nettoyage du canal Takasegawa vol.15

21 novembre 2018, mercredi

 

仕事の合間を縫って、12月1日の川掃除のチラシをデザイン、この日、芸大の研究室から無事出稿をはたす。

 

崇仁高瀬川保勝会191121

崇仁高瀬川保勝会191121

11月3日の「川デツナガル」を見ていない人にもわかるように、イベント内容をコンパクトな報告書ふうにまとめた。

 

崇仁高瀬川保勝会が地元の人との交流ができないため、せっかくフライヤーをつくってもどこまで配布してくれるのか。

(地元の人というのは、高齢化して地域のことに関わる気持ちも体力もない人たちのこと。)

外からいくら旗を振っても動かない。

逆に言うと、ぼくがつくるポスターやチラシ、そして《崇仁テラス》やワークショップが、かろうじて実体のない崇仁高瀬川保勝会の顔つきに実体らしきもの(=旗)を与えているだけなのだ。

文字通り、「カバー」としてのデザイン。

ポスターやチラシが外部の人にいい印象を与えているとすれば、それなりに役立ってはいるが、実体のないものに仮の実体を与えているだけとすれば、デザインの根本的意義から考え直さないといけない。

 

pentagone régulier

09 novembre 2018, vendredi

 

造形計画2Bの授業で、久しぶりに「正五角形の空をつくる」をした。

 

pentagon

 

 

 正五角形の神秘。

 対角線どうしが黄金分割しあう。

 そして36°=180°の5分の1という角度の完璧さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

pentagon

pentagon

pentagon

正方形20枚でできる半球ドーム。正三角形、正方形、正五角形だけの集合体。

だが、フラードームもどきをつくることが目的ではなく、正五角形の穴を空中に浮かすことが目的。

本来は屋外でやって、正五角形の空を仰ぎ見たかったのだが、雨なのでしかたなく大学会館ホールでやった。

組立時に4mmのベニヤが一部折れてしまったが、なんとかきれいな半球のラインが描けた。

ホールの頭頂に正円の天窓が空いているので、正五角形の穴に内接することを試みた。

が、なかなかむずかしい。でも合う、合わないとやっているのは楽しい。

 

こういう理系的造形、学生たちは興味をもってくれただろうか?

人間を越えた宇宙の造形的神秘。

自分の関心と、学生たちの関心がずれていくことを実感する日々。

 

Charpentier et jardinier

JUGEMテーマ:アート・デザイン

27 octobre 2018, samedi

 

川デツナガル」の準備のために、このところ合間を見て、元崇仁小学校内の高瀬川沿いの雑木・雑草を刈り取っている。

まるで庭師だ。

チェンソーもいいが、ノコギリで立ち木を切るのは快感だ。

元崇仁小学校内高瀬川

立命館大学三回生の藤原祥太郎君が、10月から熱心に手伝ってくれる。

産業社会学部で指導教官が東九条出身のリム・ボンという都市社会学者らしく、東九条のまちづくりを研究テーマにしたという。

芸大生とちがって作業的なことは初めてらしいが、川の流れを変えて水をきれいにする方法を教えたら、学習意欲旺盛でどんどん自分でやり出し、ほとんど毎日のようにやってくる。

崇仁高瀬川保勝会には地元の人は皆無で、芸大も遠いから、ほとんどいつも作業は一人でしているが、若者が手伝ってくれるというのは新鮮な体験だ。教員をしていても、学生を使うのは苦手なのだ。そもそも芸大生はほとんど女子だし。

元崇仁小学校内高瀬川

作業はまるで庭師のような気分。見通しがよくなった。

 

元崇仁小学校内高瀬川

吊るす子供のビニールペインティングは1.2×20m弱。

先日、ハトメをつけたばかり。吊るすには棒を使う。作業は11月1日午後〜2日の二日半。

ここは高瀬川ギャラリーと名づけよう。

川の中に亀を見つけた。あのクサガメの子供だろうか。

 

