Où sommes nous ?

18 juillet 2019, jeudi

 

しばらくつちのいえの作業をしていないので、植物が繁茂して丘がすごいことになっている。

どこの国かと思う。

壊された旧大藪家の土壁の土でできた土浮庵が沓掛ジャングルに浮かぶ。

 

この日、深夜、次の高瀬川掃除のチラシを出稿した。

地元の林伊佐雄さん夫妻に取材し、記事らしきものを書いた。

あいかわらず一人で全部やっている。

共通しているのは、見下ろす視線。これは「地面を見上げる」というぼくの活動コンセプトの裏返し。

来週の土日、テラスづくりだ。

 

崇仁高瀬川保勝会チラシ

 

崇仁高瀬川保勝会チラシ

 

Problème de Yoshida-Ryo ou la fin de l'Ecole de Kyoto

14 juillet 2019, dimanche

 

今年4月26日、京大執行部が吉田寮からの立ち退きを求めて、20名の学生を提訴した。

学生を守り育てるべき立場にある大学が、懸命に話し合いを求める寮生たちを足蹴りにして法廷に訴えるとは、なんという暴挙か。

この異常事態は、ひとえに川添信介という副学長個人の偏狭で横柄な所業による。

こいつがテレビでどなっているところを見たが、なんでこういうトランプのような下劣な男を副学長にし、対話を根幹とした京大の基本理念を踏みにじる暴挙を許しているのか。

京大はもう終わったと思っていたら、京大内の少数の教員有志が動きだしていることを知った。

「対話による吉田寮問題解決を求める教員有志の会」が、7月1日に山極総長に要望書を提出した。

 

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わたしたち教員有志は、山極総長に対して下記の事項を要請します。

一、吉田寮現棟明け渡し訴訟を直ちに取り下げること。

二、現寮生の新棟への居住移転と旧食堂棟の利用を認めること。

三、管理・運営上の問題については、居住移転により「寮生の安全確保」を図った後に、寮自治会との対話により解決すること。

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川添を選んだのは山極総長か。山極に英断を望みたいが、副学長が学生を訴えるという異常事態に目を向けないで、外の有名人とのおしゃべりに精出している人間には無理だろうか。

 

7月4日(木)午前11時半から第1回口頭弁論が京都地裁であった。

ぼくは行くことができなかったが、21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会のメールニュースでその内容をイライラしながら読んだ。

寮生側は請求棄却を求めた上で、「訴訟は強権の発動で、大学が学生を軽視し、対話を一方的に拒絶している」と陳述したという。

 

尾池元総長ですら、「対話でことを進めるという吉田寮との確約書を引き継がない姿勢に納得できない」と『京都新聞』2019年7月10日付のインタビューで述べている()。

 

次回の口頭弁論は10月7日(月)午後。

弁護団は、これまで京大と吉田寮が積み上げてきた団交確約文の内容を根拠に、京大当局が一方的に提起した請求は合意違反として棄却を求めるとのこと。弁護団と吉田寮自治会は、公判の傍聴を呼び掛けている。

ぼくはまた行けそうにないが、事態の推移を注目していく。

 

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一方で、7月8日、京大は、凸版印刷と共同で、アートを教育に活かしていくことを発表した。総合生存学館でアートの共同講座を開設し、「アートの素養を生かして社会でのイノベーション(技術革新)をリードする人材の育成を目指す」という()。

土佐尚子教授が取り持ったらしい。

イノベーションとやらの言葉が大学を支配する時代。それとつなげないと企業からお金をとれない。

開発・発展(development)という指向が農耕文明以後の人類を支配し、だれもそこに疑問をもたない。

「生存」を冠しながら、この大学組織は開発中心の価値観の上にのっかっている。

だがアートの根源は、障害者や先住民、縄文人ら、力による領土拡充と無縁な非農耕的世界ともつながっており、それとは正反対の位相にある。イノベーションよりもアナーキーな快楽とつながっているのがアートだ。

土佐尚子教授はアーティストではないと確信する。京大のアートへの視線はまちがっている。

イノベーションなどの価値観にしばられず、自由な知の冒険に駆けた京都学派の学的伝統ははるか昔。

やはり京大は終わっている。

 

En stand-by ou la Poésie concrète

10 juillet 2019, mercredi

 

はやぶさ2が7月11日、リュウグウへの2回目のタッチダウンを行う。

JAXAの広報が充実している。タッチダウン地点付近の地形の3次元的動画(Digital Elevation Map)が見れる。

実行を遅らせたことで、タッチダウン付近の地形の把握は相当精緻になっているだろう。

http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20190710_PPTD/

 

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7月10日の造形計画1Aは、【課題5 Concrete Poetryをつくる(演奏する)】を行った。

詩を作ったことのない学生に、いきなり「具体詩」をつくらせ、制作体験を味わわせる。

そのために前日、ほとんど徹夜で制作条件を練った。

 

[1]1〜5個の素数個(1、2、3、5)のひらがなを紙面空間に配列して具体詩をつくる

 例:「の」「はな」「しかく」「ゆめのなか」

    →1つの単語で(1文字で=「の」だけで)

