chauves-souris en troupe à la Gare de Kyoto

9 novembre 2019, samedi

 

コウモリ

京都駅ビル7階東広場。

「チョウカイホウセイサクシツ」なるアートイベントを訪れたとき、窓の外にコウモリの大群を見た。

コウモリ

コウモリ

見事な群れのかたちが優雅に融合・分解する。見とれてしまって、動画をとれなかった。

 

Onomichi - Kurashiki

20 Octobre 2019, dimanche

 

倉敷芸術科学大学での特別授業で山陽に出向いたついでに、FKSKの小野環さんが参加している尾道市立美術館の「ここからむこうまで」展へ。

尾道は何度か来たことがあるが、初めて載ったロープウェイで千光寺公園へ。

小野さんらの「もうひとり」もそうだったが、ほかの作家の展示でもブルーシートが多用された印象が残った。

2016年に神戸アートビレッジセンターでのインスタレーションでブルーシートを床に敷き詰めて海を表そうとしたとき、やるまえに少し躊躇があったが、今はブルーシートが積極的に使用されるようになっている。

災害が増えている状況、あるいは歴史の中で朽ちゆくものが増えている状況も遠くで反響しているのかもしれない。

 

小野さんと横谷奈歩さんが再生を試みている「高橋家」も、朽ちた屋根をブルーシートでカバーしていた。

 

尾道駅は改築されていた。アトリエ・ワンが手がけたらしいが、予算や条件の制約がきつかったのだろう。ちょっと悲しい出来栄え。

駅の屋上階に、カフェに併設してm3 hotel というのがつくられていて、泊まってみたい気もしたが、夜は倉敷泊。

 

 

21 Octobre 2019, lundi

 

午前中、倉敷の有隣荘へ。庭が小川治兵衛作と知って、がてんがゆく。

 

午後は倉敷芸術科学大学へ。ここでの特別授業も今年で最後になる。

岡山時代にお世話になった近藤研二先生の依頼なので、断れない。

「デザイン特論」という科目名で履修者はメディア映像学科の学生だが、デザインとは何の関係もない現代美術寄りのレクチャー+ワークショップ型の内容。

漫画やイラストを専攻する中国人留学生3人が参加していて、彼らの反応が興味深かった。

夜は、彫刻家の浜坂渉さんを交えて3人で倉敷のおでんや「新粋」で会食。

家計学園が倉敷芸術科学大学をつくるまえ、ぼくは頼まれるまま、浜坂さんといっしょにカリキュラムなどいろいろ提案した。

そのときは浜坂さんは浜松のポリテクニークで造形実習を教えていて、近藤先生は岡山のポリテクニークでデザインを教えていた。

1995年にぼくが岡山大学から京都芸大に移るとき、浜坂さんを倉敷芸科大に推薦して赴任してもらった。

その浜坂さんも今年度、近藤先生は来年度で退職。

ぼくの授業も今年で最後。

ひとつの時代が終わった気がする。

 

Theatre E9

7 octobre 2019, lundi

 

夜7時から東九条のTheater E9でシンポ

sympo

 

京都市東南部エリア都市計画見直し素案

京都市東南部エリア活性化方針

 

求められての登壇だったが、ろくな発言が出来なかった。

もともと「発言」は自分の仕事ではないし、討論やシンポジウムも好きではない。

 

1. ぼくは「文化芸術都市」云々の議論を嫌悪する。それらは、美術館や劇場、コンサートホールといった「文化施設」が文化を牽引すると考えるが、芸術に対するとんでもない誤解だ。文化施設は既存の価値観に依拠した文化的所産の消費の場にすぎない。

2.文化芸術と一口に言うが、芸術は本来「非文化的」ないし「前文化的」なものと考える。ときに「反文化的」であったりする。少なくともぼくは文化的肥沃さではなく、文化が果てる荒涼たる不毛さを愛する。芸術と文化を何の疑問もなく束ねて考える連中に組みしないこと。

3.よく使われる「活性化」なる言葉。農耕以降の文明を根底で支配する人間中心の「開発 development」の思想が背景にある。このままではだめだ、すたれる、発展がない、だからあれこれと「開発」してにぎわいを、と訴える。人間社会や文化が廃れること、それは自然の生命を活性化することであり、悪いことではない。先住民も障害者もマイノリティも、「開発」され追い立てられてはならない。

4.上記のことはなるべく「発言」しないこと。「文化人」に組せず、離れて立つこと。

 

le dernier jour d'un bain public

30 septembre 2019, lundi

 

薬只浴場

 

楽只浴場が今日を最後に閉鎖される。

楽只小学校も今年で閉校になる。地域が変わりつつあるのだ。

6つの市営浴場ののれん制作を頼まれたが、楽只浴場だけが9月末で閉じるというので、納品を急かされ、マレーシアに出発する直前に仕上げて送付した。

帰国後も忙しく見に行けてなかった。たった1ヶ月足らずのお披露目。

今日を逃すともう見れない。それで、Books+Cafe SOLのリノベの作業を終えて千本北大路に車を飛ばした。

なんとか間に合った。

 

楽只浴場

楽只浴場は通り向いの団地からアクセスがよいよう、千本通に地下道が設けられている。

また入口まで引きがないため、玄関扉の前に衝立がたっている。なので、外のれんは見えにくい。

が、ともなくかけられていて、ほっとする。

楽只浴場

楽只浴場

最初で最後の、のれんくぐり。

楽只浴場

楽只浴場

浴場は新しい。だが、番台のおばさんによれば客が減っている。

たしかにこの日、ぼくが入浴しているときも、客は3〜4人でがらあきだった。

 

