Lettre d'Ismail

26 novembre 2018, lundi

 

大阪の"+1 art"での年末チャリティ企画展に今年も参加する。

今年のテーマは、『なくなりそうなことば』。

民博の吉岡乾氏の著書『なくなりそうな世界のことば』(イラストは西淑氏)に触発されての企画という。

ギャラリーオーナーでアーティストの野口ちとせさんが手づくりで小さな箱をつくり、それを作品の器として出品者に提供する。

 

自分は言語学者ではないが、先住民の文化や技術に関心があるので、どう取り組むか、考え込んでしまった。

少数民族の言語が消えるのには主に二つの理由があると思う。

一つはその民族そのものが絶えること、もうひとつは別の支配的な制度や教育によってその言語が強制的に駆逐されること。

これらはともに背景に猛烈な勢いで進むグローバリズムがある。

このグローバリズムは資本主義を基軸とする西洋近代の価値観に根ざしているが、これに対する激しい政治的反抗が、2001.9.11のテロに始まるイスラム原理主義の動きだろう。チャリティの宛先もマララ基金である。

そう思うと、作品の出発点を、2001年9月に小野和則さんと倉敷のサロン・ド・ヴァンホウでやった「光の記憶」展にまでさかのぼらずにはおれなくなった。

あのときは、展覧会準備中に、9.11の世界貿易センタービルへの自爆攻撃が起こり、急きょ展示内容を変更したのだ。

そのときの出品作のひとつに『イスマイルの手紙』というのがあった。

Letter of Ismail

自爆したテロリストの両親宛の手紙が和訳されて読めることがあり、その言葉を短いフレーズに分解して、スライドで障子に投影したのだ。作品はほかにドローイングや映像があったが、個人的には『イスマイルの手紙』に今後の可能性を感じていた。

 

典拠がどこかに行ってしまったが、幸い言葉は残っていたので、今回はそれを石膏片に載せることにした。

手紙の文章から切り離されて孤立させられた言葉を、石膏片を背景に見る/読むことは、手紙そのものを読むよりもさまざまな想像を誘う。

Letter of Ismail

Letter of Ismail

ランダムに箱につめる。

 

石膏が水を吸うので、水転写シートを使うのがむずかしかった。

締切時間から15分遅れで搬入。

河原木さんと、マララに対するタリバーンの幹部アドナン・ラシードの書簡(「近代教育は西洋グローバリズムを伝統社会に持ち込むだけだ」)の話をする。

本当にむずかしい問題だ。

だが、イスマイルの背中越しに、世界への違和感のまなざしが自分の中にあるのを否定することができない。

ぼく自身も土地なき難民の孫なのだ。洪水や荒涼とした原野のイメージがいつもからだのなかにある。

 

Letter of Ismail

 

Événement de la disparition

10 novembre 2018, samedi

spacial poem

 

11月7日(水)、Sébastien Pluot という人物から、塩見允枝子先生の《Spacial Poem #9 Disappearing Evnet》(1975)の再演への参加の招聘がメールで届いた。

彼がディレクターを務めるArt by Translationという組織が企画する"The Tyranny of Distance"(横暴な距離と訳せばいいのか?)という展覧会の一部らしく、フランスのAngersにある美術学校(ESBA TALM)とアメリカのLos Angelesにある米仏芸術交流財団 FLAX (France Los Angeles Exchange)で同時開催するのだという。

内容は11月10日までに、塩見先生の《消えるイベント》を自らやってレポートを送れという。

翌日、塩見先生にたずねると、「今頃になってスペイシャル・ポエムを再現したいという人たちがいて、不思議な気もしています。直前になって、日本にこの案内状を送った方がいいと思う人はいないか、と尋ねられたので、無断で申し訳ないとは思ったのですが、近況報告がてら、井上先生と柿沼先生のアドレスをお教えしました。参加して頂ければ嬉しいです」と。

 

