Sable de Sahara

3 mars 2024, dimanche

 

サハラの砂

 

マロニエ市の出品物に加えようと、サハラ砂漠の砂をサイダー瓶に入れた。

ラベルが必要と思い、サハラ砂漠を上空から撮った写真を探してデザインする。

こういうとき、このブログが便利だ。探すと、2012年にブルキナファソで開かれたSIAOに参加するため、パリ経由でワガドゥグに飛んだときの記録が見つかった(2012年10月27日 SIAO_1: 亡兎観現世)。

懐かしい。いい写真がいっぱいある。

このときとちがって、今ブルキナファソはクーデターで軍事政権になっていて、イスラム過激派のテロ対応のためとの口実で、ロシアがワグネルに代わる軍隊を送り込んでいる。メディアには、ロシア国旗を振るブルキナベたちの映像が流れる。だが、実際はまたちがった現実が流れているだろう。

SIAO参加のときのブログの別の記事には、ワガドゥグの通りを車で走る映像がある()。この当時は平和だった。

 

テロリストたちの増加とは別に、サブ・サハラ地域の砂漠化は続いている。

地球環境の不安定化は、人類の心と体を不安定化し、格差を広げ、対立を煽り、社会を揺さぶる。

朝日新聞に載ったアントニオ・ネグリの追悼文()がよかった。彼の言葉の要約が再録されている。

「代議制も三権分立ももうだめ。主役はあなたたち。怒りなさい。行動しなさい。そして自分たちで決めなさい。そこから次の民主主義が見えてくるはずだ」。

 

マロニエ市の出品物は案の定増えてしまい、キャプションづくりに手間取った。アーティストであれば、既存の意味や価値を攪乱しないとだめだと思いながら、じつは価格の決め方がわからない。。。

他の出品者は大半がそれらしい古書や物品や商品、通常の素材(木材など)。ぼくのは廃物や無用物を立たせただけのものやオリジナルジャケットの音楽CDなど。

大半が百円だが、ガチャのフィギュアとJAXAからもらった日本のISSモジュール「きぼう」のバッジを組み合わせたものは500円、試作や習作を組み込んだものは1000円にした。だがいくら売れても搬出入のための駐車場代のもとが取れない。

マロニエ市

《きぼうをくだく》

 

マロニエ市

《メートル原器》と名づけたものは、蛇のフィギュアの舌を1m伸ばしたもの。ガチャのケースに入る。

マロニエ市

無用物もとにかく立たせてみる。「立つ」ことでモノの様相が変わり、あるかなきかの意味や価値を呼び込む。

それは二足歩行の人類史の深部に根をおろす不思議な存在の次元だと思う。

 

マロニエのwebsiteには、キャプションも欠けた状態の写真が載ってしまった。

取り合えず現時点の様相。

マロニエ市

他の出品者と違って、行儀の悪い展示。だが一段高くしたので、ほとんどがゴザ敷きの展覧会場に変化が生まれたのと、下にも展示スペースが広がった。

 

しかし、自分が面白いと思うものを人も面白いと思うことは期待しない方がいい。たぶん破格でも売れないだろう。

 

architect Kouji Fujii

10 février 2024, samedi

 

新・京芸の作品展に行く前に、ACG Villa 京都の「太陽・酸素 − 野村 仁」展(2/4〜2/13)へ。

地球上のストロマトライトの時間と宇宙の時間を、ストロマトライトと天体写真の併置で表わす。

 

野村 仁《ストロマトライト:1年はかつて435日だった》1992|写真

「35億年前までの地球の大気に酸素は存在しなかったのですが、その酸素を最初にもたらしたのは藍藻という微生物だそうです。それは今もオーストラリアの海岸でコロニーを作っています。日中、太陽の光を浴びて酸素を生み、夜、粘液を分泌して石灰質の皮膜を作り、徐々にストロマトライトと呼ばれる石になるのです。 1992年2月、機会があって現地に行きましたが、石は1年間に0.5ミリずつ成長して、年輪のような縞模様を作ります。それで、ストロマトライトの化石を詳しく読むと、8億5千万年前、地球の1年は435日で、1日が20.1時間であった、と・・・。この「地球自転の永年減速」という現象は、日数、月との距離、ストロマトライトの成長に変化を及ぼすのです。(野村 仁)」

