを、との話がある。

すでに当日発行の『FKSKしんぶん』に「(有)ボザール」の広告をでっちあげたが、

しょせん物事は深い思慮からではなく偶有的に始まることをふまえれば、この軽い冗談から何かが始まってもいい。

同行した服部志帆さんが塩江でマダニにかまれたらしいとの報を聞き、

ジオットの牛を描いた絵に、塩江で見た屋根に描かれた土星をモンタージュして、お守札を仕立てた。

「(有)ボザール」の製品第1号。(有限会社 Societe à responsabilite limitee=S.A.R.L)

牛は、農繁期に山向こうの徳島からたくさんの牛を借りる「借耕牛」という塩江独特の風習から採った。

 

ジオットー塩江

美術(Beaux-arts)の自己言及性に慣れている美術系のメンバーには受けた。

そうでない人には微笑みを誘っただけだったようだ。

 

画廊美術にも地域アートにも飽きているので、何かちがったことをしたい。

人に理解や共感を求めない、何かもっとアナーキーなことを。

 

Chambre d'amis

28 avril 2019, dimanche

 

今年2月に東九条マダンのヤンソルさんから、彼女が運営する東九条にある Book & Cafe SOL の2階のリノベをしてくれる芸大生を紹介してくれと頼まれ、昨秋、崇仁テラスで二人展をした毛利愛実子と山本紗祐里に声をかけたところ、がぜん意欲的だった。

しかし心配になって、念のため、2階の部屋を見に行ってみると、化粧ベニヤをはりまわしたペラペラの壁に低い天井、畳敷きの部屋で、これはたいへんそうだな、と思った。

案の定、しばらく動きはなかったが、4月半ばをすぎて、山本さんから相談したいと連絡があった。

それで28日、他に参加したメンバー2名(彫刻の野村由香、染織の玉井静穂)と合わせて、現場に集合。

こちらも忙しいので、さっそく作業できたらと工具を持参。だが案の定、彼女たちは工具類を持ってきてなかった。

cafeSOL

漆喰を塗るつもりで養生していたらしい。

cafeSOL

床をはがすと出てきた。

cafeSOL

壁の化粧ベニヤをはずすと出てきた。

cafeSOL

cafeSOL

竹木舞の土壁だった。壁の起伏が大きく、ベニヤの下地とのあいだにあれこれ板をはさんで調整している。

古い窓枠の梁が傾いていたが、あとからつけたアルミサッシの窓枠は無事だった。大工の仕事だ。

1階の柱や梁がわりとしっかり補強してあるので、床も壁も本来なら全部はがして下地からやりなおすのがいいのだが、彼女たちはもう学生ではないので、まとめて時間がとれないらしい。

cafeSOL

二つの部屋があるが、一部屋の天井は石膏ボードをパネル化して屋根裏から吊り下げている。

天井板もはずした方がいいが、補修や塗装の仕事が発生する。彼女たちの決意しだい。

cafeSOL

壁板を全部とるには、取り付けられたクーラーもいったんはずさないといけない。

この日はスパナまでもってきてなかったので、連休中の別の日に。

 

やんそるさんは、「部屋の名前までみなさんで考えて」と。

ついてる連中だ。

彼女らの作品であると同時に、創作や市民活動に関わるいろんな人たちの交流の場になれば、と思う。

ふと「友だちの部屋 Chambre d'amis」という名前を思いつく。

 

 

Cithare à une corde : Sumagoto

28 mars 2019, jeudi

 

平野重光さん宅に一弦琴を預かりに行く。

 

平野さんはぼくが信頼する数少ない美術史家で、もと京都市美術館学芸課長・倉敷芸術科学大学教授。

生家は青銅の製品づくりで著名な平野英青堂。

ご専門は近代日本画だが、同志社の美学出身で、若い頃は現代美術に関心が深く、1970年代は京都ビエンナーレなどの伝説的な現代美術展を京都市美術館で企画されていた。

 

2月に+1artでの「発酵をよむ」展に来廊いただいたが、あいにくぼくは不在だったので、お礼の手紙をさしあげたところ、

平野さんの祖母の故・平野ヨシさんの一弦琴と関連資料を京都芸大に寄贈したいが、どうかと返礼があったので、

この日に伝統音楽研究センターの竹内有一先生といっしょに山科のご自宅におうかがいした。

 

2月11日以来、何か弦楽器に縁を感じるのだ。

平野さんとの再会のきっかけになった「発酵をよむ」展は、発酵音の響きを造形的に空間化するものだったが、関連イベントの演奏会(2月11日)で、中川佳代子さんの和琴による「植物文様琴歌集」(藤枝守作曲)を聴いた。

奏者の息遣いと地続きのような、なまめいて繊細な響きに感心した。西洋クラシック音楽の「強い」楽器とはまったくちがう「弱い」弦楽器のあり方。

次いで、2月16日には、同じく藤枝守さんと中川佳代子さんらによる「糸が紡ぐ音の世界」

さらに3月17日に研修旅行の下見でいったみんぱくで、南アジアの弦楽器展に出くわした。

 

そして今度は一弦琴。

 

一弦琴は須磨琴ともいい、平安時代、六歌仙の一人・在原業平の兄の在原行平が須磨に流された際、寂しさを紛らわすために、浜辺に流れ着いた木片だか、軒の庇の板だかに、一本の糸を張ってつまびいたのが起源という伝説があるそうだ。

民音音楽博物館の記載によれば、「江戸時代初期に中国大陸より伝来し、河内国の僧により広まった。幕末に土佐藩士のあいだで流行し、土佐一絃琴と呼ばれた。須磨琴、板琴ともよばれる」とある。

板琴とも別称するだけあって、きわめてシンプルな構造。

 

一弦琴

弦をはる胴体部は桐製で、これは板状ではなく、中に空洞があって箱状になっていた。

一弦琴

表面には、ふつうは貝で点を打つ位置に、「和久楽葉仁志羅奈美多飛人(わくらばにしらなみたびと)」と漢字が刻んである。

由来がなぞ。

 

下に琴板を敷き、少し浮かせて共鳴させるが、音は小さいという。

コンサートなどでなく、少人数の集いの場で風流を楽しむために奏したらしい。

一弦琴

京都府の文化財保護課が録音したというテープも寄贈いただいた。

伝音ではすぐに聴ける再生機があるらしい。どんな音なのか、聴いて見たい。

 

平野さんの祖母の平野ヨシさんは、昭和36年に人間国宝に次ぐ無形文化財に指定された方。

そのころの貴重な新聞記事もいくつかいただいた。

なかなかすごいので、ひとつをここにアップしておく。

一弦琴

 

琴はまったく素人だが、弦一本だけで奏でるかたちがとても魅力的だ。

ひまになったら自分でも屋根の庇に弦をはってつまびいてみようかと思う。

柿沼敏江先生が習っていると竹内先生から聞いたが、これ()かな?

 

現代芸術にたずさわっていると、古いものに関心がいくのは、美術も音楽も同じなのか。

 

とにかく思わぬ縁で伝音に貢献した。不思議な春の一日。