今年の6月30日付けの京都新聞によれば、京都市には同和対策事業などで建設された改良住宅が約4500戸あるが、その約75%に浴場がない。市営浴場は、こうした地域の住民のために建てられたもので、現在10箇所ある()。

ぼくはそのうち6つの浴場を指定管理者として運営する都総合管理(株)に、のれんとショップカードを依頼された。

北から楽只、養正、錦林、三条、崇仁第2、崇仁第3の6つの浴場。

このうち、9月末で楽只が、来年3月末で崇仁第3が閉鎖される。崇仁第3の閉鎖は、京都芸大移転に伴う市営団地の解体のためだ。

ショップカードは全部ぼくがつくったが、のれんは京都芸大の大学院修了者5人といっしょに取り組んだ。

ぼくが担当した楽只以外は9月末締切だったが、他の者はみなできたのだろうか。。。

 

楽只浴場

浴場は明るく湯船もたっぷり、サウナもあって汗を流した。

出るとき、番台のおばさんに、こののれんを描いたのは自分だが、今日までなので裏からも写真を撮りたいというと、扉をあけて手伝ってくれた。

これらののれんは浴場閉鎖後、はたしてどこに行くのか?

 

ぼくの大阪市東住吉区の生家にも、高校にあがるまで浴室がなかった。なんとも思わなかったし、銭湯に行くのも好きだった。

銭湯はそれなりに地域の人たちのコミュニケーション空間として機能していた。

衛生環境の向上とかで、どの家にも風呂がつくようになり、銭湯が次々となくなった。

新しいかたちの銭湯的空間が必要と思うが、具体的なアイデアまでいかない。梅湯はえらいと思う。

 

tigre - harimau

29 septembre 2019, dimanche

 

昼すぎ、Books+Cafe Sol の改装現場に行くと、中川君が一人で作業していたので、予定を変えて1時間ほど手伝う。

10月には完成するか。

 

午後2時すぎ、電気蜻蛉の林ケイタさんのコーディネイトで、報恩寺(上京区小川町寺之内)を見学する。

8月末からのマレーシア遠征のため、三嶽伊紗さん、今村源さん、日下部一司さんらに1ヶ月遅れたことになる。

入口に自分のあずかり知らないポスターがあってびっくりする。

報恩寺

 

見上げれば野太い木造軸組がすごい。

報恩寺

ご住職じきじきに懇切丁寧に案内いただく。

報恩寺

中庭に大きな鯉の池がある。サギが鯉をおそうので、網をかけたという。

報恩寺

本堂の前に枯山水の庭がある。樹木で幸い見えないが、すぐ西側を走る堀川通の車の音が聞こえる。

門の向こうにまっすぐ旧参道があり、上立売通にでる。


知らなかったが、報恩寺は『鳴虎図』なるもので有名。

中国請来品で、明の画院にいた陶佾(とういつ)が描いたという。後柏原天皇(在位1500-1526)から賜った品で、立体感のあるリアルな描写を気に入った秀吉が寺から借り出して聚楽第に飾ったところ、夜に虎が鳴いたので、すぐに寺に返却したという。

秀吉と縁が深かった寺らしく、複製の鳴虎図の前に信長像と秀吉像の掛軸がある。

所蔵の厨子入りの千体地蔵、大黒天、阿弥陀三尊などはいずれも重文。

平安後期の古い梵鐘が隣接する墓地にあり、これも重文。なので大晦日しか鳴らせない。

東門の前に川なしの石橋があり、川跡は小川通の名の由来となった小川のものという。

さらに黒田長政が死んだ客殿寝所もあり、辞世の句が示してあった。

 「このほどは浮世の旅にまよひきて いまこそかへれあんらくの空」

 

虎、梵鐘、小川跡。いずれも生あらば音が聞こえるはず。

 

不思議な縁を感じるのは、マレーシアでの虎体験だ。

虎がいるといわれたジャングルで実際に出くわしたわけではないが、虎はマレー語で"harimau ハリマオ"という。

それで『怪傑ハリマオ』の歌をうろ覚えで口ずさむと、マレーの人たちが知ってるという。

https://www.youtube.com/watch?v=dpUaQhZhevY

https://www.youtube.com/watch?v=CiEJde_30oo

 

『怪傑ハリマオ』のモデルは、谷豊という昭和初期にマレーで活動した盗賊という。

谷豊は、幼少時にクアラ・トレンガヌに両親と住み、マレー文化を愛し、イスラム教にも帰依した。

1930年代は盗賊団として異母妹を殺した華僑をおそい、マレー各地を転々、戦中は日本陸軍にはめられて諜報員として協力、マラリアで30歳で死んだ。

日本の東南アジア侵出の歴史のことは不勉強でよく知らないが、『怪傑ハリマオ』の背後にその歴史があることは察せられる。

 

なぜか東南アジア、とくにマレーシアやボルネオの話になると、幼い頃を思い出す。

祖父・井上昇はボルネオで銀行の支店長をしていて、現地の人によく水牛にのせてもらったという話をよくしてくれた。

「あきちゃんも大きくなったらボルネオに連れていってやる」と。

そういうときの祖父の遠いまなざしをぼんやり覚えている。

うちにテレビはなかったが、それが『怪傑ハリマオ』の主題歌が近所から聞こえる頃ではないか。

関東大震災の難民として西日本に流れてきた祖父は、どこか浮世離れしていて、日本社会になじめなかった気がする。

50歳で結核をわずらい、あとは風呂で死ぬまで病院暮らしだった。

ボルネオは祖父の魂が還っていきたい幻想の地だったのではないか。

そのノスタルジアがいつのまにかぼくに乗り移って、南の地への憧憬をかき立てるのではないか。

 

 「このほどは浮世の旅にまよひきて いまこそかへれあんらくの空」