conférence après conférence

18 mars 2024, lundi

 

制作で忙しいのに、たびたびアーティスト・トークやシンポジウムに呼び出される。

3/16日(土)は、今 +1 art でやっている「総合基礎課外授業」展にまつわるトーク「総基礎という現象」。

案の定、参加者は少数で京芸の内輪っぽい。せっかくなのに主役の学生は6人中2人しか参加しない。まあ一回生だし、「トークイベント」なるものにピンと来ないのだろう。そもそもアーティストがつくって展示するだけでなく、しゃべる(しゃべらされる)のが一般的になったのはいつからだろう。

 

3月20日(水)は、京芸陶磁器の重松あゆみ・長谷川直人退任記念展の初日で、2人に頼まれて15時から対談しないといけない(フライヤーには「司会」とされた)。

 

3月22日(金)には、芸術資源研究センターで、「分散型芸術資源のノードとして総基礎アーカイブを考える」というシンポジウムがあり、総合基礎を生み出した1970年の大学改革案の背景について報告を頼まれた。

 

総基礎アーカイブ

 

総合基礎アーカイブは、自分が非常勤講師の後期の仕事確保のために言い出したもので、大学の経費から50万円だけ人件費に出してもらっていたが、ぼくが退任したら誰も引き継がず、滅びると言われた。一人寂しくデータの修正や引継ぎマニュアルづくりをしていて退任したが、それが奇跡のように引き継がれ、復活した。

 

アーカイブ作業をやってくれているのは、もと総基礎非常勤でもあった若手アーティストの黒川岳と平田万葉。それに情報技術者の藤岡洋さんがバックアップ(三人合わせてSARUというチーム)。石原友明さんがアーカイブ研究で採った科研費や助成金を使うことで作業が続けられるようになった。在任中のぼくは科研に申請して助成金を取る意欲がなかった。

 

芸術資源アーカイブは一部に関心を持たれているようだが、立場によってみな目の付け所がちがう。芸術研究者やマニアは作家や作品の周辺情報やドキュメントを芸術資源と見なすが、アーティストであれば、匿名の事象やアイデア、さらに芸術の外側の日常や自然、科学研究まで射程に含める者もいるだろう(ぼくは後者)。

 

平田さんから送られてきたフライヤーは、スケジュールなど詳細が書かれていず、内容がわかりにくい。

忙しいこともあるだろうし、グラフィックデザインに不慣れなこともあるだろう。芸資研のウェブサイトにも広報が載っていない(3/18現在)。

仕方なく別のメールで来た内容でフライヤーの裏面をつくって、新たにpdfに仕立てて、何人かに送った。

総基礎アーカイブ

分散型 distributed model アーカイブというのは、データを一つにまとめない流行りのやり方だが、手続きや結果の状態を指すにすぎず、それだけでは「クリエイティブ」とは言えない。タグやメタタグを自在に更新していける藤岡さんが開発した非固定的な仕組みが要のはず。なぜ「動的アーカイブ」と言わないのか。

 

総基礎アーカイブは、京都クリエイティブアッサンブラージュにも活用されているそうだが、シンポジウムはどうせきっとまたごく少人数の内輪の会で終わるだろう。まあ、日の当らないあの孤独な作業に多少光が当てられただけでもありがたい。ずっと照らされ続けることは期待しない方がいい。

 

flaque dans la nuit

16 mars 2024, samed

 

久しぶりに詩を書いた。

 

夜の水たまり

 

 

「水たまり」展のための制作中、ふと生まれた詩だ。

ガザで1〜2歳の幼児が土に座り込んで雑草を食いちぎっていたという新聞記事()を読み、心が張り裂けそうになった。

 

ひらいゆうさんがこの詩も展示しろというが、どうしよう。。。

今年初めて舞台デビューもしたことだし、初めて詩の展示もするか。アイデンティティなき変異体らしく。。。

 

パレスチナの旗の色の橋をつくって渡るパフォーマンスとワークショップをすることもふと思いつく。

いやしかし、画廊の中で何をしても餓えるガザの子供たちに手を差し伸べることにならない。

スピーカ持って美術館のなかで叫ぶ()こともぼくの仕事ではない。。。

 

petit dessin-collage

13 mars 2024, mercredi

 

petit dessin

 

petit dessin

制作年代不明。

たぶんSilent @KCUAに出品していたころなので、2011〜2017年。

 

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マロニエ市に出品していた『つちのいえ2008ー2021』が2冊とも売れてしまった。

これも破格なので利潤なし。残りの在庫は12冊のみ。

八戸ブックセンターは売れ残り1冊を引き取ってくれた。

ホームページのトップに『つちのいえ』を上げるのはもうやめよう。

 

Akira Toriyama est décedé.