忙しいし、直前すぎるがこれはやらないといけないと思い、豪雨だった9日朝、手鍋を外のデッキに出して雨を集め、帰宅後、瓶に入れた。

翌10日は快晴だったので、10年前のアルミの作品《打つわ》に雨水を移して、陽光にさらした。

Shiomi_disappearing event

Shiomi_disappearing event

Shiomi_disappearing event

Shiomi_disappearing event

小さな水面に青空と雲が映る。

ふと先日亡くなった堀尾貞治師匠がこぼした水の輪郭をよくなぞっていたことを思いだし、堀尾さんへの追悼も込めて、水面の輪郭を白のダーマトでなぞった。

《打つわ》は日に当たって温度が上昇し、雨水が蒸発していき、水面は小さくなっていく。

雨水が起源である雲の素に戻っていくというイメージだ。

 

間に合うのかどうかわからないが、やり始めると面白く、のめりこんだ。

とくに消えていく水面に映る雲の映像がとても美しい。発見だった。

消えゆくものはなぜか見飽きない。

Shiomi_disappearing event

Shiomi_disappearing event

Shiomi_disappearing event

最初2時間くらいで水面はどんどん小さくなったが、日が傾いて温度が下ると、とたんに蒸発の速度はおそくなった。

 

Sébastianに送ったレポート(月をまちがえてoctoberとしてしまったので、あとで訂正):

 

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disappearing event

Akihiko Inoue

 

Yesterday 9 november, a rainy day, I gathered the rainwater.

Today, it's fine. At the same place, I put the huge platter of aluminium that I'd made,

into which I poured the rainwater.

I traced the outline of the small surface of rainwater on which the clouds and sun reflect themselves,

and for a long time I watched the surface becoming smaller and smaller until it disappeared into clouds.

 

place: 1-18-7, Kayougaoka, Nagaokakyo, Kyoto, Japan

         latitude 34.925376 / longitude 135.673026

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Enlèvement des expositions

4 novembre 2018, dimanche

 

二つの展覧会の撤収を二日連続で行う。

 

日曜は、徳島県立近代美術館ギャラリーでの「おもかげおこしふくわらい」展の撤収。たった5日間の展示だった。

おもいでおこしふくわらい

13時に自宅を発って、高速とばして16時に徳島着。

展覧会の評判はよかったと聞いたが、火曜も展示が終わってすぐ京都に戻り、この日も閉館までの1時間しか会場にいないので、実感がない。

おもいでおこしふくわらい

17時からただちに撤収を始めて、企画者の吉原美恵子学芸員やデザイナーの内村夫妻、地元のデザイン会社L.M.Pの人も手伝ってくれたので、二日がかりだった展示も1時間で撤収が終わった。

おもいでおこしふくわらい

おもいでおこしふくわらいお

展示室全面にふくわらいを貼りまわしたが、監視カメラや控室の扉のヒンジははずすことができないので、逆にそれをふくわらいに取り込んだ。この二つだけが障害者施設の人でなく、ぼく自身のふくわらい。

4人(ぼくと日下部一司さん、今村源さん、三嶽伊紗さん)は、よく示し合わせたように会場のすべてを使いきる。

脚立を片づけないで、会場に残しておくこともすんなり決まった。

そういうことが楽しくて、いっしょに展覧会をしているようなものだ。まだ3度目だけれど。

 

撤収が終わって直後、神戸の森下明彦さんから、わが師匠の堀尾貞治さんが亡くなったという知らせを受け取った。

 

堀尾さんのことで頭がいっぱいになりながら車を走らせ、23時帰宅。

夏のワークショップ以来、今年は何度も淡路島を通ったが、結局、PA以外に島に降りたのは、給油のための一度だけだった。

次は来年1月、京都のArt Space Cojinで展示。

 

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5 novembre 2018, lundi

 