    →2つの単語で(3〜8文字で)

    →3〜4つの単語で(6〜11文字で)

 

自分でやってみてわかったのだが、ひらがなの単語をランダムにちりばめるだけで、勝手に文字どうしが結びついたり、離れたりして、文らしきものが生成する。

クレーがアルファベットをばらばらと紙面にちらした《詩のはじまり》で示したことは、ひらがなでも生じるのだ。

具体詩の創始者だったオイゲン・ゴムリンガーがクレーの《詩のはじまり》を知っていたかどうかは不明だが、クレーのこの作品こそ、具体詩以前の具体詩といえる。

詩は、ある条件を整えれば、無作為でもできることに気づく(実際には「詩らしきもの」あるいは「詩のはじまり」が。)

実際、たまたま例とした「の」「はな」「しかく」「ゆめのなか」の4つの単語を構成する文字を適当に並べるだけで、詩的な文章が生まれる。これには驚いた。

 

具体詩

 

「ゆめのなかのはなのしかく」(夢の中の花の四角)

「しののめのゆなはかなくか」(東雲の湯女儚くか)

・・・

 

実際、学生たちの試作のなかには、かなりイケてる具体詩ができた。

ネットでの検索が飛躍的に向上した現在、「具体詩」と検索すればすぐに関連画像が見れる時代だから、文字配列の参考にした者もいるだろう。だが、それでも具体詩らしきものがたくさんできたことには驚いた。

もっとも京都や関西に具体詩をやる人は少ないと思うので、単発的な実験に終わる予感はある。

 

漢字を使う課題もつくったが、こちらは今回は「演奏」を取りやめた。

 

10年ほど前にもいくつかサンプル用作品をつくった。

「はい」という作品。孤独な実験だった。

具体詩

 

 

Salon mardi

9 juillet 2019, mardi

 

火曜サロン

 

京芸の研究者たちの横断的なプチ研究会である「火曜サロン」。

いつも芸資研のカフェスペースでやっていたが、芸資研主催の別の研究会とダブル・ブッキングであることが判明。

ぼくは担当ではなかったので、急きょ赤松玉女新学長に学長室を使わせてくれるよう頼んでみたら、すぐ快諾してくださった。

敷居の低い女性画家学長、というより長年の友たちなので、助かった。

 

この火曜サロン、学科系教員のあいだにほとんど相互交流がないため、まとまった将来構想も出せていなかったので、芸大内では浮いた存在だった。

しかしこのところ、優秀な研究者が学科教育系に赴任して、顔ぶれも変わっているので、思いついて提案したら、すぐに仏文学の中村翠先生や中国絵画史の竹浪遠先生らが肯定的に反応してくれ、2017年春からはじまった。

学内政治でヘゲモニーを取りたい芸術学研究室とそれに反発する一般教養の先生たちのあいだで、20年近く不和対立があった。そんな不毛な過去が霧消したことを感じて、ほっとしたものだ。

 

運営上の話題を話す公式の何とか委員会より、研究上の話題を話す非公式な集いの方がはるかに相互理解やアイデア創出に役立つ。

楽しく持続的に行うことが大事なので、持ち回りのホスト制にして、参加も自由とした。

知的活力のある人はやはりオープンで好奇心旺盛だ。近年、優秀な研究者が学科教育系に赴任しているので、京芸の未来の突破口は実技より学科から開けるかもしれない。

所属は共通教育、内実は実技系のぼくは、裏方に徹して、ロゴをつくり、看板やポスターをつくり、「ホテル養生」の廃材を使って長脚ベンチも2つつくって、芸資研に提供した。

ベンチ

2017年6月24日作。

デザイナーだなと自分でも思う。

 

Lessons de temps

9 juillet 2019, mardi

 

最初の個展「時間のレッスン」(1993年)のアーカイブページをようやくアップした。

忙しくて自分のウェブサイトがずっと工事中のままで、なんとかしなければと思いながら、10数年たつ。

ここに来て、自分のスタートラインをあらためて見直しておこうと思ったのだ。

つくることが根っから好きなので、その後は造形的な仕事が多いのだが、出発点は、「美術」や「展覧会」「作者」「作品」の概念そのものを宙づりにするラディカルな仕事だった。

あの先鋭さはその後失っているのではないかと反省する。

「死」の意識が薄れているからか。

あのときのヒリヒリするような緊張感を取り戻さなければならないと思う、

 

アーカイブ作成のためにファイルのなかの資料を整理していたら、堀尾貞治師匠から展覧会後に届いたハガキが出てきた。

ぼくの作家人生を左右した難波道弘さんも堀尾師匠ももういない。

アートスペース虹ももうない。

 

「残る」とは何か、「残るもの」とは何か――「時間のレッスン」を導いたこの問いかけは、大きな虚無と一体のものだった。

 

堀尾貞治師匠からのハガキ

 

 

*ウェブサイトは古典的にHTMLとCSSで手作りしているが、スマホや一部のブラウザ(Chrome)でCSSが正常に機能しないのはなぜなのか?