9 mars 2024, vendredi

 

3月8日は父の命日。ちょうど17年前の2007年3月9日、パリで訃報を知った。

同じ3月8日の夕刊に、鳥山明の訃報が載っていた。

 

ドラゴンボール

ドラゴンボール

 

亡くなったのは3月1日だったらしい。

 

新聞に載っている『DRAGON BALL』第1巻のカバーのデザインは、ぼくの持っているもの(1991/12/15第57刷)とちがう。

 

悟空の髪形は、『鉄腕アトム』『カムイ』『明日のジョー』など日本の戦後漫画の伝統を引く。

 

ドラゴンボールは1980年代後半以降、世界中の子供たちを魅了した。

モロッコのマラケシュの旧市街の家の扉に悟空が描かれていたことを思い出す。

世界中に広がるメディア空間を悟空は飛び回っていた。

22 mai 2007, dans la vielle ville de Marrakech

 

Sable de Sahara

3 mars 2024, dimanche

 

サハラの砂

 

マロニエ市の出品物に加えようと、サハラ砂漠の砂をサイダー瓶に入れた。

ラベルが必要と思い、サハラ砂漠を上空から撮った写真を探してデザインする。

こういうとき、このブログが便利だ。探すと、2012年にブルキナファソで開かれたSIAOに参加するため、パリ経由でワガドゥグに飛んだときの記録が見つかった(2012年10月27日 SIAO_1: 亡兎観現世)。

懐かしい。いい写真がいっぱいある。

このときとちがって、今ブルキナファソはクーデターで軍事政権になっていて、イスラム過激派のテロ対応のためとの口実で、ロシアがワグネルに代わる軍隊を送り込んでいる。メディアには、ロシア国旗を振るブルキナベたちの映像が流れる。だが、実際はまたちがった現実が流れているだろう。

SIAO参加のときのブログの別の記事には、ワガドゥグの通りを車で走る映像がある()。この当時は平和だった。

 

テロリストたちの増加とは別に、サブ・サハラ地域の砂漠化は続いている。

地球環境の不安定化は、人類の心と体を不安定化し、格差を広げ、対立を煽り、社会を揺さぶる。

朝日新聞に載ったアントニオ・ネグリの追悼文()がよかった。彼の言葉の要約が再録されている。

「代議制も三権分立ももうだめ。主役はあなたたち。怒りなさい。行動しなさい。そして自分たちで決めなさい。そこから次の民主主義が見えてくるはずだ」。

 

マロニエ市の出品物は案の定増えてしまい、キャプションづくりに手間取った。アーティストであれば、既存の意味や価値を攪乱しないとだめだと思いながら、じつは価格の決め方がわからない。。。

他の出品者は大半がそれらしい古書や物品や商品、通常の素材(木材など)。ぼくのは廃物や無用物を立たせただけのものやオリジナルジャケットの音楽CDなど。

大半が百円だが、ガチャのフィギュアとJAXAからもらった日本のISSモジュール「きぼう」のバッジを組み合わせたものは500円、試作や習作を組み込んだものは1000円にした。だがいくら売れても搬出入のための駐車場代のもとが取れない。

マロニエ市

《きぼうをくだく》

 

マロニエ市

《メートル原器》と名づけたものは、蛇のフィギュアの舌を1m伸ばしたもの。ガチャのケースに入る。

マロニエ市

無用物もとにかく立たせてみる。「立つ」ことでモノの様相が変わり、あるかなきかの意味や価値を呼び込む。

それは二足歩行の人類史の深部に根をおろす不思議な存在の次元だと思う。

 

マロニエのwebsiteには、キャプションも欠けた状態の写真が載ってしまった。

取り合えず現時点の様相。

マロニエ市

他の出品者と違って、行儀の悪い展示。だが一段高くしたので、ほとんどがゴザ敷きの展覧会場に変化が生まれたのと、下にも展示スペースが広がった。

 

しかし、自分が面白いと思うものを人も面白いと思うことは期待しない方がいい。たぶん破格でも売れないだろう。

 

forme debout

28 février 2024, jeudi

 

立つかたち

 