11月5日は、元崇仁小学校での「水の生きものでアートする」の撤収。

手伝いを呼ぶのがめんどくさいので、一人で作業した。

元崇仁小学校内高瀬川

橋のらんかんに立てていた幟を解体して確保した3mの角材が役に立った。

これで脚立を安定させ、かつ絵が川に落ちるのを防ぐことができた。

元崇仁小学校内高瀬川

はずした絵は、描いた子どもたちがいる崇仁児童館に寄贈。

窓の飾りでも切ってテーブルクロスやランチョンマットでも、何かに使ってくれるとうれしい。

 

今回、川というものの面白さ、奥の深さをあらためて実感した。

 

ひとりで作業していて面白いのは、当然手が足りないから、まわりの事物や状況を第3、第4の「手」にしないといけないことだ。

「手を増やすこと」がうまくいくと、まわりの世界がぼくを助けてくれる感じがして、世界と一体となっている幸福感がある。

人間ではなく、物質世界との一体感。この悦びがぼくの創作の根底にある。

そして人間以前、人間以後の荒野を夢見る。

だいそれた芸術思想など、じつはないのだ。

 

art, communauté et le vide dans la ville

3 novembre 2018, samedi

 

11月3日、秋晴れのもと、東九条マダンが元崇仁小学校で開催された。

東九条マダン

東九条マダン

崇仁高瀬川保勝会会長の山内政夫さんが提唱して、ようやく実現までこぎつけた。

本当に地域を越えた創造的まちづくりにつながっていくのか、ただ今年だけのアピールで終わるのか、それはこれからの問題。

地域の人間でない自分としては、頼まれて引き受けたことを美術家として確実に現実化していくまでが仕事。

芸大の人間はだれもこの地域とかかわる創作活動しないから、仕方ない。

ただしデザイン科の先生は課題の授業をここでやって、地域貢献をアピールしている。呼ばれて演奏する音楽学部も同じ。

移転プレ事業と称したstill movingも今年は開催されない(のか?)。

 

先週から一人で川の上への展示作業を始めた。3人の学生(2名京芸、1名立命館大)が部分的に手伝ってくれた。

元崇仁小学校内高瀬川

11月1日、6mに接いだ35mmの角材を川の上に吊るす。

手伝いは毛利愛実子さん(透明なすみか展)と伊藤真里衣さん(陶磁器4回生、元つちのいえメンバー)。助成金から謝金も渡す。

元崇仁小学校内高瀬川

河岸の落葉や枝を集めて掃除して、通路をきれいにしてくれた藤原祥太郎君(立命館大3回生)と東九条マダンの美術班のおっちゃん。

京芸移転後も高瀬川と体育館は残るから、ここは京芸の敷地内の特別な場所になる。

先取りして「高瀬川ギャラリー」と名づけることにした。

 

ワークショップで透明なテーブルクロスの原反に子どもたちが描いた絵は20m弱(5m×4枚)。

それを全部水平に吊るせたのはマダン前日の2日の午後5時。

中村伸之さんが樹木を切りすぎたので、ワイヤーを張るために再度木を立てねばならず、それで手間取った。

 

元崇仁小学校内高瀬川

帰宅して深夜にビニールの廃材に字を描き、3日の当日朝に幟に組立て、朝10時に橋に取り付ける。

元崇仁小学校内高瀬川

朝に即席でつくった矢印もつけた。

 

元崇仁小学校内高瀬川

なんとか展示が間に合った。

 

元崇仁小学校内高瀬川

高瀬川ギャラリー

元崇仁小学校内高瀬川

小学校内の高瀬川には木製の橋と平行に飛び石がついている。案の定、子供がいっぱい遊んでいる。

ここが高瀬川ギャラリーと東九条マダンのグラウンドとの接合部。

接合部は、上下の動きを誘う凹凸に満ち、川を渡るという体験ができる絶好の空間。

この空間の仕組みこそ、人間にとって根源的なのだと思う。遊具はいらない。

 

崇仁テラス

崇仁テラスでは、東九条マダンの事務局をつとめ、演劇をしている浜辺ふうさんが一人芝居を行った。毛利+山本「透明なすみか」展とのコラボレーションでもある。

 