 

野村先生は2022年10月3日に同じACG Villa 京都の個展の最中に倒れられた。それが岩城見一先生来訪中だったことを知った。

野村先生は昏睡状態のまま、ちょうど一年後の2023年10月3日に逝去された。

今年の1月26日に偲ぶ会が開催されたが、その日は満月で、野村先生の誕生日でもあったらしい。

彫刻専攻ではなかったので、野村先生とは教え子たちほど懇意ではなかったが、AASを数年間いっしょにやっていた。

野村先生としゃべったのは、数年前の大阪のACGでの個展会場が最後だったが、そのときの先生の言葉は、わが意を得たりというものだった。

曰く、「美術を続けていると、人間がつくったものはすべてつくり替えることができるという、根拠なき自信が湧いてくる」と。

 

静謐な作品展示で、そのおかげか、初めて藤井厚二(1888〜1938)が設計した建物の細部も意識的に見た。

登録有形文化財でもある建物の正式名称は小川家北白川別邸。木造平屋建で竣工は1934年、数寄屋大工の北村傳兵衛(1894〜1985)による施工、庭は小川治兵衛。

小川家北白川別邸

小川家北白川別邸

床の間横の大きな円窓が強烈。

小川家北白川別邸

茶室。

北白川藤井厚二

スリガラスのため白壁のように見えるが、真ん中は上から下までガラス。

電灯なしでこの北側廊下を明るくする。庭に面した二間の部屋の南側にサンルームのような広縁を配したのと対照的。

小川家北白川別邸

段差のある天井に扉がついていて、屋根裏の熱を逃がす換気口となっている。

小川家北白川別邸

戸棚の扉の把手の位置。扉は四角い枠で囲まれているように見えるが、じつは上側は左から右まで一枚板。割れが入っているため、別の材に見える。茶室の凝った仕上げと共に北村傳兵衛の技。

 

藤井厚二設計で、北村傳兵衛施工の茶室として、ほかに長岡京の中野邸奥の茶室もそうだという。

以前、天井の段差のあるデザインが気になったことを思い出す。

聴竹居をもう一度見に行きたい。

 

L'enseigne de l'école maternelle

26 janvier 2024, lundi

 

希望の家こども園看板

1月22日(月)、若手漆芸作家の佐藤由輝さんと取り組んでいた東九条の「カトリック希望の家こども園」の木製看板を取り付けた。

希望の家こども園看板

希望の家こども園看板

希望の家こども園看板

夏前からこども園の叶先生から相談を受け、佐藤さんにリードしてもらい、ぼくがアシストするかたちで進めてきた。

(人を使うのはヘタで、人に使われる方がラクでいい。そういえば、昨年から頼まれ仕事が倍増している。世人研の展示や看板デザイン、先日のE9の舞台出演もそうだった。)

 

園児たちにひらがなで文字を書いてもらい、約3cmずつ手で輪切りにした樹木の断片に文字を写して彫り込む

それを園児たちにいったん返して、今度は自由にクレパスで色塗りしてもらう。その文字の部分に佐藤さんが漆を塗り、防水加工をほどこして、最後にぼくが柵に取付けるという内容。

分厚い樹木の切断面への色塗りは子供たちも楽しかったらしく、しっかり描き込まれている。

防水塗料には、ぼくが推薦した水性キシラデコールを重ね塗り。佐藤さんは4回も塗ったという。

 

希望の家こども園

希望の家

厚板の裏にも色塗りがされていて、なるべく見せたいので、柵への留め方に工夫を要した。

いろいろ試して、同軸ケーブルを壁などに留める「省力V.V.R片サドル」を利用した。

取付け位置も自由で、3点でしっかり留まり、安全だ。

レイアウトは佐藤さんにまかせ、ぼくは裏からの留め役に徹した。文字通りの裏方。

 

