Enseigne de la terrasse de Suujin

24 mars 2020, mardi

 

崇仁テラス

崇仁テラスの看板が傷んだので、作り直す。文字は面相筆で手書き。

 

ホテル養生

ホテル養生("still moving on the terrace", 2016年)のときにつくった階段の廃材を利用。

端の矩形を対角線で切って、斜めに合わせて三角錐にする。

 

崇仁テラス

高さ125cm、底辺が45cmと60cm。、床板にビス2本で固定。

前の看板はよく倒れたので、今度は倒れないように。

 

崇仁テラス

崇仁テラス

崇仁テラス

崇仁テラス

色は全部塗らず、オモテ、ウラそれぞれ板材をむき出しに。ウラ側に補強材を兼ねて水平に小棚をつける。

絵画的立体。構成主義風デザインだなと思う。

 

崇仁テラス

大島桜の今。次の川掃除(4/4)のころには満開か、散り始めか。

 

崇仁テラス

団地が出来たこの春のテラスの風景は、去年までとはまったくちがう。

崇仁テラス

新幹線が通るのが見える。

芸大B地区ができると、新幹線も見えなくなるだろう。

 

そんなことを思っているあいだに、世界中が新型コロナウィルスでパニック状態だ。

密でない野外の作業場はいい。

 

construction de la terrasse de Suujin vol.7

20 mars 2020, vendredi

 

7回目の崇仁テラス設置。

 

崇仁テラス崇仁テラス

手伝ってくれる人が増えたので、一日で骨組みを組立て、床板を置き並べるところまでいった。

新しい団地に越してきた子供たちにとって、高瀬川はいい遊び場だろう。

 

 

21 mars 2020, vendredi

 

午前中に床張りを終える。

テラスに設置する奥山愛菜さん(京都造形芸大学生)の《neo高瀬舟》を、造形芸大からテラスまで運ぶ。

14日から造形芸大は、新型コロナウィルス感染症のため、大学は立入禁止になっているそうだ。

友だちも何人か手伝いにくるというので、設置は学生たちにまかせる。

テラスで展示したいと言ってきたのは3人目。京芸生でないのは残念だが、所属大学などどうでもいいか。

 

 

22 mars 2020, samedi

 

崇仁テラス

22日は奥山愛菜さんの《neo高瀬川〜物モノ語り交換市》。

アドバイスしたせいもあるが、タイトルもコンセプトも当初より格段にしっかりしてきた。

立命館大の藤原君のときもそうだったが、学生が成長するさまを目の当たりにする気分。

彼女が使っているテーブルは、2018年の毛利・山本二人展のときにぼくが廃材と枝木で手づくりしたもの。

モノと物語を持ち寄る人の反応が予想外にいいので、ちょっと窮屈だ。もう一つ用意してやろう。

 

崇仁テラス

すぐ近くで団地に越してきた親子が魚取りをして遊ぶ。

この辺りの高瀬川の生きものの多様性はとても豊かだ。

空き地が広がり、住む人も少なかったからだろう。今後人が増えるなかで、生物多様性がどう保たれるかは未知数だ。

 

それにしても、3年後、この奥の保育所に芸大B地区の5階建てが取って代る。

ぼくが従事している総合基礎の教室もそこに入る。

あらためて実感する、テラスを設けるこの場所が、芸大と地域の関係にとって特別重要な場所になることを。

 

terrain vague pour la production de l'espace créatif

9 mars 2020, lundi

 

4月から芸大移転地の元崇仁小学校が行財政局の管轄に移る。

それに伴い、崇仁高瀬川保勝会の川掃除の用具とテラス資材を体育館周囲から撤去してほしいと、2月に行財政局の芸大担当課長から連絡を受けた。

テラス資材置き場

芸大=《テラス》という構想は、芸大を地域住民の創造的活動にも開くという考えで、体育館の周りのスペースを資材保管兼作業所とすることでその先べんをつけていた。七条大橋をキレイにする会の照明用機材のためにも棚をつくった。

だが、校舎解体の工事車両が出入りするようになると、アクセスに困る。といって、地域に適当な公共スペースがない。

 

3月1日に川掃除のフライヤーを地域に配布しているとき、ふと崇仁第二浴場の外の空きスペースはどうかと思い至った。

崇仁第二浴場

新幹線とJR奈良線高架の南側は、かつて屋形町(やかたまち)といわれ、戦後は空き地にバラック的な住居が密集する一角だった。

現在は廃虚となったアパートと空き地が広がり、立入禁止の物騒な雰囲気のエリアになっている。

女子学生も多い芸大の移転の前にこの辺りももっときれいで安全な地帯に整備されるべきと思うが、京都市にもう資金がないらしく担当者もいない。

崇仁第二浴場

がらんとした空きスペース。つきあたりが高瀬川だ。

崇仁第二浴場

高瀬川保勝会保管所

高瀬川保勝会保管所

高瀬川と新幹線が交わる土地。

 

崇仁東九条古地図

戦前の地図。小さい家屋が密集している。

戦争が近づくと、この辺り一帯が疎開させられ、空き地になった。

戦後はその空き地に住む場所のない人たちがバラックを建てて住んだ。在日や同和地区の人たちだ。

1960年、そのバラック街の上を新幹線(青の点線)が通った。1964年の東京オリンピックのためだ。

そのためにバラックは撤去され(立ち退き費用は国鉄負担)、住民は北河原市営住宅(いわゆるマンモス団地)に移った。

川と線路にはさまれたそういう因縁の場所だからこそ、新しい公共空間として定義されなおす価値がある。高瀬川保勝会保管所

第二浴場を管理する都総合管理の人は快諾してくれた。

あとは都市計画局すまいまちづくり課が許可してくれるか、だ。

 

市有地が新しい公共空間として開かれていくことがこの辺りから始まればいいと思う。

だが前例のないことから逃げる役人を説得するのはむずかしそうだ。

3年前、高瀬川の上にテラスをつくるときも、同じ役所の壁が立ちふさがった。

 

 

nettoyage du canal Takasegawa vol.28

26 février 2020, mardi

 

夜、春の崇仁テラス設置と川掃除のフライヤーを出稿する。

上に崇仁地区の古写真、下に高瀬川の大島桜とテラスをあしらうのは、去年のフライヤーと同じだ。

川掃除という同じことを繰り返しているので、フライヤーもフォーマットは変えずに毎回中身を少しずつ変えるやり方をとっている。

テラスが作品でないのと同様、このフライヤーもデザイン作品ではない。

とはいえ、いろんな要望を受けるので、レイアウトの定着に時間がかかる。

 

今回は、崇仁小学校に入れる最後の月なので、新しい団地に引っ越してこられた地元の人たちを中心に配ろうと思う。

部数を350部にした。

 

高瀬川保勝会チラシ

 

高瀬川保勝会チラシ

 

だれかポスティングを手伝ってほしいものだ。

崇仁高瀬川保勝会は人手不足・情宣不足だ。

ぼくはいつもそういうものにまきこまれ、下働きデザインをしている。

 

com-position aujourd'hui 200212

12 février 2020, mercredi

 

本日のコン・ポジション

Utrecht

# 渋谷区神宮前の書店ユトレヒトの脱力看板

 

本にまつわるユニークな企画をする書店 UTRECHT(ユトレヒト)の看板。たぶん白い板から落ちたまま。

面白い角度のコンビネーションが生まれている。