Poser un plancher

18 mai 2019, samedi

 

車で事故。

忙しすぎるためか、めげる。

 

それでも時間がないので、2時間後、単車で東九条まで赴き、ソルカフェの2階の床材をつくる。

加工場所の崇仁小学校からカフェソルまで切った床材を数往復して手で運ぶ。車がないからだ。

ソルカフェ床

床板は12mm構造用合板(税抜1080円)。コーナンプロ吉祥院に調達に行き、借りた軽トラで8枚運ぶ。

ほかに照明具なども。

夜9時すぎには床板を6枚仮置きする。

喜ぶ女子たち。

Le bâtiment d'il y a 2000 ans

10 mai 2019, vendredi

 

5月10日(金)〜11日(土)、総合基礎実技の研修旅行

・1日目:太陽の塔〜みんぱく〜弥生文化博物館〜信太山青少年センター泊

・2日目:舞洲工場〜付近で「狩猟採集」行動

 

「縄文的精神で歓待の場(器)をつくる」という課題とたまたまつながって、岡本太郎の縄文から弥生へ、70年万博から2025年万博へ、生命の木からゴミの海へ、という研修内容になった。

総合基礎の研修旅行につきあうのは20年ぶりだが、副委員長(来年は委員長)なのでしかたない。

予約の行き違いでいったん拒否された舞洲工場とも交渉して何とか見学できるように努力した。

 

この日、iPhoneのカメラが働かず、デジカメも故障して、写真記録がじゅうぶんできなかった。

単車からはじまって、最近、身辺の機器に故障が多い・・・

 

池上曽根遺跡

弥生文化博物館は下見で訪れたので、ぼくは先生や学生たちから一人離れ、近くの池上曽根遺跡へ。

弥生中期の大規模環濠集落の跡地だ。

高床式の巨大掘立建造物が復元されている。集落の中心にあった神殿兼集会所なのだろう。

復元された建物は床高4m、全高11m、東西17m、南北7m。

残った柱の伐採年代は紀元前52年という。

池上曽根遺跡

逆台形に左右に張り出した屋根のかたちが面白い。

大棟を支える東西の独立棟柱は高さ9m。大棟の先端には鳥の形が彫られている。破風板は土器などに見られる文様で装飾されている。弥生期の復元建築では全国最大級という。

根拠となった絵が刻まれた土器片の写真が資料館に掲示してあった。

池上曽根遺跡

土器の表面が縄文・弥生の記録ノートだ。

何にでもかたちを変え、線刻をとどめる土は、古代のコンピュータみたいなものだと思う。

逆に言うと、コンピュータメディアは粘土なのだ。つまり人類には記号やイメージを受け止める表面が必要ということだ。

 

真正面に巨大な井戸跡があり、直径2m・樹齢700年のクスノキを刳り貫いてつくっていたらしい。

本殿の東側に2本の掘立柱が南北線上に並んで立ち、冬至のときは南の柱の影が北の柱に届き、夏至のときは南の柱の影が井戸に指したという。

豊饒と繁栄を祈る祭祀の広場だったのだろう。

池上曽根遺跡

池上曽根遺跡

昨年9月の台風で、メインの建築は階段などが壊れ、中には入れない。

井戸を覆っていた覆い屋も倒壊したまま、ほったらかしだ。

 

一人でスケッチしていると、学芸員の人が資料館から出てきて、話しかけてきた。

池上曽根遺跡は、20年前に国指定の史跡になったときは話題を呼び、羽振りも良かったそうだが、やがて人々の関心も薄れ、和泉市と泉大津市の共同管理になってからは維持費も十分でなく、すぐに修復できないらしい。

この広場にも墓などの史跡が復元されていたが、いたずらされるので、撤去してしまったという。

そのため現在は中途半端にだだっ広い空間が残され、説明パネル類も砂に埋もれていた。

史跡公園そのものが遺跡化しているのだ。現代人のすさんだ行動のせいといえる。

 

だが、それ以上にこの遺跡で感じたのは、農耕と鉄器製造技術で栄えた弥生文化の反縄文性だ。

高殿の中心にした祭祀空間のまわりには鉄器製造の工房が広がり、一般の住居は集落の外縁に集中していたという。

サヌカイトの破片の捨て場も残されていた。

農耕と鉄器は、それまでの長閑な縄文文化との断絶をつくりだし、生産合理主義を軸にした階級社会を発展させていった。

その延長に今の文明がある。復元された高殿を見ていると、「こいつらめ」という反感がふつふつと湧いてくる。

 