去年の正月にぼくが提案した東九条の高瀬川沿いの伐採樹木の再利用の一つのかたち。

佐藤さんと染織出身の山本紗佑里さんが行った本づくりのワークショップ「ランドスケープのつづき」に平行した取組みだった。

だが、ほかにももっと樹木を創造的に活用する活動が出てきたらと思う。オブジェや楽器、椅子やコースター、その他何でも。

工事中の南岩本公園の一角に念入りにつくった樹木置場が使えるのも3月いっぱい。やんそるさんは韓国の地方の集落に入口に立つチャンスンをつくってみたいそうだ。

展覧会がたくさん控えているので、あまり時間が割けそうにないが・・・

 

・ ・ ・

マロニエでの版画のグループ展も迫るなか、今週は、webデザインの再学習にかかりきりだった。

2010年代から急速に進んだスマホ社会で、情報技術の仕組みも大きく変わっており、対応が遅れたままだ。

だが、根が技術系なので、webデザインについても、Wordpressや便利系フレームワークなど、仕組みを知らないで乗っかるのがいやだ。HTML、CSS、Javaという、もっともベーシックな技術とその組み合わせでやりたいのだ。

 

自分のwebサイトは情報量が半端でないので、その作り直しはやっかいだ。それでまず必要と思っていた崇仁高瀬川保勝会のwebサイトをつくりながら、学習しようと考えた。美術もそうだが、情報デザインもぼくはずっと独学だった。

ところが今はモバイルファーストでやらねばならず、レスポンシブな仕組みが必要で、その理解に時間がかかる。何せ今社会は情報資本主義に牛耳られているのだ。

 

そんななか、2018年に買ったMacBookPro(13inch, 2017)のバッテリーが壊れた。

バッテリーの修理交換は今アップルの工場でしかやってないらしく、37,500円(税込)かかる。2021年に枚方のカメラのキタムラに一度ディスプレイの修理に出したが、そのときは12,900円だった。

アプリケーションとの適合性もあるので、OSも10.13.6(HighSierra)以上に上げたくない。中古Macの再導入も考える。

 

un toit incertain et une gouttière de bamboo

9 decembre 2023, samedi

 

この週は、夏以来の度重なる工務店的仕事でたまった廃材を納めるための小屋づくりに精を出した。

 

12月5日(火)

hut

こちらに引っ越してきて以来、20年以上、塀際に置いてあった金属棚。これに屋根を架けようと思う。この日は周りを片づけたり、いろいろ作業準備。

 

12月6日

沓掛京芸から持ち帰った廃材を組み合わせて柱を仕立てる。2本合わせて柱にしたものと棚をボルト・ナットで一体化。

hut

左右の壁の幅や地面の高さが異なるので、高さを合わせるのがむずかしい。

 

12月7日(木)

hut

hut

駐車スペース保持のため、右側の壁の幅は棚の幅。

この日は、ひらいゆうさん宅で来年の二人展の打ち合わせ。

 

12月8日(金)

hut

やはり沓掛京芸から持ち帰った廃材のポリカ波板を屋根に張る。

波板はなぜ幅が65cmなのか。釘を打つときの身体姿勢に対応していることがよくわかる。工業製品における「規格」の人間工学的背景。

hut

採光のため真ん中は半透明のものに。

hut

波板で壁もつくる。納屋はブロック塀から少し前に出しているので、金属棚と後ろのラインが合わない。少しねじれた関係になっていて、不安定なので筋交いをつける。

 

この日は、ラバラカでひろいのぶこ先生、むらたちひろさんとモロッコ料理でディナー。

 

12月9日(土)

雨樋を竹でつくる。

雨樋

今回の工作で、一番の難題は雨水の処理。隣の敷地に屋根からの雨水が流れ込んではいけないので、雨樋をつけることは初めから考えていたが、出発点の金属棚が塀に寄り添っているので、普通の雨樋だと隣地にはみ出る。

