Lessons de temps

9 juillet 2019, mardi

 

最初の個展「時間のレッスン」(1993年)のアーカイブページをようやくアップした。

忙しくて自分のウェブサイトがずっと工事中のままで、なんとかしなければと思いながら、10数年たつ。

ここに来て、自分のスタートラインをあらためて見直しておこうと思ったのだ。

つくることが根っから好きなので、その後は造形的な仕事が多いのだが、出発点は、「美術」や「展覧会」「作者」「作品」の概念そのものを宙づりにするラディカルな仕事だった。

あの先鋭さはその後失っているのではないかと反省する。

「死」の意識が薄れているからか。

あのときのヒリヒリするような緊張感を取り戻さなければならないと思う、

 

アーカイブ作成のためにファイルのなかの資料を整理していたら、堀尾貞治師匠から展覧会後に届いたハガキが出てきた。

ぼくの作家人生を左右した難波道弘さんも堀尾師匠ももういない。

アートスペース虹ももうない。

 

「残る」とは何か、「残るもの」とは何か――「時間のレッスン」を導いたこの問いかけは、大きな虚無と一体のものだった。

 

堀尾貞治師匠からのハガキ

 

 

*ウェブサイトは古典的にHTMLとCSSで手作りしているが、スマホや一部のブラウザ(Chrome)でCSSが正常に機能しないのはなぜなのか? 

 

 

 

Ce ne sont pas des lettres.

18 juin 2019, mercredi

 

芸大の造形計画1の授業。今年は文字の造形性・空間性をテーマにしていて、この日はクレーの文字絵を「演奏」する。

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「精神はどこにおいてもっとも純粋であるか? はじまりにおいて。したがって、フォルムを考えるのではなく、形成を考えること。……「文字」の発生は、運動のもっともよい比喩であろう。芸術作品もまず第一にゲネシス(発生)として捉えられねばならない。」――パウル・クレー

 

A_アルファベットの任意の文字を用いて、「文字絵」を制作する(クレーの『造形思考』から)
B_任意の数字を用いて、「文字絵」を制作する(変奏)
C_任意のひらがなを用いて、「文字絵」を制作する(変奏)

 

注意:

・「はじまり」を意識すること
・紙に鉛筆(色鉛筆も可)、青カーボン紙、大きさ、紙質自由

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最近また絵やドローイングをする時間がなくなっているので、課題を出しながら、自分でもやりたくてたまらなくなる。

で、青カーボン紙を使って「これはもじではない」と描く。偶然にもクレーが描く顔のような形象が生まれた。

この課題、音楽好きだったクレーも喜んでくれているとしておこう。

文字絵

アルファベットやひらがななどの表音文字と並んで面白いのが「数字」だ。

数字は並んでいるだけでも面白い。具体の田中敦子は数字を書くことで絵画から別次元の平面に飛躍した。

この領域をぼくは「数字美術」と名付けている。

数字美術

昔の芦屋市美術博物館での童美展で。

「数字美術」は、児童詩誌『きりん』をやっておられた故・浮田要三先生から示唆された。

数字美術

パリの街角で。

Suujin et Zheng Bo

26 mai 2019, dimanche

 

ギャラリーアクアの藤田瑞穂さんから、招聘した中国人アーティストのジェン・ボー(鄭波)の崇仁でのワークショップに、地元に関わる人の参加が少ないと知らせを受け、気になっていたので、ワークショップの3日目に顔を出した。

案の定、地元に関わる人間は山内政夫さんと藤尾まさよさんだけで(間欠的参加)、あとは京芸関係者や移転に絡む建築・デザインに関わる若者ばかりだった。テラスづくりや川掃除でさえ地元住民は参加しないのだから、今後とも住民参加のまちづくりなど、絵に描いた餅にすぎないだろう。まちづくりは他所者がやるものだ。

 

ジェン・ボーのワークショップは、3日連続で、自己紹介を兼ねた参加者各人によるワークショップ→遠足→水平社宣言(1922)更新の試み、と続く。

いわゆるSocial Engaged Artの中国における旗手というジェン・ボーが、京芸移転先の崇仁地区に関心を持つのは当たり前だろう。

ちょうど彼が近年テーマとしている「雑草」が、ひとけの乏しくなった崇仁地区に目立つこともそれを促す。

 

崇仁

 

会場の崇仁小学校に着いたときは、もう彼の「平等」の考えについてのレクチャーが始まっていた。

ZhengBo_WS

このあと、「水平社宣言」を人間以外の生き物にも広げて、三つのチームで書き換える作業に移る。

 

