Sang ou rosée ? au pèlerinage Kumano Kodo

11 november 2018, dimanche

 

鈴木昭男さんが熊野古道なかへち美術館で「内在」という展覧会をしているというので、遠路、車を飛ばして中辺路を訪れた。

7月の東京都美術館や夏の徳島でのWS以来、今年は車での長距離移動が多い。

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館は、SANAAの最初の美術館建築らしい(1997年)。

展示室を白いアクリル板で覆って、さらに外側をガラスで覆っている。

内部の躯体の壁面を凹面とし、すきまを通路や受付・交流スペースとし、事務室や設備棟、WC棟を外にはみ出たヴォリュームとして扱っている。大胆な非建材の扱いや機能ごとの空間の自由な配置に特長がある。

 

鈴木さんの展覧会はとてもよかった。

最近、人の展覧会に感動することが少なくなったが、これはよかった。

鈴木昭男

《内在》は、90mm角の鋼管19本を同じ角度で等間隔配列したもので、各鋼管には幅5mm深さ50mmの切り込みがつけられている。

19というのは、熊野古道中辺路のはじまりの滝尻王子から熊野本宮までの19の王子に対応させ、切り込みは順に位置を変えて、中に響く音律を変えている。

鋼管の長さは展示室のの天井高3410mmと同じらしく、石は美術館の横を流れる日置川の河原から運んだものらしい。

場所との呼応や不定形の自然と規則的な人工との対話、非完結型の作品のあり方がまったく僕好み。

いやでき過ぎといえるか。

 

熊野古道は初めてだったので、少し歩いてみた。観光地とばかにしていたが、意外に面白かった。

何より面白かったのは地名だ。「近露」は「血か露か?」という問いから発しているという。チカツユ

有名とあとで知った牛馬童子像。明治期の石彫らしいが、面白い。

宝筐印塔

鎌倉期のものという宝筐印塔。傾きを小石で支えている。《支えるもの》のコレクションに加える。

中辺路近露

中辺路近露

《支えるもの》シリーズ。《ふたしかな屋根》シリーズでもある。

中辺路近露

中辺路近露

《途中放置》というカテゴリーもつくりたい。

意図からも構造からも切り離され、宙に浮く存在の美と不思議。

柱材を横倒しにして積んで壁をつくろうというのか。

女神の湯

女神の湯

近露(血か露か)の集落の奥にアイリスパークというオートキャンプ場があり、その中に奥熊野温泉・女神の湯という名の温泉がある。

本当に温泉があるのかという不安にかられながら、曲がりくねった山道を行くと、拍子抜けするような温泉のファサードが現われる。

入浴料650円。入ってみた。中も拍子抜けするような湯槽。アルミサッシの窓の向こうはすぐ林。

「日本屈指のとろみ度を誇る温泉」と謳い文句にある。

 

女神の湯の向いに、驚くべきことにイヌワシの小屋がある。

網越しに美しい勇姿が拝める。

イヌワシ

キャンプ場に鶏の声がすると思ったら、どうやらイヌワシの餌らしい。

 

学生時代、ぼくはよく一人で熊野に通った。役小角が僕のヒーローだった。

まちがっていなかった。熊野は今もすばらしい。

 

Bois du Sanctuaire shinto subi un dommage du typhon

15 octobre 2018, lundi

 

大学が珍しく求めてきた移転先の崇仁地区のイベントフライヤーを届けてから、先月の台風で大きな被害を受けたという近所の走田神社に寄ってみた。

走田神社

予想以上だった。

走田神社

相当数の木が倒れたようだ。見たこともない風景が広がっていた。

走田神社

木が倒れ込んだのだろうか。

曲がり方をみると、津浪をかぶった東北の村を思い出した。

走田神社

深い森のイメージがあった走田神社の森の大木があちこちでへし折れている。

走田神社

ふだんは森のために向こうを見とおせない場所が一変し、京都縦貫道まで見える。

走田神社

ぼきぼき折れた大木群。

走田神社

はじめて走田神社の奥の森に分け入ったが、そこでもありえない光景が広がっていた。

 

神社のうしろの丘の天辺には、竹林との境界線が溝状に引かれていた。

20年近く住んでいるのに、走田神社はまだぼくには不明なところがある。

 

 

 

 

Lecture sur le livre d'artiste

9 octobre 2018 mardi

 

MacのOSをEl Capitanに更新し、JavaSE6ランタイムをインストールしたにもかかわらず、IllustratorCS5 がうまく機能しない。

フォント名とフォントプレビューが一覧表示されないのだ。

ひとつひとつ選ぶときだけ、フォント名が表示される。

それで、かたちやウェイトがわかっているフォントだけで、なんとかフライヤーをデザインした。

森下明彦さんに依頼した特別レクチャーのものだ。

Artists Book

あとでわかったが、Illustratorメニュー>環境設定>テキストで、「フォントプレビュー」のチェックを外すと、フォント名が表示される。ただしフォントプレビュー機能は働かない。

でもフォント名の表示ができて、Illustratorの使い勝手がほぼ変わらないようなので、このまま行くことにした。

InDesign CS5 はフォント名は問題なく表示される。

 

ネットで検索すると、多くの人がMacOSの更新とソフトの不具合を訴え、また多くの人がその解決方法を公開している。

スマホにもSNSにも積極的でない自分もまた、デジタル環境で生きざるをえなくなった人間のひとりなのだ。

 

 

17 octobre 2018, mercredi

 