立つかたち

「立つ」とモノの意味や価値が変わる。なぜだろう。

やたらとモノを立たせてみる。

鉛板 

捨てられてしまうようなゴミを救うには、立たせればいいと気づく。

鉄鉱石に磁石。

《貝石》

「台座の考察」の続き。

立つかたち

モロ廃材を立たせる。台座も廃材クリップ留め。

たつ

「二つの傾斜地で」展以来、切り残した断片を捨てないで再利用するようになった。

写真も立つ。これも昔の写真作品《Parallel》シリーズの切り落とし。

立つかたち

額も立つ。作品のエスキスを折って無理やり額に入れて立たせてみる。

立つかたち

屏風も立つかたちの一つ。

留める、もたれ合う、折る、丸める・・・立たないものを立たせるいろいろなやり方があると気づく。

 

こういうのは思いつきの段階が一番楽しい。よそ行きになると(=作品化を意識すると)楽しくなくなる。

作品制作において、この初発の衝動や悦楽をいかにキープするかは今後の(永遠の?)課題でもある。

 

sur Liberdade de São Paulo

25 février 2024, dimanche

 

Taroハウスで開催されていた展覧会「リベルダージ:ディアスポラ、祖先、共存の地」もこの日(2/25)まで。

on Liberdade

隣接するBooks & Coffee Sol.の2階のノランナランで、13時から主催者チームのアウグスト・オヤマ君と、ハルミ・ロペス・ヒガさんによるトーク。

二人とも日系だが、アウグスト君がブラジルの日系3世、ハルミさんがペルーの日系4世で、まだ日本語がうまくないらしく、英語で話す。通訳は、アウグスト君と同じ京大地球環境学堂の人間環境設計論分野修士1回生の若林君。(ハルミさんは、京都造形芸大で映像を学んでいるとか)。

 

リベルダージ地区は、かつて日本人街と言われたほど日系移民が多かったそうだが、今は中国や韓国からの移民も増え、東洋人街と呼ばれるそうだ。だが、日本人の移民が始まった20世紀初め以前のリベルダージ地区についてはほとんど語られることがない。

アウグスト君らのチームの試みは、リベルダージの歴史を掘り起こし、黒人奴隷の歴史とのつながりや、ジェントリフィケーションによって揉み消されようとしているこの地区の人々の複雑な歴史を提示することだ。

ブラジルは、他のアメリカ大陸の各地と同様、複数の先住民が暮していたが、1500年から1808年まで、ポルトガルの植民地になった。だからなのだろう、土地開発や所有の問題が格差の広がるブラジル社会の根本矛盾の一つになっているようだ。

on Liberdade

アウグスト君のレクチャーから。

ブラジル史についてはまったく無知なので、土地改革がなかったとか、土地に関する法律がどう社会的差別を温存させているかについては、よくわからない。植民地主義の爪痕がかなり深くブラジル社会に残っていることはわかる。

だが一方で、人々が自分で勝手に住宅をつくり、インフォーマルな都市化が顕著ということには興味を覚えた。なぜかぼくの細胞の奥に潜む遠い記憶が呼び覚まされる。

 

on Liberdade

ブラジルがポルトガルから独立するのが1822年。奴隷制が廃止されたのは1888年。このあいだにリベルダージ地区の暗黒の始まりがある。地区の中心の広場に絞首台があり、反抗する黒人奴隷が次々と処刑された。この地図は、そうした歴史を示す唯一の古地図で、彼らが掘り起こしたらしい。(展示パネルから)

 

「リベルダージ地区は、歴史的に辺境の地域でした。市の中心部と南部地域を結ぶ街道上に位置するこの地域は、「イブラブエラの小道」あるいは「サント・アマロへの車の小道」として広く知られています。
そして単なる通過する場所というよりも、この地域はいわゆる「呪われた」仕事場がモザイク状に混在していました。ゴミ捨て場であり、財産を持たない人々や裁判所から断罪された人々のための墓地であり、絞首台やさらし台の存在など、公開処刑や拷問の場でもありました。これらの公共施設は、奴隷制度(1550年から1888年まで300年にわたって続いた)がいかに恐怖と支配に基づいた統治であったかを示すものです。
こうした抑圧の文脈において、この地区は「リベルダージ」(英語で「自由」)が換気され、そう呼ばれるようになったのです。
最初に到着した日本人移民(1908年)の多くは、形式的な奴隷解放(1888年)後の黒人労働力の代わりとなりました。少数の黒人のルーツを持つ者だけが抵抗しましたが、他の者は再都市化のなかで葬りさられました。」
(展示パネルから)