ぼく自身もよくワークショップを頼まれてするので、人のワークショップに参加するのは、その進め方も含めて参考になる。

今回よかったのは、グループワークに入る前に、一人で作業する時間を与えたこと、そして10分間昼寝させたことだ。

特に昼寝は、頭脳を休め、心身をリフレッシュさせて、自他とのコミュニケーションを取りやすくする。

前日も遠足先の道端?で昼寝したと聞いた。Workに非Workを取り入れるので、N-Work-shopとでもいえるか。

昔松山でやった「眠りのレッスン」を思い出す。

参加者全員がクリエイティブになり、自分でも驚くほどの効果を上げた。

 

ZhengBo_WS

ぼくが入ったチームには、ジェン・ボー自身と、京大の伊勢武史准教授(森林生態学)も入っていて、意見の対立もなくすんなり進む。

ぼくが出したアイデアは、非生命も含めて地上の全存在が超新星爆発の残骸でできていて、すべての実在はつかの間の存在にすぎないこと、その認識がなければ真の万物平等の思想は成り立たないということだった。メモに記していたタイトルは「万物水平社宣言」。

「万物」と「水平」と「無常」はキーワードになった。だが日本の無常の考え方と老荘思想のちがいをジェン・ボーに説明するのがかったるい。宮澤賢治は法華経だし。

それに異質な文体と思考を一つの文章にまとめることはむずかしい。そもそも文章化にあまり興味がない。あとは発言を控えるようにした。

ZhengBo_WS

ぎくしゃくしながらなんとかでき上がった宣言案をもう一つのものにつなげて注釈もつける。

注釈部分はジェン・ボー自身が用意していたエコロジー思想を表す文章をそのまま筆写した。

筆で文字を書くという行為は中国人にはなじんでいるのだろう。筆書きの習慣の薄れた日本との違いだ。

 

自分のチームの文章中、「束の間の時間」という箇所に「間」が抜けて「束の時間」となっていたことに気付いたが、放っておいた。

展覧会場で印刷物になって配布された成果物にもやはり間が抜けて、マヌケなものになっていた。

ZhengBo_WS

 

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1 juin 2019, samedi

 

定例の川掃除のあと、ギャラリーアクアでのジェン・ボー展のオープニングに行く。

1階が崇仁の学習室のような構成で、彼が崇仁で集めた資料やワークショップの記録が並び、2階に映像作品《Pteridophilia 1》。

4Kの映像が中国ではもう普通になっているのだろうか。

1階の学習室には、ぼくがデザインした《川デツナガル》のフライヤーや「われら山水河原者の末裔なり」展の図録も並べられていた。

ZhengBo_WS

 

一番興味深いと思ったのは、2階の廊下に展示されていた『上海野生食用植物』(1961年発行)の模写(2016)と、『台湾野生食用植物図譜』(1945年発行)の模写(2016)だ。

特に後者は日本語で書かれており、序文には次のようにあった。

「食糧戦に勝利出来れば此の戦争は我が方の勝利に帰することは明である。
此の重要な食糧戦の一助にと云う念願から台湾植物同好会が昭和十八年一月以来台湾の野生植物中食用に供せらうるものに付き、当会員協力のうえ、試験研究を続け、その数多きに達した。
…而して此の研究が完了したものの中より百種を選考して種類名を確め、且つ写生図を掲げ、これに解説を付し産地と分布を明にし、さらに食用法を加えて本書をなしたのである。」

 

ジェン・ボーは日本語が読めたのだろうか。

日本の植民地・台湾で食べられる植物が戦争に利用される。この一点の事実で、植物への視点は、単なるエコロジー賛美ではなく、不穏な歴史的政治的含意をまとうことになる。

 

Tibet est

25 mai 2019, samedi

 

服部志帆さん情報で、同じピグミーのバカ族の音文化を研究している音楽人類学者の矢野原佑史さんがトークに登壇する映画『チベット ケサル大王伝 〜最後の語り部たち』を十三のシアターセブンに観に行く。

「シアターセブン」は「第七劇場」と同じ建物の中の一階下にある。後者は名前は聞いたことがあるが来たことがなかった。

両方ともいいラインナップの映画が並んでいる。

『ケサル大王伝』も初耳だが、大谷寿一監督が東チベット(四川省・青海省)で撮った渾身のドキュメンタリーで、世界最長の英雄叙事詩を伴奏もなくひたすら早口で憑かれたように謡う語り部たちを追う。