舟型テーブル

京芸院生の毛利愛実子(陶磁器M2)と山本紗祐里(染織M2)の二人展「透明なすみか」が、24日から崇仁テラスで始まった。

お菓子のケータリングをするというので、テーブルはいらないかと聞くと、ほしいというので、端材と切り出した自然木を脚にして二つの舟型テーブルをつくってやった。大工仕事だ。

段差をつけて自由に重ね合わせもできるようにした。

補強すればベンチに転用できる。石の重りをのせて川に入れたら、文字通り舟になる。まあ彼女らはしないだろうが。

とにかくアトリエで片付かない材木が少し減ったことがめでたい。

 

崇仁テラス

 

「崇仁テラス」は芸術作品ではない。

だが、「川の上に浮ぶつかのまの空き地」という性格は、都市空間のなかでの芸術の場所を象徴しているようにも思える。

都市空間と芸術活動を媒介するVoidとして。

 

Reconstruction de la Terrasse de Suujin vol.4

20 Octobre 2018, samedi

 

10月20日(土)〜21日(日)、崇仁テラスの4度目の再設置作業。前回の設置作業は7月30日と31日だった。

 

いつのまにかGoogle Mapの空撮に《崇仁テラス》が映っている。

崇仁テラス

西側の空き地に団地建設工事が始まりかけているから、撮られたのはこの4月だろうか。

 

立命館大学3回生の藤原祥太郎君(8月から保勝会に参加)、京都景観フォーラムの辻野隆雄さんに加え、テラスまわりで展覧会をする芸大院2の毛利愛実子さん(陶磁器)、さらに2時からはむらたちひろさんも手伝いに来てくれたので、20日でがっしりした躯体が完成した。

1年前は躯体は一人でつくった。若い人手があると本当に楽だ。

 

崇仁テラスづくり

午前10時〜11時半、資材を運ぶ。

西側の団地建設現場は、この日は幸いにもコンクリートの搬入がないので、道路が使えて助かる。

崇仁テラスづくり

昼飯前の情景。今回は少し北に寄せ、桜の木がかかるようにした。

崇仁テラスづくり

柱の12mmのボルト穴に虫が巣をつくっている。卵を産みつけたのか。土バチだろうか。

崇仁テラスづくり

崇仁テラスづくり

16時半。この日はここまで。はかどった。

 

21 Octobre 2018, dimanche

 

空き地

崇仁地区はどんどん空き地が増えている。塩小路高瀬川北側にあった古民家もなくなっていた。

terrain vague...

崇仁テラスづくり

前日に構造体ができたが、一部に筋交い(長さ205cm)が足りなかったので、朝早めにいって直す。

あとこの日は足場板をはるだけ。

きれいな水の流れが戻り、小魚(オイカワの稚魚?)の群れがいっぱい。

崇仁テラスづくり崇仁テラスづくり

オオシマザクラの影が、先日草を刈った部分の川面にぴったりはまる。

たえまなく移り変わる光と影、流れる水の音とかたち、そよぐ草花、飛来する鳥たち、ときどきそれらが奇跡的に同期する。

完璧な音楽だ。まったく野外はぜいたくな空間だ。

こうしたことを味わうために、年に三回、テラスをつくる。

Suujin Terrasse est un terrain vague sur la rivièrre comme une ouverture au miracle de l'Être.