思いついたのが、地球研の展示のためにつくった竹製ハンガーラックの残り材。約2mのちょうどいい長さの孟宗竹があったので、半割りにして板壁にじかにボルト・ナットで固定する。1cm近い厚みがあり、当分大丈夫と思われる。

雨樋

誰にも見られなかったが、この屋根の上を這って進み、竹の雨樋を壁にビス留めした。
雨樋

雨樋をとめた板壁。これも沓掛京芸の廃材で、9mm厚の構造用合板。

 

雨樋

雨樋からの滴はブロック塀のこちら側に落ちる。半小屋雨樋

hut

竹を割って雨樋の端につなげて、水を地面に導く。

 

屋根と雨樋をつくるのは、去年のTaroハウス以来だが、やはり天と地のあいだをつなぐ「水のみち」を作るのは面白い。

竹が使えたこともうれしかった。この夏にアトリエ前の屋根の軒下に雨樋をつけたが()、あれは既製品だった。

雨樋は、ぼくが造形的にもっとも関心を持つもののひとつだ。いつか雨樋をテーマに展覧会をしてみたい。

 

hut

資材を置く床面も廃材でつくる。残った孟宗竹が大活躍。

 

半小屋

廃材でできた「半小屋」に廃材がすっきり納まり、アトリエ前の作業スペースが回復した。

 

sur le sujet de diaspora

5 decembre 2023, samedi

 

12月3日(日)に、協力していた地球研の展覧会を撤収し、8月以来続いていた仕事の嵐が一段落した。

技術指導をしていた京大地球環境学堂のブラジル人留学生August Oyama君のJICA横浜での展覧会も無事オープンしたようだ。

フライヤーにぼくの名前が載っていて、驚いた。

Liberdade

Liberdade

 

彼がSymbolic elementsと呼ぶ鳥居型オブジェなどをつくるための材料と道具、技術を提供したからだろう。

アウグスト君は、この企画をブラジルの仲間と進めていて、海外からも参加可能なよう、展示空間をヴァーチャル・ツアーできるようにしている。

 

移民街であるリベルダージと東九条には似たところがあるから、来年、Taroハウスノランナランでプレゼンしないかと提案したら、それはぜひやりたいと返事が返ってきた。

移民に伴う人権や文化変容の問題は、京芸の建物内に移転してきた世人研の研究テーマにもつながる。鴨川の氾濫原に移転してきたTerraceとしての京芸の課題ともつながる。

もっとも年配の職員が数人いるだけの世人研に、こうした若い世代の活動に対応する企画力や機動力はなさそうに思える。

京芸自身にもこうした問題に取り組むアーティストやデザイナー、研究者が出てくればとも思うが、今すぐは無理だろう。

 

 

Seulement une présentation

24 novembre 2023, vendredi

 

午前中、地球研の展覧会の展示の続き。

ぼくは写真や資料の印刷が深夜までかかり、寝坊して10時半すぎに到着。地球研の担当者に紹介されたりしているうちにさらに時間をつぶし、昼休み中も保勝会のコーナーの展示にかかりきりになったが、なんとか13時からの公開にまにあった。

美術展ではないので、自分の中になめている側面があるのは否めない。美術に携わらない人は、一般に展覧会と展示会の区別がない。今回のは展覧会ではなく展示会。地球研のは研究内容や情報を伝える学会のポスター展示と変わらない。そんななかでキュレーターの役目を急にあてがわれたらしい京都芸術センターの山本麻友美さんが、田中奈津子とGrafis Huru Haraの魚拓版画や映像を展示に加えたり、カラウォの衣装の試着コーナーを設けたりして、アートの実体験的側面を加味する努力をしている。ぼくの竹製ハンガーラックが多少の物質感でそれに少しでも貢献していたらいいのだが。

地球研展示

地球研展示

カラウォ刺繍に関わるSRIREPプロジェクトのポスター展示が奥の壁に、モニターからは田中奈津子とGrafis Huru Haraの版画ワークショップの模様が流れる。以前、Gallery Parcで展示とオンライン・ディスカッションをしていて()、それを見たことがある。吊るされた田中奈津子の絵は既製品の布に描かれていて、裏からも見れる。