語り部たちはみな男性で、多くは若い頃、夢のなかでお告げを受け、一週間、熱にうなされたあと、突然文書も見ないで語り出すという。多くの語りは、草原をバックに撮られ、彼らが遊牧の民であることを示す。

ケサル大王伝を語ること、聞くことは、民族的アイデンティティとコミュニティ意識の醸成につながっている。

 

だが、映画は伝統文化の賛美に終わるのではない。

浸透するグローバル経済とそれを支える高速道路建設と土地開発、中国政府の定住化政策と民族同化政策によって、語り部たちが生まれ育つ草原とその文化は、どんどん消滅している。若者たちは中国語を話し、もはや『大王伝』の語りの言葉を理解できない者が大半だ。ときおり挿入される建設現場の映像、大掛かりでありながら白けたケサルのフェスティバルが、チベット文化を取り巻く現代中国の現状を示唆する。

中国政府はそうやって伝統を背景の自然もろとも破壊しながら、博物館をつくり、観光客向けのお祭りをでっち上げる。中国で少数民族の文化が喧伝されるとき、それはその民族文化の隅々まで中国国家の管理下におかれ、生命を奪われたことを意味する。


グローバリズムは、西洋由来のミュセオロジーと文化遺産のイデオロギーで身を飾って、空疎な「多様性」を謳う。

2012年に内モンゴルを訪れたときと変わらない光景が、東チベットにも広がっているのだ。

 

内モンゴル

2012年9月、内モンゴルの高速道路は、地平線の彼方まで物資輸送のトラックで埋まり、ほとんど動いていなかった。

 

Minpaku : Le Musée national d'ethnologie

24 mai 2019, vendredi

 

前日の5月23日、はじめて五芸祭の開会式に出席した。

学校行事には極力関わらないでいたが、一回くらい参加しておくのもいいかなと思って。

挨拶する5人の学長たちのなかで女性は京芸の赤松玉女さんだけ。各大学の学生実行委員会の委員長も全員女子。

日本の美大の現状をかいまみれた。

 

24日は、14時からみんぱくで、次年度春の特別展「先住民の宝」への展示協力に関するミーティング。

先住民のオランアスリの森でのワークショップにわれわれを招待してくれたマレーシアのアーティスト、シュシ・シュライマンを、企画者の信田敏宏教授に会わせるためでもあった。彼女はもっかAIR尾道に滞在中で、小野環さんが連れてきてくれた。

FKSKのメンバー全員が信田先生と会うのもこれが初めて。

 

信田先生から頼まれた「先住民の宝」展の展示協力に関して、オランアスリの伝統的な建築技法を異なる素材でどう使うかを気に揉んでいたが、有形無形の「宝」を生み出す森の環境に関心があると言うと即理解下さり、展示はまかせたいと言われる。

展覧会としての統一性のことを心配すると、それも気にしなくていい、と。

これは俯瞰的な統一性など気にしない先住民的な精神で会場も構成したいということだろう。

水木しげるの漫画などといっしょに、展覧会場の内外にオランアスリのコーナーをつくることになる。

まだ現地を見てもいないのに、何か今までにない展覧会にしなければ、と責任を感じる。

9月に予定しているオランアスリの森での仕事によほど集中して取り組まねばなるまい。

 

あとで会場見学をかねて、コレクション展や企画展示棟などを案内いただく。

みんぱく

オランアスリのコーナーにある、森の精霊たちの木彫。木の種類がわからないが、南洋材らしい緻密な木肌だ。

水木しげるは彼らと森で出会ったのか。

 

企画展示棟だけでなく、その地下の大きな待合所兼仮資材置場も見せていただく。

ここは2009年の総合基礎で展示に使わせてもらった部屋だ。

あのときは上の会場で「千家十職」展、下が総合基礎の「具具ッ」展だった()。

空間のプロポーションが悪いし、大きすぎて使いづらいが、ほかのメンバーの反応が意外に肯定的で驚く。

 

屋外に壊れたトーテムポールがあるというので、見せていただく。

みんぱく

去年の「複数形の世界のはじまりに」展のまえに上野公園をフィールドワークしたが、あのときもトーテムポールの由来にみな興味津々だった。

何かが循環している。

 

それにしても、みんぱくの空間、とくに屋外は十分活用されているとはいいがたい。

新しい人の流れも生み出したいと夢想する。