 

on Liberdade

19世紀の黒人の反乱兵士の一人、チャギーナス。絞首刑のロープが3回も切れたといわれるリベルダージの黒い聖人。

on Liberdade

リベルダージ地区の都市化は、こうした歴史の抹消と共に進む。

日本人移民は、この過去の歴史をなかったことにするのに都合がよかったようだ。

アウグスト君によれば、たくさんある日系人の県人会の男性リーダーは、自分たちの「成功」の歴史を語りたいため、こうした歴史の負の側面には蓋をする傾向にあり、アフリカ系などの移民集団との連帯にも消極的だという。

on Liberdade

on Liberdade

on Liberdade

on Liberdade

段ボールを支持体にした展示パネルのヴィジュアルとレイアウトは秀逸。

彼らの仲間にデザイナーがいるのだろう。

 

横浜のJICAでは、これらに加えて、ぼくが教えた日干しレンガと竹で「象徴的オブジェ」をつくって展示していた。

聞けば、リベルダージ地区を商業的に日本化している「鳥居」に、牧師が黒人と日本人の教会のアーチを加えて変形したそうだ。どうせなら、鳥居をもっとハイブリッドにブリコラージュすればよかったのに。求心的で愛国的な「鳥居」のかたちは換骨奪胎するべきだ。

 

終わってから気がついたが、リベルダージ展のプロジェクトチームのホームページがある。

Projectl Liberdade

なんとぼくも一員になっているではないか。しかも建築的展示と設置の担当()。笑える。

 

アウグスト君は京大の博士課程に合格したそうだ。

情報共有と身体的交流を促す視覚デザインや空間デザイン、さらに自由でラジカルなアート制作は、監理と分断、抑圧と排除の進む社会に対する「抵抗の手段」になりうることを研究実践してほしいと思う。

 

flaque

23 février 2024, jeudi

 

3月に大阪の+1 artで二つの展覧会に関わることになった。

一つは、課外授業「2023年度総合基礎実技 第2課題『身体』」3/6(水)〜3/23(土)。

これには3/16(土)に「トーク:総基礎という現象」というのがある。

 

続けて、ひらいゆうさんとぼくの二人展「水たまり」3/27(水)〜4/13。

野口さん・カワラギさんから、どういう展覧会になるのかわかりにくいので、DMをデザインしてほしいと頼まれた。

それでいつもの+1artのDMのフォーマットで作業して、2/17に完成データを渡した。

 

水たまり

表面。A4変形三折。ブルーの線で山折りする。

 

水たまり

中面。谷折二つ。

タイトルロゴは手書き文字からデザインした。「水」という字が、縦線とその左右の水の流れを表わすカーブ2本からできていることを改めて意識した。ひらいゆうさんには気に入ってもらえた。

 

自分としては奇を衒うことなく、比較的ストレートな絵画とドローイングの展覧会をするつもりなのだが、ひらいゆうさんはともかく、ぼくがいつも何をやるかが判然としないので、展覧会イメージがつかめないのだろう。それですでに画廊に送った作品画像を使ってデザインした。できたDMを見たカワラギさんらからは「ゴシック・ホラーに見えるかもしれない」と言われる。

 

前回の個展(2022年)の際はDMを野口さんにデザインしてもらったのだが、同じように「展示のイメージがつかめない」と途中で相談された。

さらにコラボレーション「発酵をよむ」展(2019年)のときも、全体のインスタレーションを担当するぼくの動きが一番おそく、画廊のお二人を戸惑わせた。

 

技法やスタイルが一定している作家であれば、わかりやすいのだろうが、ぼくはそうではない。ほとんどそのつどゼロからやり直す。

自分としては関心事は一貫しているし、作法としては根底にドローイング(平面/空間)があるのだが、それが人に伝わっていないのだ。コツコツ個展を積み重ねてきた作家とちがって、注文や依頼で展覧会やプロジェクトをやることが多かったことにも起因するだろう。

困ったことにデザインや建築的なこともできてしまうので、アーティストとしては異端視されている気がする。だが、自分は複合プレートでできていると自己分析してすっきりしたので、単一プレート中心の人間観・芸術観に付き合うことはやめた。

 

今、心に去来するのは、「研ぎ澄まされた幼稚さ」。「水たまり」はそれをめざす道程標にする。

 

水たまりはどこにでもある。ガザにも。それは子供を楽しませ、大人を困らせる。

ガザの水たまり

ガザの水たまり

ガザの水たまり(Yahoo Newsより)

 

地上に偏在する「水たまり」は、根源的なはかなさでもって生成消滅する。

人の足元にある「水たまり」は、つねに空に表面を向け、それに見向きもしない人の姿を映して消える。たまに子供がそれに手をのばす。水たまりは、非人間的自然・前人間的世界へのもっとも身近な入口である。