地球研展示地球研展示

下段に魚拓、中段に海のゴミを子供たちが魚のかたちにコラージュした版の原板、上にそれを刷った版画。

子供たちの好奇心と環境問題を巻き込む魚拓の技法の展開が面白い。

地球研展示

座卓のような低いテーブルに赤い敷物を敷いて、持ち帰り自由な地球研の冊子を並べる。ディスカッションなどするのだろうか。

竹製ハンガーラックは、結局横のバーをとめなかった。服の重みも加わって十分がっしりしている。

地球研展示

うしろに試着コーナー。姿見もある。服は原価は数千円、売価は数万円とか。零細小規模金採掘(ASGM)による水銀汚染に困窮する現地の女性たちの経済支援をめざしている。

地球研展示

崇仁高瀬川保勝会の活動紹介のコーナー。地球研や田中奈津子らの取組みの内容に沿って、保勝会の高瀬川での活動、川の生きもの調査や子供たちのお絵描きワークショップに重心を置いた。

テーブルに置いたファイルを見たら、保勝会の活動の流れがわかるようにしたが、見る人は少ないと思う。

地球研展示

 

 

 

地球研展示

地球研展示

2019〜2020年の高瀬川地域博物館構想のパネル原稿を小さめに出力。

 

最初、企画書に載っていた崇仁高瀬川保勝会の説明が変だったので、チラシでは次のように改めてもらった。

 

2017年4月設立。崇仁地区を流れる高瀬川を生命あふれる美しい川にしようと、毎月第1土曜日に川掃除と交流会を行っています。また高瀬川の上に「崇仁テラス」を季節に応じて設置し、人と自然の交流スペースをつくるほか、子供たちの生きもの調査やさまざまな芸術活動、高瀬川周辺の歴史研究を通じて、自然と歴史とアートが交わり、ホタルが飛び交う川づくり=まちづくりをめざしています。


多岐にわたる保勝会の活動内容を伝えるホームページが結局用意できなかった。

京芸の移転が完了したので、今後、高瀬川や保勝会の活動に関心を持つ教員や学生も増えるだろうから、最小限何か用意しなくては。

だがぼくが保勝会に関わっているのは、Terraceという京芸の移転基本コンセプトをつくった人間としての地域への責任からにすぎない。当事者ではなく、あくまで他所者で協力者的立場なので、保勝会にはデザインなどの技術的側面でのみ関わるにとどめたい。まあ、技術屋というのは、自分の技術が人に喜ばれるとうれしいという単純な側面があり、頼まれたら動いてしまうのだが。

 

地球研主催の今回の三つの展示内容はどうやって決まったのか。なぜ崇仁高瀬川保勝会が協賛になったのか。また京都市立芸術大学A棟7階「学外連携・政策連携スペース」とは何なのか。京都市アート×SDGs共創推進チームとは何なのか。「政策」の語が示すように、すべてが怪しい。

よくわからないまま業者的に巻き込まれたが、そのせいで、ちょうど川の中から地上の人々を見上げるように、文化政策の役人や政治家、研究者の動きを観察させてもらった。ぼくは河原者である。陸の上の人々は向こう岸にいる。

だが地球研にはさまざまな人が関わっているらしく、SRIREPプロジェクトの榊原正幸先生はもとは愛媛大の地質学の教授。

淀川でゴミ拾いをするチームもあるらしい。

 

ちょうどこの展覧会初日(11/24日)、頼まれてデザインした世人研の案内板が届いた。破格でできた。世人研案内板

これで仮設でつくった案内板も用済み。

 

展覧会のピンクのチラシを保勝会の拠点になっている柳原銀行記念資料館に届けに行った帰り、ふと神々しい光景に出会った。

柳地蔵

柳原銀行もだが、柳地蔵がこの地に残されて本当によかったと思う。

この光景を見た京芸の人間はどれくらいいるだろうか。彼らはどういう地域に来たのかをあらためて考えるだろうか。

なぜ「terrace」なのかがいつのまにか蒸発しているように思えてならない。