森下明彦レクチャー

森下明彦レクチャー

森下さんのレクチャーとデモンストレーション。

本当に渋いアーティストブックを持っておられる。

エド・ルシャの『いろいろな小さな炎とミルク』はぼくがもっとも好きなアーティストブックのひとつなのだが、実物を見たのは初めてだった。

 

 

Mis à jour du système d'exploitation et "au revoir Rosetta"

8 ocrobre 2018, lundi

 

ながく懸案だったMacOSの更新、ついにRosettaの使える10.6.8(Snow Leopard)とおさらばして、10.11(El Capitan)をインストールする。

対応するブラウザなどがセキュリティの関係で今の環境で機能しにくくなっているからだ。

このブログやHPをつくっているJUGEMからも夏前からたびたび警告が来ていた。

だがそれは、Rosettaで使い続けてきた Illustrator10.0.3,IndesignCSでつくったファイルがそのままでは見れなくなることを意味する。よって「資源」を守るため、外付けHDDにSnow Leopardをインストールして、そちらから起動できるようにした。

Macメンテ

Macメンテ

 

3TBのBaffaloの外付けHDDにパーティションを切って、そちらにシステムをそのままコピーして、そこから起動しようとしたのだが、なんどやってもうまくいかない。

やむなく調子のいいTranscendの1TBにOSを入れて起動したら、そちらから起動できた。

BaffaloはMade in Japan、TranscendはMade in Taiwan。台湾製の方が優秀なのか、日本製のはパーティションを切ったからいけないのか。

アプリの使用環境の関係でシステムの更新を長く見送ってきたが、そのためOS含め、コンピュータ関連の知識が更新されず、頭の中が古くなっている。

技術的なことは本来好きなのだが、離れているとすぐ置いてきぼりを食うことを実感した。

 

それにしてもMacBookProをやむなく導入したときも思ったが、El Capitanの操作性はスマホのをなぞっている。

かつてPCの補助的端末にすぎなったスマホの操作性がPCをリードするようになっているのだ。

El Capitanのリリースは2015年だから、その前から逆転が起きていたのだろう。

つまりぼくは3〜5年遅れていたらしい。

 

OSを更新したら、ソフトもそのまま使えないことがわかった。

Macメンテ

Java for OS X 2017-001をダウンロードして、JavaSE6ランタイムをインストールしないといけないらしい。

古くなったOSやソフトをレガシーシステムとか、レガシーソフトとかいうらしい。

Rosettaは好きだった。今はレガシーソフトを新しいOS上で走らせるロゼッタ的なものはJava系以外にないのか。

下位互換性、これを排除してただ前に進むだけのデジタル技術の窮屈さ、金もうけ主義はますます加速している。

 

*Rosetta(ロゼッタ)はMac OS Xの基盤技術の一つ。インテルアーキテクチャへの移行に伴い、PowerPCバイナリの互換性を維持するために、PowerPC用プログラムコードをインテル用コードに適宜変換する措置 (dynamic recompilation) を行なう。アップルの発注を受け仮想化ミドルウエア開発で実績のある米Transitiveの技術が導入された。インテルアーキテクチャ向けに対応したv10.4 "Tiger"で初めて搭載されたものの、v10.6 "Snow Leopard"ではインストールが任意化及び最後の対応となり、v10.7 "Lion"で廃止された。

 

調べたら、JavaSE6ランタイムをインストールできるのはEl Capitanまでで、MacBookProに入っていたHigh Sierra v10.13.6では使えない。つまり、CS系が使えるのはEl Capitanまで。CCになると毎月Adobeにお金を没収されることになる。

 

 

archive

28 septembre 2018, vendredi

 

アーカイヴ/アルシーヴ archive が流行っている。

1990年代に「歴史の終焉」が言われ出したのと平行して、「記憶」の問題が浮上し、それに伴って、記憶のかたちとしての「アルシーヴ」の概念と意味、その具体的なかたちと活用方法が注目されるようになったと記憶する。

 

だが砂漠的不毛に惹かれ、歴史的蓄積に富んだ苔むす場所を嫌う性格がわざわいして、「アーカイブ」には近づかなかった。

2014年に勤務する京都芸大にできた芸術資源研究センター archival research centerの設立にかかわり、図式やパンフレットのデザインを担当したにもかかわらず、アーカイブの問題は自分にはずっと他人事だった。

 

そんな自分が、アーカイブの意義にめざめたのは、自分がたずさわったアートプロジェクトの記録が消されたときだった。

消えてはじめてその存在の意義がわかるということがある。記録や記憶は、消滅と背中合わせにあるときに、もっともリアルな輝きを見せる。

 

消された記録というのは、KAVCで2003年に行った「新開地アートブックプロジェクト」の手づくりウェブサイトだった。

展覧会と本の出版というかたちでそのアートプロジェクトは終わったのだが、その成果と同じくらいプロセスも重要だった。

それで最小限の記録にまとめて小さなウェブサイトに残し、KAVCのサーバーにあげてもらっていた。

だが、2016年春、KAVCの指定管理者が代わり、それに伴って以前の管理者(大阪ガスクリエイト)のもとで行われた事業の記録や成果のいっさいがないことにされたのだ。

指定管理者制度は新自由主義の行き着く先として大半の文化施設を支配している。ときにそれは記録/記憶を帳消しにする。

 

過去のことは捨てておけ、どうせすべては消える、と思ったが、気持ち悪さが消えない。

当時、自分たちが費やした時間のすべてがかき消された感覚だった。

 

最近、ようやくそのサイトを復元した。

当時はtableを使っていたが(before)、今はCSSで組む(after)。

スマホ対応はしていないが、とりあえず15年ぶりによみがえった記録。よしとしたい。