池上曽根遺跡

池上曽根遺跡

がんばって復元したらしい2棟の建物がぽつんと建っている。

柱は残念ながらコンクリートで、これも人が荒らすため、中には入れないようになっている。

 

来春、みんぱくの「先住民の宝」展で、マレーシアの先住民オランアスリの森の集会所の復元制作を依頼されている。

そのため造作に目がいく。

 

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11 mai 2019, samedi

 

翌日は舞洲工場。昼食はバーベキュー。

海岸沿いの花畑で休んでいると、ソルさんのカフェ2階の改装作業をしている連中から連絡が入り、電気配線を切断してしまったという。

そういえば丸鋸を貸していた。

絶縁テープを巻いておくようメールで指示。

18時過ぎにバスで芸大に戻ってから、単車で現場に向かう。

やれやれ。。。

 

la déconstruction de la terrasse de Suujin

6 mai 2019, lundi

 

連休最終日、崇仁テラスの撤去。

崇仁テラス

昨年まで熱心に参加してくれていた立命館大の藤原君が就活で来れなくなったので、応援してくれるのはいずれも年配の人たち。

菊浜高瀬川保勝会会長の上村先生、七条大橋をキレイする会の井上茂樹さん。車に乗ってるのは、足が悪くなっても地域の祭りを取り仕切る林さん。

崇仁テラス

崇仁テラス

お年寄りとはいえ、人手が多いとはかどる(ビスの頭をつぶさないでやってくれるともっとありがたいが)。

13時には撤収完了。

崇仁テラス

テラスを設置する辺りの高瀬川には水鳥のつがいが何組か棲んでいる。

優雅な水と鳥の動きに疲れが癒される。

 

崇仁テラス

手伝っていただいた井上茂樹さんが、七条大橋ライトアップのための照明機材の取り付け枠の保管場所がほしいというので、崇仁小学校体育館横の保勝会の作業所兼保管所につくることにした。

崇仁テラス

廃材を利用して即席でつくる。木枠は高さ10cm・幅85cm・長さ250cmとのこと。

なら棚板はいらないな、と。このスペースの収容力が大幅にアップした。

 

崇仁テラス

ほんとうにこの場所は助かる。

芸大移転後も高瀬川流域でものづくりに関わる人たちの共有スペースになればいいと思う。

 

le nettoyage du canal Takasegawa vol.19

4 mai 2019, samedi

 

連休中、崇仁高瀬川保勝会、恒例の月1回の川掃除。

今回はチラシはつくらなかった。

崇仁高瀬川保勝会

五月晴れ。

崇仁高瀬川保勝会

崇仁高瀬川保勝会

掃除後のミーティング。今年度の活動計画などについて。

崇仁高瀬川保勝会

大島桜のサクランボ。

 

vieux contes

30 avril 2019, mardi

 

世間は平成最後の日と騒いでいる。

総合基礎第4課題の『昔話集』上・下を出稿。

 

昔話は、ぼくをふくめて課題担当教員6名が選んだ。

ぼくはレイアウトとデザインを担当。上・下の冊子の命名は中国絵画史の竹浪遠准教授。

昔話集

昔話集

 

A5中綴じ冊子、上質紙にモノクロのオンデマンド印刷で各85部。3日納期で合わせて25000円。

文字校正が苦手なので、ぜったい誤字がどこかに残っている気がする。

 

高校時代、通知表で国語だけがどうしても4以上に上がらなかった。

文章解釈が苦手なのだ。トラウマになっているといっていい。

詩は好きだが、小説などめったに読まない。

何か基本的な教養というか、根本的な常識が欠けたまま、生きてきている気がする。

そんな人間がこんな課題をつくる。

といってもほかの常識ある先生方が適切な昔話を選んで下さっているので、ぼくは縁の下のお手伝いという立場だ。

 

連休中に無事届くか。

 

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出稿後、久しぶりに大阪に出て、市立美術館でやっているフェルメール展を見に行った。

すごい人だかりだった。

いったん見終わって館外に出たところで、篠雅弘館長とばったりお会いした。

篠館長が展示の工夫を見せたいからと、再度、中を案内下さった。

おまけにカタログまでいただいた。

 

あとで新世界の道端に座って食べたたこ焼きがうまかった。

帰ってくると、テレビで天皇が最後の挨拶をしていた。

新世界