com-position aujourd'hui 200901

1 septembre 2020, mardi

 

9月になった。

本日の「コン・ポジション」

composition aujourdhui

com-position aujourd'hui 200901, chez moi

 

pour le terrain illégal_1

28 août 2020, vendredi

 

前日、久しぶりに崇仁高瀬川保勝会の資材置き場(崇仁第2浴場脇)に行った。

場所の利用について、敷地を管理する都総合管理(株)と話をするためだった。

人の出入りに神経を尖らせている。

行って見ると、見慣れないイナバの物置が高瀬川沿いに3台設置してあった。

崇仁テラスの資材置き場と、七条大橋をキレイにする会の照明部材置き場のあいだに2台、さらに後者の北側に1台。

崇仁資材置き場

崇仁資材置き場制作

物置は真新しいもので、ぼくが5月に移設したもの()より奥行きが浅い。

ここは市有地だから、市がやったのだろうと思い、すまいまちづくり課に電話する。

担当の係長曰く、崇仁団地の解体でやはり置き場がなくなった自治連合会の資材用として設置したと。

 

いくら市の土地だからといって、テラスの資材の運び出しなどに邪魔になるかもしれず、なぜ保勝会側に連絡しないのか。

また担当者は現地に来ず、業者にやらせているから、物置が高瀬川の眺めを見えにくくしていることもわかっていない。

想像力がなく目先のことしか考えないクソ役人の典型だ。

 

しかし、「市有地を地域住民の活動のために提供する」というぼくのアイデアにそのままのっかってるので、この場所を地域の新しい公共空間=地域の未来のための工作・交流空間にすることにはつながる。保勝会だけでなく自治連合会も使うとなれば、いわばお墨付きを得たかっこうだ。

 

このエリア、屋形町は、1964年の新幹線の高架工事まで、崇仁の被差別部落や東九条の在日の人たちが入り交じって暮らすスラム街だった。

 

屋形町地図

山本崇記『住民運動と行政権力のエスノグラフィ』晃洋書房、2020年、p.41より 一部着色・文字記入

 

昔の崇仁

高瀬川に沿って崇仁地域から東七条屋形町〜東九条地域に続くバラック。1960年代。(柳原銀行記念資料館蔵)

 

被差別・マイノリティの人たちのポテンシャルを考える上で、世界人権センターの『Globe』で目の覚めるエッセイに出会った。

小林ひろみ

七条水車小屋の被差別民の人たちがつくったという「投渡橋」に興味がある。

不安定な水際というか河原に住む人たちは、特殊な創作能力を持つ。彼らを差別する町衆にはない能力が。

そのうち物置をまたぐように「高瀬川展望橋」をつくってやるか。

このところ「水の無法」というイデアが浮遊している。

 

崇仁団地解体

崇仁市営団地の解体が進んでいる。

 

滑り台 青空仰ぐ 遠き日の

 

崇仁市営団地跡地

ここが3年後には京都芸大(テラスC)になる。

このショット、偶然ながら、階段(すべり台)が映り、遠くに新幹線も見える。空と地面も同じようなムラのある布置で対応している。二度とない光景だと思う。

 

「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)ならぬ「創造の無法地帯 terrain illégal」を仮設すること。

あふれる水とともに。

 

Lessons de temps

14 août 2020, vendredi

 

毎夏行っている四天王寺に今年は車で行った。

公共交通機関不使用期間新記録を更新している。

 

境内の北側に広がる四天王寺霊苑に、日本の活版印刷のパイオニア・本木昌造の記念碑を見つけた。

本木昌造碑

本木昌造(1824-1875)は、長崎生まれだから、何で記念碑が大阪にあるのかなと思ったら、明治3(1870)年に大阪活版所を開設したそうだ(東京、横浜、京都の活版所はよく1871年)。

金属活字だから製鉄とも地続きで、調べると、活版の普及と平行して長崎で製鉄業に専念したり、大阪に初の鉄橋(高麗橋)をつくったりしている(1868年)。

印刷業界や活字系のデザイナー・研究者はだいたいオタクっぽい人が多い。本木は彼らから相当リスペクトされていると感じる(*朗文堂の関連サイト)。

墓所の両端の柱は、モリサワモトヤ。日本の印刷関連業界が凝縮された記念碑だ。

それがこんなところに。やはり四天王寺、侮れない。

 

