serpent au printemps

2017年5月3日(水・祝)

 

5月になった。

心配していた庭のクスノキも、幸い若葉がいっぱい吹き出して、新緑に染まっている。

連休だというのに、たまった仕事の処理で遠出できない。

近所の奥海印寺の大きなお屋敷の石垣に、蛇をみつけた。

蛇

ずっと忙殺され続けていて、ブログの更新もできないでいた。

今日、やっとフォーマットを変えた。

テンプレートwhite wallは、巾が広すぎて(960px)落ち着けないでいたが、cssを編集して800pxに狭くした。

2カラムにしようとしてほかのテンプレートも検討したが、どれも広告表示をとることができない。

なぜかこのテンプレートだけが広告なしにできる。

サイドバーの要素が一番下にくるのでスクロールが面倒だが、シンプルさは替え難い。当面これでいこう。

Headerの背景色に用いたのは、仙斎茶(#474b42)。暗い緑がかった茶色だが、モニター上では色味を感じにくい。

ともあれ大事な備忘録なのだから、もっと更新を怠らないようにしなければ。

 

昨日、愛車のホンダAPE100のエンジンから異常音がした。

エンジンオイルの交換を怠っていたために、エンジン内のカムの軸の部分が摩擦を起こしているのだろうか。

モトサイクル・ヤマザキのおやじさんに直すのは無理と言われる。

摩擦音がするだけで、駆動には影響ないようだから、これから大事にのらないといけない。

もうAPE100のようなタイプの単車はないのだ。

 

faire le programme

7 janvier 2017

 

風邪気味。泳ぎに行きたいが控えて、家で仕事。

今日から「新シク開イタ地」記録集の作成に本腰を入れて取り組む。

昨年の今ごろは、展示の全体プランが決まらないまま、「ふたしかな屋根」群の制作に突入していた。

 

このところ手帖に予定をメモすることもせず、無計画にそのときどきの仕事を相手にしている。

見通しのないまま生きていてはいけないと思いながら、忙しすぎるのがよくない。

先のこともだが、まずは去年夏以降の活動記録をブログに載せたい。

 

◎春までのとりあえずの予定のメモ:

1月中 『養生本』出版(100部)

2月中旬 『新シク開イタ地』ドキュメント 刊行

3月8〜10日 ひろいのぶこ先生の退官記念展の展示の手伝い

3月11日(土) ひろいのぶこ展でオープニング・トーク

3月12日(日) 14〜16時「きしわだアートプロジェクト2017 竹Xアートとのであい」でワークショップ

3月中 『漂流するアクアしんぶん』No.06 刊行

3月28日(火)〜4月9日(日) 「2.5次元」展 ギャラリーマロニエ 京都

 

 

 

漂流するアクアカフェ drift@KCUA-Cafe

2016/10/5 (wed)

 

2014年度から関わっている「漂流するアクアカフェ」は、京都芸大の移転に先立ってアートスクールのあり方を考える集いだが、今回は、森村泰昌さんの提案で、大学移転そのものをゼロから考え直すものになった。

 

台風接近のために、屋外にテラスを仮設するという楽しいことはできなかった。

代わって、大学会館のサロンにブルーシートを敷き詰め、小山田徹さんからでかい木製テーブルをお借りして、工事中的な空間をしつらえた。

学生時代に自治会で活発な活動をしていた松井利夫さんを特別ゲストに迎え、鷲田清一学長にも飛び入り参加していただいた。

 

「そもそもなんで大学移転なん?」

 

森村さんの思慮と、松井さんの毒舌が冴える。

 

僕も学生時代は学校なんか行かなかったと言いたかったが、現役学生の手前、それはがまん。

「学校」や「大学」への根強い不信を秘めたこんな教員がいてもいいのだろうか。

 

 

静岡大学でのワークショップ Workshop at Shizuoka University

2016/10/3(Mon)

 

静岡大学の白井嘉尚先生から依頼されて、アートマネジメント力育成事業とやらで、二つのワークショップを行った。

 

 

文化庁助成「大学を活用した文化芸術推進事業」というのは、勤務先の京都芸大でもやっているが、

なんで文化庁は「アートマネジメント」などにお金を出すのか?

「アートマネジメント」というのは、美術なり音楽なり演劇なり、できあいの芸術形式をそのまま承認し、その普及をはかるものではないのか。

そこには、「芸術」や「作品」、あるいは「アーティスト」といった既存の前提への何の疑いもない。

少なくともそれは、アーティストがやることではない。

というわけで、僕がやったのは、アートマネジメントとは何の関係もない造形遊びだった。

(白井先生、すみません。)

 

参加者は学生からシニアまで、芸術に何らかのかたちで関わる魅力的な方々だった。

少なくとも、アートは、アナーキーな万物等価生成流動のなかでのみ生起すること、

取るに足りぬ芥のようなものも救いうること、要はあらゆる存在の大きな肯定であること、

が少しでも伝わっただろうか。

 

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