 崇仁テラス

崇仁小学校から大勢の観客を引っ張ってきたのも彼女だ。

芝居の内容も、自分は日本人だが、東九条で生まれ育ったので、韓国・朝鮮人の文化になじんでいて、そもそも生きている個人としては、国籍などどうでもいいのではないか、という、まさしくテラスの哲学を地で行くもの。

展示台につかっている円形ベンチを一つはずして、文字通りベンチとして芝居の小道具に使っている。

芸大にほしいくらいのクリエイティブな子だ。(画像クリックで動画にリンク)

 

今回の彼女のパフォーマンスと芸大生らの展覧会の自然な融合を見て、テラスをつくってよかったなと心底思えた。

むくわれるというのは、こういうことをいうのだろう。

崇仁テラスという川の上に浮ぶ空き地は、所有者もなく、芸術を通して人間以前の自然に手をのばすための「無場所」なのだ。

横が工事現場という現在の設定もいい。

芸大移転を先取りする「テラス」。

とはいえ、じつは芸大が来たときには、さまざまな現実的条件が押し寄せ、このような抽象性をもった無場所は実現しないだろう。

 

Atelier des enfants avec des créatures dans le canal Takase-gawa

4 août 2018, samedi

 

朝10時から崇仁テラスで子供ワークショップ。

川の中の生きものを捉まえて、それをよく見て色鉛筆で絵を描く。のちにそれを透明ビニールシートに絵具で大きく描いて、川の上に展示するというもの。

 

聞いていたのは、崇仁児童館と東九条マダンの子供たち、合わせて約30人ということだったが、正確な数がわからないので、スケッチブックと色鉛筆の調達に悩む。色鉛筆はトンボのミニ色鉛筆12色NQ、それにB4のスケッチブック、それらを30名分、複数の画材屋から慌ててかき集める。ミニ色鉛筆12色NQがまにあわなかったので、長いものをノコギリで半分に切らざるをえなかった。

 

生きもの調査は、環境教育家の河合嗣生さんに指導いただく。河合さんは中村伸之さんと京大農学部の同期らしい。

ぼくが担当するお絵描きワークショップは、この秋に崇仁テラスで展覧会をしたいという京都芸大の2人の大学院生、モウリアミコ(陶磁器)とヤマモトサユリ(染織)に手伝ってもらう。

高瀬川こどもWS

高瀬川こどもWS

生きものの捉まえ方を伝授する河合先生。(道具類は中村伸之さんが用意)

高瀬川こどもWS

高瀬川こどもWS高瀬川こどもWS

亀をみつける。例のクサガメ、この辺りの川のヌシ。

高瀬川こどもWS

崇仁児童館の作業室に移動して、まずは河合先生の生きものの分類調査を見る。高瀬川こどもWS高瀬川こどもWS

分類されたものをよく見て、その姿をスケッチブック1ページに大きくスケッチする。名前も書く。

河合先生の分類は以下のとおり。

0 クサガメ
1 シジミ
2 ヌマエビ
3 アメリカザリガニ
4 ヒル
5 カワニナ
6 コオニヤンマのヤゴ
7 サナエトンボの一種のヤゴ
8 ナベブタムシ
9 ドンコの稚魚
10 オイカワの稚魚
11 サカマキガイ

 

春の生きもの調査のときと種類は異なるが、やはり高瀬川は、多様な生きものが棲む比較的きれいな川なのだ。

 

高瀬川こどもWS

河合先生が分類しているあいだ、クサガメを自由に描かせる。

「さっき大きな亀いたね?見たひとも見なかったひとも、自由に亀を描こう!」

 

まもなくスケッチブック上にじつに多様な色・かたちの「カメ」が現われた。

すぐにビニールに描かせなくて、採取・観察体験を経てから描かせたのがよかった。

美術を科学や日常的体験から切り離さず、地続きにすること。

そこから生まれる多様性の花々こそ祝福されるべきものだと思う。