 

崇仁テラスづくり

今回は1mほど北に寄せ、桜の木がテラスにおおいかぶさるようにした。

西側の団地建設は急ピッチで進んでおり、もう夏前の光景とはまったくちがう。

 

去年の秋にこのテラスのスケールモデルにした西側の空き地は跡形もない。

変化し続ける風景のなかで、川の上のテラスは定点観測装置でもある。

 

Symposium "Se lier par la rivière"

29 septembre 2018, samedi

 

台風24号の影響で、午前中、崇仁小内高瀬川の両岸整備の作業(木の伐採)ができなかった。

 

午後3時から、元崇仁小学校のふれあいサロンで「川デツナガル」のシンポジウム。

あまり人は来ないだろうと思っていたら、意外とたくさんの参加者があった。

あとで東九条マダンの人たちの参加が多かったとわかったが。

 

川デツナガルシンポジウム

前半、まちづくりの議論を展開したい中村伸之さんに対し、東九条マダンのヤンソルさんからシンポの目的について異議が出され、後半の司会を担当したぼくが各地域の高瀬川の記憶を聞くことにこだわったので、まとまりの悪いものになってしまった。
 

それでも他所者としては、菊浜の上村隆之さん、東九条マダンの朴実先生、山内政夫さん、崇仁の藤尾まさよさんの川にまつわる昔話を聞けたのは面白かった。また京大建築の博士課程で東九条のまちの形成を研究する学生さんの発言も新鮮だった。

記憶や知識を共有する材料としてもっと取り集めた方がいいと思うが、まちづくりを進めたい山内さんや中村さんは、そんなことはカッタルイのだろう。

進め方や目標とするもの、面白いと思うものに相当ずれがある。

デザインしたポスターやフライヤーが評判いいので、ぼくはデザイン面の貢献に限定しよう。

 

歴史的に七条以南の土地は、京都人にとっては、人が住む土地としてはまともに認識されておらず、河原であり、ごみ捨て場であり、「ゼロ番地」だった。だから為政者側の都合(駅や鉄道、道路の敷設など)によって、高瀬川は頻繁に付け替えられてきた。

だが川は、子どもたちにとっては、裸足で降りて釘などを集めてお金に替えるコモンズであり、ホタルと戯れる空間であり、染め職人の労働場所であった。

そのことが再確認できた。

ついでに大西麻貴さんがまだ芸大のなかに銭湯をつくることをあきらめていないことも。

 

いちのはし

 

シンポジウムのあと、少し時間があったので、塩小路橋をわたって東に進み、さらに南に歩いた。

大正十三年十一月と刻まれた古い小さな橋(いちのはし)が暗い川をまたいでいた。

鴨川運河だ。琵琶湖疏水にかかわっているのに、同じ系列にある鴨川運河のことはまったく知らないし、この辺りに来たこともない。

第1疏水竣工直後の1892年11月に着工し、1894年(明治27年)9月に完成したそうだ。

 

そのまま歩いて東福寺駅まで行き、鴨川をふたたびわたって、午後8時に東九条文庫/マダンセンターについた。

そこで東九条マダンの交流会が開かれており、それに呼ばれたのだ。

東九条マダンはこれまで見たこともないし、どういうものなのかもじつはよく知らない。

ただこの春からの「川デツナガル」の話し合いで、朴先生はもちろん、ヤンソルさんたちには好感をもっている。

マダンセンターの狭い空間には、子どもからお年寄りまで、40人近くがひしめいていた。

 

わかったのは、東九条マダンはただ在日の人たちの集まりではぜんぜんなくて、この土地に住む人と関心を持つ人が集まって、いっしょに祭をつくることを楽しんでいるコミュニティであるということだ。もちろん中心には韓国・朝鮮の文化があるが、日本のものもチャンポンだ。

通常はコミュニティがあってフェスティバルがあるが、ここは逆にフェスティバルのためにコミュニティが毎年形成される。

その出発点には、作曲家である朴実先生のアーティストとしての情熱がある。

第1回マダンを不安なままやりとげたとき、民族文化云々ではない、表現の悦びがあり、ただそれをみなにも味わってもらいたくて20数年間続けてきたという。表現の悦びを第一に動くというのは、同じく表現に軸足を置く者としてよくわかる。

どうりで理屈で動く山内さんや中村さんと合わないわけだ。

 

東九条マダンセンター

天井から水漏れするマダンセンター。上は2階なので、まさかトイレの水?