その後、車で谷町筋を北上し、国立国際美術館のヤン・ヴォー展へ。

展示がとても洗練されている。コロナ禍で展示が延び延びになり、潤沢な時間があったらしい。

ヤン・ヴォー自身の手が動いているのは主として壁の文字で、あとは骨董の彫刻を裁断してカバンに詰めたり、父親に手紙を筆写させたり。

自分以外の人の技術や持ち物(コレクション)を取り込んで、巧みに一つのインスタレーションに仕立てるところは、映画監督的だ。

 

ぼくも30年前に、コレクターの難波道弘さんの蒐集品や、使用されなくなった道具と、自分の所業(映像やモノの再配置、命名)を混ぜ合わせた「時間のレッスン」という個展をアートスペース虹の企画でやったことがある。作者や作品という概念、さらに展覧会という制度を宙刷りにすることをもくろんでのことだったが、当時は「変わった展覧会の企画構成者」とみなされただけだった。

ヤン・ヴォーのはそれをもっと今風に大掛かりにやっているように思える。より力のある著名人や愛好家・蒐集家の協力もとりつけ、現代美術界好みの「ポスト・コロニアリズム」の味付けもたっぷりと。

 

カテゴリーにないことをすると、世間からは既存のカテゴリーに当てはめられる。

時代からあまりかけ離れていると理解されない。アーティストは少しだけ時代に先んじているくらいがちょうどいい。

ヤン・ヴォーみたいに。もっともそういうアートのあり方にもう関心がないが。

 

ヤン・ヴォーは前回の「インポッシブル・アーキテクチャー」展の展示壁面をうまく再利用していた。

壁の表面のところどころに見ごたえのある傷があったが、31番の壁の裏側の左上の紙のはがれ方が秀逸で、カリグラフィーのように見えた。

ほかに、39番の大理石彫刻のアッサンブラージュ《無題》がよかった。

イサム・ノグチの《あかり》がどういう経緯で展示に使われたのか、係員の人にたずねても「担当学芸員がいないのでわかりません」との答えが返ってくるばかりだった。

 

 

 

G d'aujourd'hui 200812

12 août 2020, mardi

 

本日の"G"

G

G

大学の研究室でダイヤモンドエアサービス社のμG(微小重力)実験の記念Tシャツを干す。

 

研究室にワイヤーで中西瑞季(たしか2010年度油画卒業)から預かった作品をずっと吊り下げてある。

「作品を人に預ける」というコンセプトで作品の展示や所在について問い直すというので預かって、この10年間、ずっとこの状態だ。

作品はどこかの場所を占めるのではなく、宙吊りというのがいい。この世に場所をもつことを保留した状態。

後期の授業も遠隔が基本となりそうだが、「作品の無場所性」についてもいろいろやってみよう。

 

プリンタ(Epson PX-5500)も古くなって給紙がうまくいかず修理に出すか迷っていたが、クリーニングシートで解決できた。

 

Artist's Book巡回展は長野、奈良から茨木へ移動中のもよう。

 

 

une nouvelle forme de l'exposition

4 août 2020, mardi

 

京芸の授業で Artist's Book をつくったのだが、いつもなら図書館の閲覧室で展覧会をするところ、それがままならないので、作品をパッキングして、各参加者の家を巡回することにした。

Artist's Bookが、そもそも絵本や画集、写真集の延長ではなく、絵画や彫刻とはちがう美術作品のあり方や、通常の展覧会とはちがって、私的空間で手元で鑑賞するあり方など、オルタナティブなアートの模索から出てきたことをふまえれば、本来のかたちに戻ったことになる。

 

artistsbook運搬

大きな作品もあるので、箱は140サイズになったが(3辺計128cm)、自転車で郵便局まで運べた。

 

ゆうパックアプリを使うと180円割引になり、1770円で送れた。

こういう生活システムの改善についていけてない。